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時間のゆとりは 心のゆとり

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バンクーバーで友人とクリスマスにダンスパーティを楽しんでいる筆者写真左側
退職してカナダに移住してから2年経った。シアトルで働いていた40年間は雇用期間が長くなるにつれ仕事の責任範囲が広がり、特にコンピューターが普及するようになってからは日増しに忙しくなった。今思えば「次は何をしなければならないか」と常にあくせくしている自分が普通だった。一人暮らしなので、掃除・洗濯・庭仕事・炊事など、すべて自分でしなければならなかったし、休暇を取っても、前後はオフィス業務の準備・後始末に追われ、携帯電話が普及してからは休み中でさえ連絡を取ることを余儀なくされた時もあった。
60歳を過ぎた頃からは特に事務消化速度が遅くなったのか、それとも仕事のノルマが増えたのか、恐らく両方だろう、ずいぶん働かされた。シアトルの宇和島屋で知った人に会っても立ち話をしている余裕がなく、最低限の挨拶のみで失礼したこともしばしば。
慣れというものは恐ろしい。退職後も「次は何をすべきか」意識が続き、時間が会ってもなかなか心に余裕が出て来ない。外を歩くのも早足。何でも早くしなければならないという意識が抜けないのだ。時々それに気付いて「もうあせる必要はないのだよ」と自分に言い聞かせる始末だった。
そうしているうちに、以前なら、今日できることは今日中にやってしまうのが鉄則だったが、退職後2年が経った今ふと気が付くと、「今日やらなくても明日やればよい」と、のんびり処理できるようになっている。そういえば、出先で偶然知り合いに会った時でも、時間にせかされずに立ち話ができるようになった。自由時間が一日10時間も増えたのだから当然かもしれない。さらにはこの波及効果であろうか、あるいは「余生をなるべく楽しく」という意識が芽生えてきたからだろうか、近頃は無愛想な人に会っても気分が腐らなくなった。
人の態度や気分に左右されなくなったのは時間と心に余裕ができてきたということなのだろうか。それに付随して、わがままな自分にも他人に対する愛情や共感する能力が養われてきたのだろうか。
私が参加しているブック・クラブの今回の課題本は日系カナダ人、ルース・オゼキ著の『A Tale for the Time Being(あるときの物語)』だが、この中に100歳を超える日本人の尼さんが登場し、ひ孫に、「私は長生きするため、時間を長く伸ばして何でもゆっくりゆっくりするのよ」と冗談を言う下りがあるが、尼さんの言いたいことが何だかわかる気がする。思えば子どもの頃、悪さをして母親から叱られた時、祖母がいつも自分を優しく庇ってくれたのは、年を取ると人に優しく出来るようになるからなのだな、と今なら思える。
[カナダで再出発]
武田 彰
滋賀県生まれの団塊世代。京都産業大学卒業後日本を脱出。ヨーロッパで半年間過ごした後シアトルに。在シアトル日本国総領事館に現地職員として39年間勤務。政治経済や広報文化などの分野で活躍。ワシントン大学で英語文学士号、シアトル大学でESL教師の資格を取得。2013年10月定年退職。趣味はピックルボールと社交ダンス。