こくさいりかい(後編)
コロナ禍の夏も趣味のピックルボールを楽しめたことは幸運だった。利用するのはもっぱら、キャピラノ山に行く途中に昨年完成した屋外の専用公営コートだ。ノースショアと呼ばれるこの一帯は、欧系、イラン系、インド系各1世移民が多く住み、周辺のコートはさながら当地の多様人種構成の縮図。シアトルの総領事館退職後、異文化間で育った他人同士の意思疎通は個人対個人とミクロ化しているが、かえって中身が濃くなったようにも思える。
ある時、その地域のピックルボール・コートで、イラン系女性と言い争いになった。いつもフレンドリーな彼女だが、自分のプレーが終わっても「もう1回」とばかりに誰彼かまわず誘う。待機していた私に「どうして誰も私とプレーしたがらないの?」と尋ねる彼女に、興奮気味だった私はこの際と「待っている人がいるのに続けてプレーしたがるから、皆嫌気がさしているんだ」と怒鳴ってしまった。加齢のせいか、子どもの頃に戻ったように、小さなことでも気にかかるようだ。彼女はショックを受けたのか、しゅんとしてコートから立ち去った。「言い過ぎたかな?」と心配した私は翌日、彼女にまず自分が怒鳴ったことをわび、「日本や韓国では他人優先が社会常識なんだ。あなたの祖国ではどう?」と、無邪気とも皮肉とも取れる質問をした。彼女は「イラン人は礼儀正しいわ。ピックルボールをやっているとつい興奮し過ぎてしまうの」と弁明。「それなら価値観は同じだね」と、本件は笑顔の結幕となった。
また、バンクーバーの仲間十数名とノースショアの無料コートでプレーしていた時、地元民と思われる白人女性が「バンクーバーから大勢やって来るのはなぜ? ほかの人たちも言っているわ。税金を払う地元民がコートで優先されるべきよ」と責めるように言ってきた。邪魔者扱いされたと思った私は、「自分がボランティアで管理しているバンクーバー市内のコートにはノースショア住民が多くやって来るが、あなたのような質問をしたことはないよ」と言い返すと、「料金を払えばどこから来ようと問題ないでしょう?」とうそぶく。近所の住民が「よそ者」でコートがふさがれているのを見るのは、確かに良い気分ではないかもしれない。しかし、「住民ファースト」の考えはいかがなものか。
彼女はこれを機にピックルボール関係の団体宛てに抗議メールを出していた。自分を含むバンクーバー・グループ間でメールのやり取りをした結果、公営コートの使用は30分の規定さえ守れば住所は問わないとの言質を取ることができ、一件落着。テリトリーを守ろうとするのは動物的本能ではあるが、人間に「理性」が備わっていることは世界共通だ。このような誤解を招きそうな場面に遭遇した場合、人類の持つ生活の知恵を最大限に駆使して対応すべきと考える。