在シアトル日本国総領事館に現地職員として39年間勤務した後に、2013年定年退職した武田 彰さんが綴るハッピー・シニアライフ。国境を超えるものの、シアトルに隣接する都市であるカナダのバンクーバーB.C.で過ごす海外リタイアメント生活を、お伝えしていきます。
ライン・ドナウ・リバークルーズ
6月、相棒のジェームズがかねてから「バケットリスト」旅行に挙げていたアムステルダム、ブダペスト2週間のライン/ドナウ川クルーズに同行した。遠いし不慣れだしを理由に行きしぶっていたヨーロッパだが、バンクーバー発アムステルダム行き直行便があるのを知って踏み切った。飛行時間が日本行きより約1時間短いのも魅力。
最初に乗ったクルーズ船「バイキング・アルスビン」
船は客室階3フロア、船客定員190名のスモールシップ、バイキング社「ロングシップ」。連日移動してオランダ、ドイツ、オーストリア、ハンガリーの各都市を回り、目的地で上陸、地元ガイド付きツアーに参加するのが日課。後は自由か、もちろんオプショナルツアーもある。
メリット:乗船客が少なく、待ち時間がない。メインの食堂は最少6人掛けで、たまたま同席した客と知り合える。スタッフのサービスは行き届き、連日組まれるプログラムもすべて滞りなく進められる。また、洪水による異常高水位のため閘こうもん門が通れないというハプニングにもあったが、向こう側に船を待機させ、乗り継ぐバスも手配済みと臨時措置も完璧。ちなみにこのルートにはなんと68の閘門がある。
よく気が付くウエーターたちと船内で記念撮影
デメリット:小さな船のせいか、値段が高い。最低でも一人7,000カナダドル強、さらに飛行機代2,500カナダドル。つい、昨夏に行った1,200カナダドル強のバンクーバー発アラスカ・クルーズと比べてしまう。値段に見合う料理を期待したが、乗客の9割を占めるアメリカ人好みの味で今ひとつ。食事中のワインやビールが料金込みになっているのも、飲めない私たちは割りを食う。英語がドイツ(?)なまりで、特に補聴器を付けた自分にはツアーの案内は八割方解せない。ほとんどシニアにもかかわらず皆よく食べ、よく飲み、やかましい。
アムステルダムの市内を流れる運河に浮かぶハウスボート街。若者に道を尋ねたらさっとスマホを取り出し、道順を見てくれた
乗船客にはこんな人たちが。
❶ 政治の話題は避けるのが暗黙の了解も、ある夜ラウンジで突然メリサ・マッカーシーを思わせる50歳前後の白人女性が「自分はトランパー(トランプ支持者)ではないよ」と自己紹介。自分のことを面白おかしく話し続け、彼女の性格や生活ぶりがよくわかった。聞き手に嫌がられることなく自分のことをこれだけ話せる才能は尊敬すらする。同年代の仲間10人とカリフォルニアのパサデナ郊外から来たという。ちなみに仲間の中にトランパーが一人いるらしい。
ハンガリーの首都、ブダペストのドナウ川沿い。ファシズム団体「矢十字党」による迫害で犠牲となったユダヤ人の住民が、銃で撃たれダナウ川に突き落とされた、悲しい歴史を物語る記念彫刻 ▶︎
❷ 食事の席を共にするのは、どうしてもアジア系の方が楽。サンディエゴに住む香港系とベトナム系移民のカップルは、両人とも一見近寄り難いが、話すと親切な良識派。たまに通りで物乞いする人を見かけると、夫人がコインを落とす。夫は旅のこともよく調べ、物知り。ふとした拍子に彼らはトランプ派と聞いたので、思い切ってその理由を聞いてみた。夫人は、「選挙はあまり追わないが、一つはっきりしている。バイデンの息子は捕まったが、トランプの子どもたちは罪に問われていない。子育ては親の責任と思うと、この子にしてこの親あり。トランプの方が尊敬できる」と言う。いろんな見方があるものだ。
❸ 食事の仲間がアメリカ人だと、会話に出てくるスラングやフレーズがイマイチわからず、北米生活50年経ってもいまだに会話が長く続かない。それでも5組ほどの白人カップルと知り合えた。彼らは退職後、フロリダやアリゾナ等、南部に移住してのんびり過ごしているという。異色のペアは、オンタリオ州北部の田舎に別々に住む母娘。カナダ人のせいか、白人なのに我がアジアグループに入ってしまったのは、お互いに肌に感じる何かがあったのだろうか。
❹ バージニア州在住の同年配の日本人女性は、博識で穏やかながら、いつも笑顔を絶やさず親しみやすい。台湾出身の夫は昔堅気なのか多くを語らず、腰痛持ちにもかかわらず凛として立派。夫の面倒をよく見る彼女。クルーズをあと2日残して、痛みに耐えられなくなった夫とウイーンから帰国することになった前日、船のスタッフとしっかり連絡を取って準備を整えた真摯な姿は印象的だった。名刺を渡したが連絡が来ないので、手術でもしたのか、と心配だ。
スマホカメラがあると、つい旅の写真が多くなる。自分の目でしっかりと愛でるべきであった(下と左下)
完成まで7世紀弱かかったといわれる、ゴシック建築様式で名高いドイツ・コロン市の大聖堂。50年前にも訪ねたはずなのに、このユネスコ世界遺産を愛でた記憶がない(左と右上)
ドナウ、イン、イルツの3川が合流する、ドイツ、パッサウ市。オーストリアの国境に近く、カトリックとプロテスタントの共存が定められた「パッサウ条約(1552年)」で有名(下)
オーストリアの首都ウイーン。思えば日本脱出後、ギリシャからシアトルに移住する前、2週間滞在した。当時、ウイーン国立歌劇場の近くにあった数少ない日本食レストランでウェイターをしていた。写真は幼いモーツァルトがマリー・アントワネットに求婚したとされる「鏡の間」があるシェーンブルン宮殿にて