在シアトル日本国総領事館に現地職員として39年間勤務した後に、2013年定年退職した武田 彰さんが綴るハッピー・シニアライフ。国境を超えるものの、シアトルに隣接する都市であるカナダのバンクーバーB.C.で過ごす海外リタイアメント生活を、お伝えしていきます。
人間は悲しい存在?
9月、私に3週間先だって相棒ジェームズが韓国に旅発った。いつもリーダーシップを取る彼が留守の間を一人で過ごすのが不安になり、以前、私が尊敬する東京の友人からもらったアドバイスを思い出した。
「私は代々クリスチャンの家系ですが、自分の病気を鑑みるに、『神様はあなたを愛している』とキリスト教ではさんざんいうのに、16歳からもう40年間も苦しんでいるのはなぜかわからず、いまだにクリスチャンになれていませんでした。そもそも宗教がなぜ必要なのかも今までよくわかっていませんでした。
最近、伊藤貫という政治学者がトクヴィル(筆者注:アレクシ・ド・トクヴィル)という昔のフランスの政治学者の本のことを説明している動画を見ました。人間より上の存在があると考えているのに、畏怖の念がない人間というのは、どのようものか。そして民主主義が崩壊するのはなぜか。すべての人が自分をオールマイティ(全能)として考えるようになると、世界全体の利よりも自分の利や富をどうやって増やすかだけに専念する人間ばかりになり、人間は浅薄になって、結局はポピュリスト(大衆主義者)の台頭を招く、という。なるほど今のアメリカや日本のようないわゆる先進国を体現していると思いました。
実際にあの世があるか? あればどんなに良いことでしょう。あると考えて生きることでよりよく生きられるのであれば、そう考えることが本当の利になるのではないか、逆に今生を良く生きることにつながるのではないか、と考えるようになりました。あの世が実際にあるかないかはもちろん断言できませんが、考え方のアプローチとして、かえって実利的ではないかと。トクヴィルは30歳にして800ページにわたる『アメリカのデモクラシー』を著していたそうです。これを見ても今の世の中に傑出した人間がいないことの現れのようなものですね。
トクヴィルは共和国になる前のフランスでは身分階級制があり、制約のおかげでそのときの人間は幸せに暮らしていたと考察しています。江戸時代などもそうではなかったでしょうか。
私はアトピー症状がひどいときは人生に迷いません。つらくてつらくてたまらないので、どうしたらこの苦しみから逃れるかしか考えないからです。が、カナダに滞在した時など症状が落ち着きすごく元気になったときに、逆につらく不安になりました。それまで必死で闘ってきたものがすとんと取れてしまい、どう身を処していいかわからなくなったからです。これは、いろんな長い病気やトラウマから抜けた人たちにはよくあることらしく、鬱は、病から治ったあとに一番陥る危険があるのだというのもどこかで聞いて、腑に落ちるところがありました。人が誰かといたいのは、本当にその人といることが楽しい場合もあるでしょうが、多くの場合、人といることで考えなくて済むからだと思います。一人でいると、用事も自分のことしかありませんよね。でも家族なり誰かといるとその人から発生する用事に自分もかまけることになる。何かにかまけることができて考えずに済む。
とはいえ、やっぱり最後は死に定められているので、人間は悲しい存在と思います。」
最近、伊藤貫という政治学者がトクヴィル(筆者注:アレクシ・ド・トクヴィル)という昔のフランスの政治学者の本のことを説明している動画を見ました。人間より上の存在があると考えているのに、畏怖の念がない人間というのは、どのようものか。そして民主主義が崩壊するのはなぜか。すべての人が自分をオールマイティ(全能)として考えるようになると、世界全体の利よりも自分の利や富をどうやって増やすかだけに専念する人間ばかりになり、人間は浅薄になって、結局はポピュリスト(大衆主義者)の台頭を招く、という。なるほど今のアメリカや日本のようないわゆる先進国を体現していると思いました。
実際にあの世があるか? あればどんなに良いことでしょう。あると考えて生きることでよりよく生きられるのであれば、そう考えることが本当の利になるのではないか、逆に今生を良く生きることにつながるのではないか、と考えるようになりました。あの世が実際にあるかないかはもちろん断言できませんが、考え方のアプローチとして、かえって実利的ではないかと。トクヴィルは30歳にして800ページにわたる『アメリカのデモクラシー』を著していたそうです。これを見ても今の世の中に傑出した人間がいないことの現れのようなものですね。
トクヴィルは共和国になる前のフランスでは身分階級制があり、制約のおかげでそのときの人間は幸せに暮らしていたと考察しています。江戸時代などもそうではなかったでしょうか。
私はアトピー症状がひどいときは人生に迷いません。つらくてつらくてたまらないので、どうしたらこの苦しみから逃れるかしか考えないからです。が、カナダに滞在した時など症状が落ち着きすごく元気になったときに、逆につらく不安になりました。それまで必死で闘ってきたものがすとんと取れてしまい、どう身を処していいかわからなくなったからです。これは、いろんな長い病気やトラウマから抜けた人たちにはよくあることらしく、鬱は、病から治ったあとに一番陥る危険があるのだというのもどこかで聞いて、腑に落ちるところがありました。人が誰かといたいのは、本当にその人といることが楽しい場合もあるでしょうが、多くの場合、人といることで考えなくて済むからだと思います。一人でいると、用事も自分のことしかありませんよね。でも家族なり誰かといるとその人から発生する用事に自分もかまけることになる。何かにかまけることができて考えずに済む。
とはいえ、やっぱり最後は死に定められているので、人間は悲しい存在と思います。」
▲19世紀初頭、民主主義が盛り上がっていたアメリカを旅して著した『アメリカのデモクラシー(アメリカの民主政治)』は、近代民主主義思想の古典であり、教科書的一冊
トクヴィルのように、後世に影響を与える書物などを残すことはないであろう凡人にとって、死を迎えたとき、それまでの人生が無に帰するように感じる。だからこそ、人生は最終的にはうれしいよりも悲しいかな、と思う。ただそれも当然個人の受け取り方次第。一人でも幸せを感じる人はそのまま生きられればいいが、悲しみを感じる人は、いつも何かにかまけていることで心の惑いが減るのだろう。そのためには、できるだけ毎日予定を立ててしまうことか。ボランティアや、人付き合い、散歩に出る、何かを習う、趣味に没頭する、など。
そういえば、先日仏教の教えをかじった友人が言ったように、周りを見渡すと、この世は自然を含めて何でも「豊富(Abundance)」にあるということを認識して、前向きに生きるのだ。太陽、雲、海、花や木々、散歩をする人々。その豊かさに目を向けて、自ら進んで関わっていかなくては。
▲終わりゆく夏を惜しんでビーチの日陰に寝転がると、目の前に広がる美しい木々と葉の色、模様に心を奪われた。ふと周りを見渡せば自然の「豊富(abundance)」さに驚く瞬間がある
◀︎▲バンクーバーからライオンズゲート橋を渡って東に約11キロのところには、無料で楽しめる「リン峡谷」のつり橋がある。ここでは見事な滝や峡谷が見られ、長短さまざまなハイキングコースが整備されている。トレイルで見つけた、荒々しく見事な木の根っこ
◀︎▲バンクーバーからライオンズゲート橋を渡って東に約11キロのところには、無料で楽しめる「リン峡谷」のつり橋がある。ここでは見事な滝や峡谷が見られ、長短さまざまなハイキングコースが整備されている。トレイルで見つけた、荒々しく見事な木の根っこ
▲1986年世界万博や、2010年冬季オリンピックのメイン会場となった多目的スタジアムの「BCプレース」。現在はカナディアン・フットボールやサッカー、ラグビー等の試合会場として利用される
▲今夏はおおむね快適な気候が続いた。我々シニアは、早めの夕食後は海沿いの遊歩道「シーウォール」に出かける。食後の散歩は消化の促進をし、血糖値を下げ、心臓などの健康維持に良いらし
▲気候の良い日は、北バンクーバーの「マード・フレイザー公園」でピックルボール。コート近くの散歩道は、Netflixの人気ドラマ『バージンリバー』のロケ地に使われるなど、バンクーバーの映画産業を盛り上げている