Home 観光・エンタメ シニアがなんだ!カナダで再出発 網膜裂傷

網膜裂傷

シニアの間で盛んなピックルボール夏はアウトドアでプレーしピクニックも楽しむ90歳と92歳の男性がミックスダブルスでプレーしていたこともその年齢になってもプレーができることを切に願う

今年2月、両目の白内障手術をようやく終えた。窓から高層ビルの輪郭がはっきり見えると喜んでいたら、5月末、急に右目の視界が怪しくなった。フローターと呼ばれる、黒点やクモの巣模様、白い雲のような膜が浮かんでは消える。周りのシニアは「そんなの普通。私なんかしょっちゅうよ」と言うが、心配性の私は再び眼科医にかかった。検査すると、網膜裂傷が数カ所見つかった。すぐに専門医に回され、裂傷が再確認されるとそのまま手術室へ。何種かの目薬がどくどくと目に落とされる。やがてアジア系の手術医がやって来るも、英国風アクセントが聞き取りにくい。この日はもうひとりの医師が不在で、午後5時という遅い時間も災いしてか、それとも性格なのか、態度が荒っぽい。10年前、シアトルでも同じ手術を左目にしたが、その丁寧さに比べ、今回の「ハイ次」的な扱いには不安が募る。

手術が始まると、「うわっ、こんなのあり? 目がつぶれそう」と、いきなりパニックに。まぶしい黄色のサイケデリック模様が視界に広がり、視界はやがて無数の星のような点々で埋まる。医師は眼球のあちこちを乱暴に押さえ、裂傷目がけてレーザー・ガンで光をこれでもかとガンガン打ち込む。痛みはあまりないが、不快感が半端ない。「こんなの耐えられない」と思うも、「まな板の鯉」である。

長~く感じた15分の治療がやっと終わる。「先生、ずいぶん荒っぽいね」とは言えず、ずっと外交畑にいたためか礼儀が勝り、いやいや謝意を述べる。ピックルボールは1週間NGとのこと。目を押さえながら、悲しく頭を垂れて帰途へ就く。家に着いて1時間もすると、正常の視力に戻った。

サプリメントの種類が徐々に増えるわが薬棚果たして効果は

次のアポから、本来の担当である柔らかな物腰の中年医師が応対。安心した矢先、検査で再度裂傷が見つかり即再手術へ。治ったと思っていた私はがっかり。「加齢によるもの」だと、近頃よく聞く理由が返ってきた。加齢が原因と認めたくないので、早速インターネットで調べると、白内障の手術後は網膜剥離になる可能性が1.5%あるという。網膜裂傷はその前兆で、主な自覚症状は視界に光が走ったり、フローターが増えたりすることだそうだ。そんな警告はなかった。宝くじに当たったこともないのに、こんなのに限って、わずか1.5%の確率内に「当たる」とは……。結局、5回目の受診で、やっと裂傷なし。その日は医師とハイ・ファイブを交わし、帰るとピックルボールを4時間プレーした。

部屋の窓を覗けばバンクーバーのダウンタウンの風景がくっきりと遠くにはイングリッシュベイも垣間見える

私のようなケースはやはり「稀」だそう。しかし「裂傷の間に治療すれば、治るもの」とも言う。私はポジティブな面を見るようにした。年を取り、体にいろんな故障が出るにつれ、こういう風に逆境にめぐり合っても、明るい事実に焦点を当てるようにするのがシニアの生き方か。

武田 彰
滋賀県生まれの団塊世代。京都産業大学卒業後日本を脱出。ヨーロッパで半年間過ごした後シアトルに。在シアトル日本国総領事館に現地職員として39年間勤務。政治経済や広報文化などの分野で活躍。ワシントン大学で英語文学士号、シアトル大学でESL教師の資格を取得。2013年10月定年退職。趣味はピックルボールと社交ダンス。