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アキさんとの再会〜みきこのシリメツ、ハタメーワク

第 33回 アキさんとの再会

武田 彰さんと最後に会ったのは、もう10年近く前になる。アキさんは今年、日本国から瑞宝双光章を受章。私もたまたまシアトルにいたのでランチをすることにした。アキさんの領事館勤務時代、領事館のあった建物近くのラーメン屋さんで、よくランチをしたことがある。退職当時、カナダに移住するための準備などで忙しそうだったのと、私が帰国してしまったため、連絡がいったん途絶えてしまったのだ。今回はいい機会だった。

「受章、おめでとうございます。どんな勲章なの、それって?」
開口一番の質問。はっきり言って、領事館勤務の職員が日本国から勲章をもらうということが解せなかったのだ。日本から送られた人では、たぶん受けることはないので。「これって、失礼な質問だけれど、誰だって知りたいことなんじゃないの?」と思ったから、聞いてしまった。

アキさんは普通に、
「そうでしょうね。なんか、39年勤めたら、長いからってもらっちゃったんでしょ」とご謙遜。この勲章は日本国の在外公館活動に寄与した人に贈られるものなのだ。文化担当職員として、コミュニティーとの連結を通して日本文化の理解促進に貢献した、ということだ。実際、インターナショナル・ディストリクト(日本町)の神戸テラスに行く途中の坂にあった日本館シアターのオーナー、エド・バークさんと大の仲良しで、維持に協力したようだ。

「1975年にアメリカに来て、領事館の仕事を見つけたので申請したら受かって、このままいるのカナって思っているうちに昇給していっちゃったから、居着いちゃった」
などと言っているが、継続は力なり!

1970年代にヨーロッパを回りアメリカに来る人は、結構意地があり、信念を持って出国した人が多い。全共闘、全学連など、学園紛争の真っ最中に学生だった人だ。現代の若者のように、軽く親が送り出して海外に出て来る人種とは違う。アキさんもそんなひとりではないのかな?

実は私とアキさんは1976年ごろ、キャピトルヒルからの14番のバスで毎朝一緒だった。私は東京銀行へ通勤。アキさんはベージュのトレンチコートを着た日本のサラリーマン風で、日本人がいることにびっくりしたので覚えていた。

私のほうがアキさんより3歳ほど若いが、まあ同世代。感覚も似ている同期の桜なのだが、私はせっかちでケンカっ早い。アキさんは一見穏やか。アキさんがソイソースに寄稿する「シニアがなんだ! カナダで再出発」と、この「シリメツ、ハタメーワク」を比べたら歴然としている?

天海 幹子
東京都出身。2000年から2005年まで姉妹紙『北米報知』ゼネラル・マネジャー兼編集長。「静かな戦士たち」、「太平洋(うみ)を渡って」などの連載を執筆。2020年11月に日本に帰国。同年、著書『ゼッケン67番のGちゃん』を刊行。