クリスマスより正月
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「また、うっとうしい年末だ」と、家族がないせいか、北米に50年住んだ今でも、周りが浮かれるクリスマスには慣れない。幼い頃はクリスマスを楽しんでいた。当日朝に目が覚めたら枕元に置いてあるプレゼント。母は「サンタさんが置いていった」と言ってニンマリ。クリスマスイブにはイチゴのショートケーキを家族で食べた。でも、それだけ。
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日本ではスーッと通り過ぎたが、シアトルでひとり暮らしをしていた時は、年末になると憂鬱だった。クリスマス・ディナーに招待してくれる友人家族もあったが、「さびしいと思われているのでは」と勘繰り、断っていた。参加して贈り物を交換するのもお金がかかる。正直、何を買ったら良いのかもわからない。ひねくれ者の私は、多くの人が大移動するこの時期、大雪で飛行機が遅れたとか、空港に長い列ができたとかニュースを聞くたびに「天気は悪いし、運賃も高いこの時期にどこへも行かなくて済む」と、ひとりほくそ笑んでいた。
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クリスマスを愛する人の気持ちを害するつもりはない。要は、大勢がやるからと言って自分も素直に従うのは嫌だという反発心だ。また、神の存在すら信じない私は、クリスマスに限らず、そもそも宗教的なイベントに価値を見出せないでいる。人々は「メリー・クリスマス」や「ハッピー・ホリデー」と挨拶を交わすが、私はちっとも「メリー」な気分ではなく、むしろ「くるしみます」なのだ。
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11月半ばになると、テレビやラジオはあたかも皆が聴きたがっているかのように一連のクリスマス音楽を鳴らし始める。そう、私は型にはまらない人たちを無視してしまう習慣が嫌なのかもしれない。
日本にも、西洋のクリスマスに準じる日本の慣わしがある。それは、正月。私の子ども時代は年末に人が集まって、土間で餅つきをした。忙しくも楽しそうに動き回る大人たちを見ていて心が躍った。元旦の朝には決まって分厚い年賀状の束を受け取る。お年玉付き年賀状をクラスメートや教師に必ず出したものだ。真っ白の割烹着を着て髪を整えた母が雑煮を作り、訪問客をおせちと酒でもてなす。母が急にきれいに見えてうれしくなる。訪問客はお年玉の入ったポチ袋を置いていく。そして母が「これは貯金よ」と言って、たんすの上のほうにしまう。一体、あの貯金はどこへ行ってしまったのだろう。
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考えてみればクリスマスは、私が子どもの頃から喜んで従ってきた正月の西洋版。だから西洋人は抵抗なく喜んで続けるのだろうから、悪くは言えない。最近の日本でも、クリスマスイブは恋人とデートをする日で、家族がそろうのはやはり正月だそう。
昨年末のクリスマスはシングルの友人同士集まった。名付けて「嫌クリスマス」パーティー。私はやはり、クリスマスより正月がいい。