きものコーディネーター、
一般社団法人きものアート
鵜川 有さん
着物を日常の中で自由に、洋服のように楽しんで着る「和遊着®︎」というコンセプトを提唱する鵜川有さんは、娘の香山真理子さんと二人三脚で「きものアート神戸・シアトル」を運営しています。着物の世界に飛び込んで60年。日米、アジア、さらにはヨーロッパと、今なおエネルギッシュに活躍の場を広げる鵜川さんの半生をひもときます。
取材・文:加藤 瞳 写真:本人提供
鵜川有(鵜川由紀子)■ 兵庫県芦屋市出身。神戸市内の老舗呉服店カネ照に嫁いだことをきっかけに、女将として着物のプロを目指す。1985年、「カネ照きもの着付学院」を設立。1990年に「近畿和装着付協会」を創立し、1993年には「You&有きもの着付学院」へと発展させ、新時代の着物コーディネートを打ち出す。翌1994年、「ブライダルグループ You&有」を立ち上げブライダルの世界にも進出。阪神・淡路大震災以降、着物を自由に洋服感覚で着こなす「和遊着®︎」を提唱。2010年、着物文化普及のため、NPO法人「愛loveきもの幸の会」を発足。2019年、一般社団法人「きものアート/KIMONO ART」設立。シアトルでは毎年成人式USAで着物を提供するほか、ジャパンフェアなどさまざまな機会でショーを開催している。
「お嬢様」から「女将」へ
神戸とシアトルを行き来しながら、日本の伝統文化である着物を世界へ発信し続ける鵜川有さん。その生まれは意外にも、兵庫県芦屋市の洋風家庭だった。ピアニストを父に持ち母も音楽家。幼い頃からクラシック音楽に親しんで育ち、着物文化とは対極の生活。「男の子だったらピアニストに、女の子だったら嫁いで普通の奥さんになりなさい、という感じでした」
クラシック音楽に囲まれて育った子ども時代。「今でもピアノはお上手ですよ〜」と真理子さん
1965年、いとこの友人として知り合った元秀さんと19歳で結婚。元秀さんが老舗呉服店カネ照の後継ぎだったことで、人生が大きく変わることとなる。「呉服屋に嫁いだらどうなるかとか、そんなこと全然考えないで結婚しちゃったものですから。新婚旅行から帰ってきた翌日にはもう店頭に立って、販売に携わりました。着物の知識なんて全く無かったし、着物に必要なものが何なのかすらわからなかった。それに家族のおさんどん仕事もしていましたので、もう毎日、その日一日をどうしていくかでいっぱいいっぱいでした」と当時を振り返る。
カネ照呉服店へのお嫁入りが人生の大転換!
「着物を着る」ということは現代の日本人にとっては一大イベントだが、当時はそれが日常。「お嫁にいくときは、嫁入り道具としてまず小紋、紬といった普段着、そして訪問着、留袖、羽織、コートといったそれぞれの着物を全て誂ていく。入学式、卒業式には無地の着物に黒の羽織を着て……」。そんな当たり前が急速に変わっていった高度経済成長期。その真っ只中で、鵜川さんは変化を肌で感じていた。「着物からだんだんと洋服の生活になっていき、日常で着ることが減っていった。着物を売っても、自分で着れない人が多い。『着れない』と、『着ない』ですよね。着物は自分で着れてこそ価値がある。そうでなければタンスの肥やしです。だから『着る』機会を増やさないとって、着付け教室を始めたんです」。1985年のこと。着物人口を増やしたい、それが鵜川さんの思いであり、今の活動の原点だ。
カネ照呉服店女将時代。反物を巻くスピードはまるで神業! 真理子さんも子どもの頃にはお店やさんごっこでよく真似をしたそう。呉服店ならではだ
たっぷりと肩揚げ、腰揚げがなされた真理子さん3歳の着物は、お宮参りの産着を仕立て直したものを7歳まで着用。「帯も重くて、ランドセルを背負ってるみたいにしんどそうな顔して写ってますよね」と笑う
真理子さんの晴れ着で迎える、孫のハンナさんの7歳の七五三
「和遊着®︎」の誕生
1995年1月、神戸を襲った未曽有の大地震、阪神・淡路大震災。東灘区にあったカネ照も店舗が全壊した。「店がつぶれ、家がつぶれ、マイナスからの出発でした。私に何ができるか考えたとき、着物しかないと。着物で何ができるかなって、そこが始まりです」。被災者のために無料開放された豪華客船「ホテルシップシンフォニー」で、浴衣のファッションショーを開催した。「お風呂上がりに何かみんなに和んでもらえないかって、提案したんです。ただ浴衣を着て見せても面白くない。短く着てミニにしよう。ドレスにしてみよう。角帯でスニーカーを履かせてみよう。洋服感覚で、袖を肩までたくし上げてあみタイツを履かせよう。着物を前後ろ逆に着せてみたり……。『ええ!』という驚きですよね」。被災した人々に笑顔になってもらいたいという一心から始まったこのイベントは、またたく間に話題となった。
阪神・淡路大震災(1995年)の被災者に無料でお風呂を提供したホテルシップ、シンフォニーで開催した浴衣ショー。「和遊着®︎」が誕生した瞬間だった
「ただ綺麗に、着崩れないように着るのが着物ではなくて、もっと楽しんで着てもいいんじゃないかと気づきました」。鵜川さんが提案する和遊着®︎は、斬新ながらも、ほどけばまた一枚の普通の着物として着ることができる。「日本の伝統文化を崩すな」という元秀さんの考えと、鵜川さんの新しい発想が対立したこともあった。しかし、和遊着®︎の根底にあるのは、着物の原点を尊ぶ精神であり、古いものも現代の感性にアップデートしながら、後世に伝えていきたいという願いなのだ。「伝統を守りながら現代を演出するというのが私のモットーなんです。私は絶対に着物を切りません」と強調する。
着物は、人の一生に寄り添うものだ。産着から七五三、成人式、婚礼衣装、喪服と、人生には着物の歳時期がある。鵜川さんは、その全てを網羅するプロだからこそ、新提案を打ち出すことができる。もちろん、そのための研鑽も常に重ねてきた。一級着付け講師を取得後、着物支度をトータルでサポートできるようにと、50歳で美容師免許まで取得した。さらには花嫁着付けの講師資格を取り、ブライダルコーディネーターとして活動。「厚生労働大臣が認定する『一級着付け技能士』も含め全ての資格を取得しました。全てができるから、何がきても怖くないんです」。新発想の礎にあるのは、本物の着付けができるという自信なのだ。
「これは私が選ぶ!」と、鵜川さんが真理子さんのために仕立てた振袖は、袖を切り、今では色留袖として愛用されている。形や、合わせ方を変えながら、人の一生に長く寄り添っていけるのが着物の魅力だ
真理子さんの花嫁姿は、すべて鵜川さんの手によって着付けられた
着物はアート
震災後、店舗で商品を見せ販売するのではなく、個人サロンというビジネススタイルに転換した。「顧客を展示会場にお連れしてお買い物のお手伝いをします。着物の着方の提案は、ただ反物に帯を合わせるだけでなく、襦袢に始まり、そこにのせる半衿、帯締め、帯揚げと、トータルでコーディネートをサポートすることなんです」。さらに、着物は売ったら終わりではない。染め替えやお直しによって生まれ変わらせることもサポートの一環であると、メンテナンスも広く請け負っている。鵜川さんが特に目を輝かせて教えてくれたのは「作家さんとお客様を繋ぐ」という役割。「細田あずみ先生という臈ろうけつ纈染の作家さんを応援しているんですが、彼女はその技術もさることながら、発想がすごい。タコやワニのデザインとか、どんどんユニークな発想が出てくる。これぞ着物アート! という感じですよ」。女性として初めて染色領域での博士号を取得したという人気工芸作家の細田あずみさんは、2016年にはシアトルでも講演会やワークショップを行った。
2014年、シアトル・アジア美術館にて「デコ・ジャパン 着物浪漫飛行」開催
鵜川さんは常々「着物界のピカソになりたい」と明言している。「私の親友が昔ね、『鵜川さんは、着物を逆に着せたり、ドレスにしたり、そんなんピカソやわ』って言ったんです。じゃあそれ目指そうか! って」。屋号の「きものアート」はそこから生まれた。「一枚12メートルの布から作り上げる着物、そして帯結びはまさにアートそのものなんですよ」
鵜川さんがトータルでコーディネートした花嫁衣装
鵜川さんの活動を後押ししたのは、夫の転勤に帯同しシアトルで暮らしていた娘の真理子さんだ。「孫に会いに母もちょくちょくシアトルに来てくれていて、ベルビューの秋祭りに一緒に遊びに行くこともありました」。東日本大震災が起こった2011年、ゲストとしてイーストサイド日本祭りの会(ENMA)から招かれ、「絆」をテーマに浴衣ファッションショーを開催した。神戸から鵜川さんほか5名の着付講師が来米し、留学生や地元の住人など30人近くのモデルが参加する盛大なショーとなった。それが評判を呼び、翌年には北米報知財団主催の着物コーディネート・ショーが和みティーハウスで開催されるなど、毎年シアトルでイベントが催されるように。その活動資金を確保するため、真理子さんが七五三や、成人式のスタジオ撮影をシアトルに開設したのが、今のきものアート・シアトルサロンだ。日本では表参道のブランドショップで店長を務めていたという真理子さんの手腕が、縁の下の力持ちとして母である鵜川さんを支えている。
着物文化の裾野を広げる
大盛況だった今年の成人式USA。代表スピーチを務めたソフィア・パレルモさんの振袖をきものアートが提供したほか、レンタルでの支度や撮影、祖母の着物を着たいという参加者の着付けなど全面的にサポートした。「きものアートでは、常時新作を入れながら、常に多数の厳選された着物を用意しています。時代を超えて愛される古典的なものを中心に、日本各地の伝統工芸や貴重なビンテージ、気軽に着れる化繊素材の着物まで多彩に取り揃え、世界各国からのお客さまの個性や文化背景に寄り添った着物選びを可能にしているのも、当店の特徴です」と真理子さん。
日本の着物業界は今、伝統から離れたモダンな柄や色合いがトレンドだそうだ。しかし鵜川さんは、やはり古典柄にこそ着物の良さを覚えると言う。特にそれを実感するのが「ママ振袖」。「お母さんの着物を着る『ママ振袖』が流行っています。小物を替えて、現代風にコーディネートすることでモダンなアレンジができます。先日もおばあちゃまの着物と帯を身につけた方がいましたが、やっぱり素敵でした。昔の着物はメリハリが効いているんですよね」。斬新な着こなしを提案する鵜川さんの言葉だからこそ重みがある。
孫のハンナさんの成人の振袖は、真理子さんと2人で着付け。地毛で結った見事な日本髪は中澤裕氏によるもの。ジャパンフェアでの一コマ
シアトルのサロンもすぐに軌道に乗ったわけではない。最初の頃はその価格設定に戸惑われたことも。「長年、家族の着物を大切に受け継いできた日系コミュニティーにとって、新しい着物や専門的なサービスへの投資は、新しい価値観との出合いでもありました」と経営を一手に担う真理子さんは振り返る。「予算や好みに応じて骨董市の京都アート&アンティークスを紹介することもあります。お客さまと一緒に行って、まずは着物への興味を育むことから。着物への理解が深まるにつれ、手にした反物を自分のサイズに誂えたい、色あせた着物を染め直したいといったご依頼を頂くようになりました。コストを抑えるために、着物の縫い合わせを解く『トキ』の作業をご自身でお願いし、袷の裏地をなくし単衣に仕立てる提案なども積極的にしました」。異国の地ならではの独自のスタンスで着物文化を広めている。「ご両親やご祖母様から受け継いだお着物を処分したいという相談があれば、おたんす整理に出向きます。バラバラに保管されている着物と帯をコーディネートし、関心を深めてもらうことで、残すものと手放すものをアドバイスしたり。日々の着用で染み抜きが必要な場合は、大切なお着物を手持ちで日本に持ち帰ることもします。」提案からメンテナンスまで、トータルで着物ライフを支える心強い存在だ。2人が心がけるのは、「お客さまに寄り添う着物」の提案。「その日一日を気持ち良く、着物を着て良かったと思って過ごしていただくことですね」
メイデンバウアー・センターで開催された今年の成人式USA。代表スピーチを務めたソフィア・パレルモさんの豪華な振袖は、鶴や亀甲、青せいがいは海波の伝統的な縁起柄がふんだんにあしらわれ、ひときわ艶やかだ
今、鵜川さんは、母娘でともに着物の仕事に携わる喜びをかみしめている。そんな鵜川さんにとって、着物を着ることとは何か尋ねた。「着物は文化であるとよくいわれますが、母のぬくもりであったり、子どもの成長を垣間見る楽しみであったり、日本の心を感じる素敵な衣装だと思います。着ていく場所に応じた着物を選び帯を合わせ、半襟、帯揚げ、帯締めで自分流のおしゃれを楽しむ事ができる唯一無二のものです。これからも着物の継続と継承に尽力する所存でございます」
きものアートKimono Art Seattle/Kobe
■サービス
七五三、結婚式、成人式、卒業式などの着物レンタル、着付け、ヘアメイク、前撮り撮影をトータルでプロデュースする。事前に40分の無料相談がつくので気軽に相談を。また、日本の専門業者と連携し確かな品質の洗濯・メンテナンスも提供するほか、着付レッスンも希望があれば行っている。
■問い合わせ
☎︎425-785-5853、contact@kimonoart.org(担当:香山真理子)