『Cézanne et moi』
画家ポール・セザンヌと『居酒屋』の作家エミール・ゾラは幼なじみだった。出会いは19世紀半ば、プロヴァンス=アルプ=コートの中学で、いじめにあっていたゾラを助けたのが年長のセザンヌ。イタリア移民で母子家庭の一人息子ゾラと、銀行家の父がいる裕福なゾラ、彼らの友情は19世紀の終わりまで続く。
本作はそんな二人の出会いから、絶交で終わった起伏の多い友情を、淡く美しい映像と共に描き出したフランス映画だ。画家たちが初めて屋外に出て絵を描き始めた19世紀中期、川や木々、女性の肌などに降り注ぐ淡い光を捉えた映像が素晴らしかった。
物語は、セザンヌ(ギヨーム・ガリエンヌ)を思う中年のゾラ(ギヨーム・カネ)の回想から始まる。すでに作家として成功を納めたゾラに対して、画家としての成功を掴めず苦闘するセザンヌとの友情は疎遠だった。だが、かつて二人がパリで過ごした青年期は、共に夢と理想を分かち合い、はつらつとしていた。伝統的なフランス絵画展サロンに反旗を翻した印象派と彼らを応援したゾラ。セザンヌもマネやモネ、ルノワールなどの画家たちと交流し、画論を交わし合った日々があったのだ。
次第にそんなパリに馴染めなくなっていくセザンヌは、故郷に引きこもる。セザンヌを思うゾラは彼を経済的にも助け、才能を信じ続けるのだが。
対照的な性格の二人の交流を描くエピソードが多く描かれていくが、あまりに点描的で誰が誰かが分かりにくく、会話内容を掴むのも難しく、冗漫に感じられた。
脚本・監督は『オーケストラ・シート』のベテラン女性監督ダニエル・トンプソン。脚本家出身だけあって、二人の激しい意見の対立や、後年になってゾラの裏切りをなじるセザンヌの会話部分などは精彩を放ってはいたが、屁理屈っぽく禁欲的なゾラに対して、欲望の肯定をささやくセザンヌという対比も平凡で、いかにもフランス的という印象だ。
タイトルは「セザンヌと私」であるが、内容は「私とゾラ」という気がした。二人の出会いで登場する林檎、それを描き続けたセザンヌ。晩年、故郷のサント・ヴィクトワール山を描き続けた彼の心には何があったのか。激昂型で誤解を受けやすかった彼の晩年は、画家としての成功とは裏腹に寂しい。言葉ではゾラと対立することの多かったセザンヌだが、彼との友情を糧とした生涯だったのではないか。エンディングで見せるサント・ヴィクトワール山の連作を見ているとそんな気がしてならなかった。
上映時間:1時間56分。近日中にDVDで視聴可能。
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