1973年に私が23歳で日本を出たきっ かけは、大学は出たものの就職する気もな くのんきに親父の食堂経営を手伝っていた頃、「ギリシアに住んでみないか」とアメリカ人の友から誘われたこと。何となく日本は住みにくいと感じていた私はこれに飛びついたのだった。
住みにくかった理由を今考えてみれば、日本社会には、風変わりな人間を疎ましく思ったりと、他人に干渉する風潮があり、もの心がついた頃から人と違ったことがしたいと粋がっていた自分には合わないと思ったからだ。例えば、いつぞやの残暑残る9月 に一時帰国した折、東京の地下鉄で半ズボンをはいて吊革にぶら下がっていた私を見た年輩男性が、「いい年をして」とでも思ったのか、不快な目つきで私をにらんでいた。 友人によると、東京の街中で半ズボンをはいているのは皆西洋人で、日本人の私がすると無作法なのだそうだ。
日本に住んでいた頃は、男性は大学を出て安定した大企業や役所に就職、女性は短大に行って花嫁修業することが理想と考えら れていた。当時の私は若気の至りもあって か、「就職などするものか」と反発して日本を出たものの、米国に回ってやっと勤めが見つかったのは皮肉か運命か、これぞ日本社会ともいえるお役所(総領事館)だった。
海外で生活していると日本を外から見ることになるが、それは私にとって視界が 広まることであった。日本の政治家や政府代表が訪米の際のスピーチの冒頭で決まっ て、「日本は米国と民主主義を共有する国」 だと言う。日本は選挙で市民の代表を決め る点では民主主義と言えようが、人間関係は未だに縦型軍隊式。上からの命令には絶対服従が原則で、米国のように大統領もホームレスも同等とする建前とは違っている。どちらがいいのかは別として、私は上に服従したくない。でもそういう体制が整ってしまえば、そうしないと生きていけない のが人の世の悲しさか。
日本には13年も帰っていないが、テレビ やニュースで見る限り、日本の社会構造は 依然として多くの面で民主化しているとは 思えないし、むしろ不景気に伴って体制に従わざるを得ないという傾向が強くなっているように見える。しかし日本を訪れた知り合いは「ものすごく良かった」「すっかり日本ファンになった」「もう一度行きたい」 など、こぞって賛辞を浴びせる。例えば私と同じビルに住んでいる若いカップルは日本が大好きで、日本の現状については私より ずっとアップデートされている。また親し い友人二人は毎年必ず日本を訪れ、最近では京都に宿をとって3ヵ月もの長期滞在を している。彼らから日本の素晴らしい話を 聞くにつけ、いま一度まっさらな気持ちで 日本を見てみたいという思いが日に日に強 くなっていった。 で、いよいよ今年の秋に日本に行くこと にした。皆が言う「日本は変わったよ」の中身を見てきたい。
[カナダで再出発]