シニアがなんだ!カナダで再出発
在シアトル日本国総領事館に現地職員として39年間勤務した後に、2013年定年退職した武田 彰さんが綴るハッピー・シニアライフ。国境を超えるものの、シアトルに隣接する都市であるカナダのバンクーバーB.C.で過ごす海外リタイアメント生活を、お伝えしていきます。
メメント・モリ
ワシントン大学の故ロイ・ミラー教授から「メメント・モリ(Memento Mori)」というラテン語の警句を教わったことがある。「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」との意味を持ち、当時は実感が湧かなかったが、年を重ねるにつれ、この言い回しを思い出すようになった。
9月末、シアトルの古い友人が危篤だと同人の親戚から電話があった。私が彼の91歳の誕生日に残した留守番電話メッセージを一緒に聞いたのだと言う。友人はホスピスの世話を受け、ベッドに寝たきりで意識不明だった。それでも、「カナダのアキだよ」と伝えると、彼の目がパッと開いたそうだ。それから3日ほどで彼は亡くなった。故人は、私が1992年にフリーモントで小さなおんぼろ一軒家を初めて購入した時、1週間付きっ切りでトンカチを振ってくれた恩人だ。
昨年12月には別のシアトルの古い友人が89歳で逝去。前日、たまたまシアトルに居合わせ、生まれて初めて人の「死に目」に立ち会った。ベッドに横たわり口をぽかんと開け、「もういつ逝ってもいい」とでも言いたげな臨終間際の姿を見てショックを受けた。生き物はいつか死ぬ。わかってはいるが、この時ほど自らの死を意識したことはない。
2310月半ば、故郷イサクアで行われたメモリアル・サービスと埋葬式に出席。棺桶に眠る故人に別れを告げた。故人
の人生を物語る写真や遺品が飾られており、「自分の時は何を飾って欲しいかな」と考えてしまう
日本では「メメント・モリ」を文学的・美的理念として捉え、日本古来の美意識「もののあはれ」になぞらえる向きもあるようだ。散る桜などはその典型で、はかない人命の比喩とされ、その潔さは武士道にもたとえられた。うがった見方をすれば、美化することで死の恐怖を紛らわせようとしたとも取れる。
故スティーブ・ジョブズ氏が2005年に母校のスタンフォード大学卒業式で行った有名なスピーチがある。「死を意識することで今を大切に生きることができる」と説き、重大な決断を下すとき、自分がいつか死ぬ存在であることを思い出せば、失敗するかもしれないという不安にとらわれずに済むとしている。
本コラムにたびたび登場する東京在住の50代友人にも聞いてみると、「死ぬまであまり時間がないと思っている。それまでに何をしたいかと逆算して考えれば、物は必要ないし、健康に自由でありたい、会えずにいる人たちに会っておきたい、謝るべきだった人には謝っておきたい」と話す。「20代では理解できなかったことも、死生観が大きく変わる40、50代では、本来の意味を感じ取れるようになる。その年代にならないとわからないことは多い」と続ける。
今、74歳。人の死を目の当たりにして桜が散るような潔さは実感できない。カナダに引っ越した65歳前の数年間は不安でいっぱいだったが、それから10年近く経った今、記憶力以外はそんなに変わらない。ピックルボールも上達したし、以前より健康な気さえする。さらに10年後、84歳の自分はどうだろうか。「明日死ぬとすれば何をしたいか」と聞かれたら、今は「ピックルボール」と答えたい。