在シアトル日本国総領事館に現地職員として39年間勤務した後に、2013年定年退職した武田 彰さんが綴るハッピー・シニアライフ。国境を超えるものの、シアトルに隣接する都市であるカナダのバンクーバーB.C.で過ごす海外リタイアメント生活を、お伝えしていきます。
若者との交流は必要?
ピックルボール仲間を始めシニアの友人はいるが、若い世代とは、相棒ジェームズの娘一家以外は付き合いがない。そもそも若者の会話は早口過ぎて、補聴器を着けてもよく聞こえないし、今風の言語も理解できない。年末になると、その年に逝った著名人の顔がTV画面に次々流れるが、「どうせ自分ももうすぐ死ぬのだから」と、異世代と交流する意欲が湧かない。このまま、同じような価値観を共有し、ゆっくり会話ができる同年代シニアと余生を送ってもやぶさかでない?
日本ではかつて、若者は長老たるシニアの言うことを聞くのが普通だった。しかし、わが団塊世代は父母の言うことをあまり聞かなかったし、強く叱られた経験もない。めったに口を利かぬ父親は、たまに会うと私の頭をなで、ひと言ふた言つぶやくのみ。きっと仕事のことで頭がいっぱいで、子ども相手に何を話せば良いのかもわからなかったのだろうと、今なら想像できる。
相棒ジェームズの娘夫婦(30代ミレニアルズ)に、異世代交流について聞いてみた。まず、韓国から8年前に移住した夫は、「韓国の田舎に限っては依然古い伝統が幅を利かす。ただ、シニアが生き延びるためには、若者と交流してパソコンやスマホを習う必要があるのでは」と実用的回答。子育てが一段落し、郊外の医療クリニックで働き出した妻(カナダ生まれ、韓国の大学出)は、「食事中もスマホにかじりついて周りと話をしない若者、それを嫌うブーマー、両方の世代の価値観を理解できるのが自分たちミレニアルズ。どちらの世代にも違和感を覚えることはない」と話す。
いつも納得のいく意見をもらえる東京の友人女性(バブル世代)に同じ質問を投げかけた。「インターネットやスマホの出現前後で人の考え方が変化した。それが当たり前の世代に『昔が良かった』と言ってみても仕方ない。私は姪と時々話す程度だが、日本では若い人のほうが昔の日本の男女差別的な考え方から脱却していて、男性が赤ちゃんを抱いて歩くのも当たり前だし、人に対する態度が丁寧だと感じることも多い。バブル世代は意外と、焼け跡世代の親や、明治時代を生きた祖父母から日本の昔ながらの考えを引き継いでいて、価値観の違いをあまり感じない。そのあとの団塊ジュニア世代以降はまた別のようだ。若者と交流する難しさは、大変だと考えることがわれわれと違っていて、その差が埋めにくいこと。たとえば、ゆっくり時間をかけることを、今の若い世代は避けたがるように思う」と語る。
そう言われれば、親や祖父母の教えは自分も覚えている。しかし、コンピューターが変えてしまった生活環境下で、わが世代が若者にあれこれインプットしようとしても理解されるだろうか? 「わかったよ、ブーマー(古臭いぜ)」と、ないがしろにされるのがオチとあきらめてしまう。74歳の今、残り少ない余生を無駄なく生きるにはチャレンジ精神も必要? 頭ではわかるが実行には至っていない。皆さんはどう考えるだろうか。