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稲垣久生さん〜在シアトル日本国総領事

パンデミック真っただ中の2020年夏、シアトルに着任した稲垣総領事。例年のように諸々の行事でお目にかかる機会のないまま、オンラインでインタビューさせてもらいました。ひとつひとつの質問に実に誠実に、丁寧に答えながらも、プライベートの話になると体の力を抜いて顔全体をほころばせて笑う様子が印象的でした。

取材・文:渡辺菜穂子
写真提供・協力:在シアトル日本国総領事館

稲垣久生(ひさお)■三重県出身。1985年に東京工業大学修士課程(理工学研究科)を修了し、外務省入省。1991年にマサチューセッツ工科大学大学院修士号取得。外務省では情報通信課情報システム統括企画官、広報文化外交戦略課IT広報室長など、情報通信やIT分野に長年関わる。また北米局北米第一課やワシントンDCの在米国日本国大使館(1996~2000年)、在シカゴ日本国総領事館(2012~16年)勤務などを経て、米国事情にも精通している。2020年7月に在シアトル日本国総領事に就任。

技術革新と共に積まれたキャリア

専門は技術系。外務省に情報通信の先端技術を取り入れることに長年関わっている。「最近はIT化やDX(デジタル・トランスフォーメーション)と言われますが、同様の業務改革という考え方は、BPR(ビジネス・プロセス・リエンジニアリング)など、昔からありました」と、稲垣総領事。外務省の技術発展の歴史は、自身の入省前となる1963年、省内に初めてコンピューターが導入された時にまでさかのぼると説明する。「当初は、旅券発給や会計処理を行っていました」

日本食や日本産食材のプロモーションの一環として毎月11日を日本食の日として広報活動

稲垣総領事は1985年に入省し、まずホストコンピューターに関わる業務に携わり、海外とのオンライン処理、人事や会計などの業務のさらなるシステム化も進めた。90年代に入ってからは各個人にパソコンを設置し、ネットワークでつなげて電子メールや情報共有体制を確立。90年代後半にはインターネット普及に伴い、電子メールやブラウザを通した情報収集・共有・連絡の体制を導入し運用管理する。そして2000年問題(Y2K)対応に追われた後、2000年代に入ってからは、技術進歩への対応と政府情報化計画の推進と共に、情報セキュリティー対策が重要事項として加わってくる。

「90年代後半はワシントンDCでの勤務でした。在米大使館内の情報システムはニューヨークの日系業者が対応していて、ワールド・トレードセンター・ビルの屋上を案内してもらったことがあります。ビルについての強烈な記憶がよみがえる中、同時多発テロ当日は東京霞が関の外務省内でテレビの映像を見守っていました。その日系業者の複数名が打ち合わせのためにビル内にいて閉じ込められ、亡くなったことを後日知り、胸が詰まる思いをしました。ご冥福をお祈りします」

法令の壁

思えば、情報技術の変革が進むにつれ、社会の仕組みもだいぶ変わった。そんな時代の変化は、官公庁内からはどう見えたのか。公務機関という性質上、新しいシステムを導入するには、さまざまな困難が伴うのではないだろうか。「省庁には昔ながらの人が多く、新聞は紙でしか読まない、キーボードは打てないという人もいました。まずはコンピューター化の利点を伝えるのですが、昔はパワーポイントなど使っていなかったので、紙とハサミを駆使して視覚に訴えたり、漫画にしたりして説明しました」と笑みを浮かべる。また、技術革新のスピードに比べて、人々が考え方やふるまい方を変えるのには時間がかかる。「日進月歩で進むIT技術に、まずは自分自身がついていき、理解しなければなりません。さらに、組織内で役職が上がると、システム開発会議の場で要件決定の判断を求められる立場にもなります。進捗管理と共に、全体を俯瞰しながら調整をする必要があります」

シアトル航空博物館と岐阜かがみはら航空宇宙博物館のパートナーシップ協定署名式に参加

そのうえ、法令等の壁が立ちはだかると言う。「役所の中では法令によって、法令に従ったシステム処理を構築するのですが、情報化がなかなかできない部分があるんです。最近、新しい働き方や業務の効率化のために、日本政府でもデジタル庁を作ろうという声が上がり、9月1日の創設につながりました。ただ、それを進めようと思っても役所は会計法令に基づくので、たとえばクレジットカードの利用さえ法令で許されていないのです。当然、IT化やリモートワークに合わせて法令を変えるという作業・努力はなされてきています。しかし、個人情報に関しても、過去の判例(裁判で下された法律的判断)に基づいて扱わなければならないという側面があります」

法律というのは、省内の業務だけでなく社会のシステム整備にも関わってくる。「SFの世界がすぐ実現するように思う人もいるようですが、現実的ではありません。AI(人工知能)が人間の代わりに自動的に判断してくれるとしても、どういうデータに基づいて、どういう経緯で判断をしたのか、そこを明確に可視化しなければなりません。その判断による責任を誰が持つのか、明らかにすることも重要です。自動運転の車を例にすると、運転操作をどこまでAIにやらせるのか、事故が起きたときに誰が責任を取るのかという問題があります。国土交通省や自動車会社も絡む、法律の問題になってきます」

レイクビュー墓地の日系戦没者慰霊碑の前で日米友好関係の基礎を築いた日系兵士の苦労献身と犠牲を偲ぶ

三つ子の魂百まで

個人ではコントロールできない問題を抱えると、ストレスがたまりそうだ。どう対応するのだろうか。「ストレス解消法はありません。難しい問題に直面しても忍耐強く、時間がかかっても、ただ目の前の必要なことをこなしていくだけです」。1990年代半ばに省内と在外公館でパソコンをひとり1台ずつ配備した時など、変革には予算獲得、周辺設備を含め実際に設置する実務、職員の運用など、組織のトップの協力も不可欠だ。変革をやり遂げたのは、多くの関係者の協力があったからだと、稲垣総領事は語る。人と人の間に立つのが上手なのかもしれない。「いいえ、もともと仕事と言えばひたすら文書に向かっており、人と接するのが得意ではありませんでした。でも、情報システムの専門用語をかみくだいてわかりやすく人に説明したり調整したりする仕事が増えて、その都度対応してきました」

三重県四日市の出身。「郊外の、田舎の出身なんです。子どもの時は周りが畑と田んぼだらけでした。最初にダムを造る計画が出て、そのうちにもうひとつダムができ、次に東名阪自動車道とバイパス(伊勢湾岸自動車道)が通り、さらに第二名神(新名神高速道路)を造り始めて」と、故郷の変化をうれしそうに振り返る。山が減って、団地ができ、人口がどんどん増加し、入学した中学校は超マンモス校になっていたそうだ。子どもの頃から優秀だったのだろうか。「トップではないんです。たいして勉強しなくてもできるというトップの層がいますよね。そこには入っていなくて、その下の層に。私は日々努力しないと、ついていけませんでした。田舎の平均的家庭で育ちましたので、外の世界に飛び出したいとも思っていました。父親が戦前の大正生まれの人間で、仕事をひたすら一生懸命やらないと生きていけないという姿を見て育ちました」

レニアビーチの新型コロナワクチン接種会場にて。「先進的な医療研究と政府関係者の努力の結果、
ワクチン接種ができたことに感謝します」

子どもの頃になりたかったものは。「あまり記憶にないです。海外で仕事をするというぼんやりとしたものがあったような気がします。夢なんてなくて、ただ目の前にあることを頑張って、処理して、勉強してきました」と、当たり前のような表情で笑う。「今もそんな感じですね。ひたすら目の前にあるものを処理して日々が過ぎていきます。もちろん、特にIT化では、数年先を見て構想・計画を立て、それを日々の具体的作業に落とし込んでいるわけですが」

プライベートとシアトル

宇和島屋シアトル店で宇和島屋2代目で本誌発行人であるトミオモリグチと娘で3代目の現CEOデニースさんと共に

趣味は、実益を兼ねた勉強だそう。「最近は、セキュリティー対策の一環としてランサムウェア攻撃の動向、AI、DX 、ML(機械学習)について、さまざまなウェビナーを受講しています」。また、家族と一緒に美術館や国立公園をめぐるのが好きだと言う。「ワシントンDCに住んでいた時に、妻がナショナル・ギャラリーとスミソニアンで絵の歴史の勉強をしていました。印象派の絵画が好きで、一緒にニューヨークやフィラデルフィア、ボストン、そしてパリも訪れました。シカゴにいた時は娘がいたので、ロードトリップでイエロー・ストーンやグランド・サークルといったアメリカの国立公園、またケネディ宇宙センターなどをめぐりました」。シアトルに来てからは缶詰状態でどこにも行けていなかった。ようやく出かけるようになったのは今年の夏頃。「まずはパイクプレース・マーケットに行きました。パンデミック前以上のにぎわいだと聞きました。レーニア山国立公園、オリンピック国立公園も訪れ、ハイキングを楽しみました」

オリンピック国立公園では夫婦で自然を満喫

パンデミックでいろいろな活動が停止している中、人と直接会っての交流はいまだに限られる。オンラインを通して現地の日本人社会や日系社会に関わる人々とつながり、会話をして理解を深めているそうだ。「米国西海岸の都市というと、まだまだサンフランシスコ、ロサンゼルスが日本人にとって主流ですが、シアトルには日本との地理的近接性や高い教育レベル、グローバル企業の存在などの強みがあります。そんなシアトルの魅力を日本人に向けてもっと発信していきたいですね。パンデミック終息の折には、日本とワシントン州の交流がコロナ前以上に増えるよう、その一助となれば幸いです」

約4000人がフォローし折り鶴制作を日々見守る稲垣総領事のインスタグラムのアカウントhisaoinagakiより

オンラインと言えば、話題になっているのが折り鶴のインスタグラム投稿だ。「鶴は長寿の象徴として知られ、折り鶴は江戸時代から折られてきました。おめでたい鶴が千羽そろう千羽鶴は『良いことが起きる前触れ』とされ、現在も病気やケガの回復、被災地の復興を祈って贈られます。パンデミックで皆さん大変な思いをしている中、皆さんの健康と平穏を祈りつつ、シアトルに到着してから毎日鶴を折り、動画をアップしています」

周囲の反応はどうか。「オンライン上では、Thank you(感謝)やKeep up(続けてください)といったコメントが多いですね。たまたま郵便局に行った際、マスクをしていたにもかかわらず、毎日インスタグラムを見ていますと挨拶されたことがあり、驚きました。SNSの力ですね」。ちょうど365日目を迎える頃に海外のメディアで取り上げられるようになり、今では英語のみならず、ロシア語、アラビア語、中国語などでもコメントが届くそうだ。

「9月24日でちょうど400になりました。日本のテレビでも報道され、思いがけず大きな反響があり、感謝しております。当地にいる間は続けて、高齢者施設などに寄贈することを考えていますが、大勢の方のフォローもあり、離任後も続けるかは未定です」