2月2日、パイオニア・スクエアにイタリアン・レストラン、ビサト(Bisato)が開店しました。料理界のアカデミー賞と呼ばれるジェームズ・ビアード財団賞を始め数々の受賞経験を持つ有名シェフ、スコット・カールスバーグ氏の最新店舗として注目を集めています。同店をマネジメント側から支えるのが、シアトルの和食シーンを牽引してきた高橋 進さん。これまでの軌跡をたどると共に、77歳にしてイタリアンという新たな挑戦を選んだ理由を明かしてもらいます。
取材・文:室橋美佐 写真:ビサト、本人提供
感謝を込めて、これまで重ねてきた経験を
何かの形で次の世代へ残したいという思いがありました
時代と共に次々と新たな人生のステージへ
京都外国語大学を卒業し、日本で商社勤めをしていた高橋さんが、初めてシアトルへ渡ったのは1969年。京都先斗町にあった料亭の女将に頼まれて、シアトルでの骨董店開業を手伝うことになったのがその理由だ。「飛行機から初めて眺めたオリンピック国立公園の美しい風景を、今でも覚えています」と、高橋さんは振り返る。その後、1度はシアトルを離れたものの、1978年に義兄が経営する会社に入社すると、今度は同社のシアトル進出を指揮することになり、再び日本からシアトルへ。ここで、高橋さんが初めてレストラン開店のプロデュースに携わる機会がめぐってくる。「義兄の会社から出資を受けて、アメリカでブームになっていた鉄板焼
きをメインとする店をオープンすることになりました。場所は、当時まだ田舎らしい風景が広がっていたベルビュー。ちょうど80年代以降のベルビューの目覚ましい発展と、景気の良かった日本人コミュニティーの拡大もあって、一躍繁盛店となりました」。鉄板焼きと寿司の店、カモン・オブ神戸は1982年の開店以来、着実に人気店としての地位を築いていった。しかし、90年代に入ると義兄の会社が海外店舗を縮小することになり、カモン・オブ神戸も閉店。そこからまた、高橋さんの新しい人生のステージが始まる。
「シアトルに残り、ファイナンシャル・プランナーの仕事をするようになりました。1994年から2008年まで、保険やトラストなどアメリカの金融商品を日本の富裕層へ向けて販売していました」。そこで蓄えたファイナンスの知識は、その後のレストラン経営にも生かされることになる。
金融の仕事と並行してレストラン開店コンサルタントとしても働き始め、シアトルの有名レストラン・グループであるチャンドラーズの日本進出をサポート。チャンドラーズ・クラブハウス横浜や東京ベイ・チャンドラーズ・アメリカングリルのオープンを成功させた。「各方面の最高のプロを集めて、そこに必要な資金を投入すれば、プロジェクトは高いところまで飛べます。この時期に培った経験が、今につながっています」
2008年のリーマン・ショックを機に、ファイナンシャル・プランナーの仕事から退いた高橋さんは当時68歳。さらに別の人生のステージが待ち受けているとは、まだ知る由もない。「リタイアするまでの長い間、会社に属しながらグローバルなプロジェクトにさまざまな形で参加させてもらうことができました。リタイア後は、それまでできなかった活動がしたいと思いました。それは、地元コミュニティーへの貢献です」。地球規模で考え、身近な地域から取り組む「Think globally, act locally.」の精神。それを自分しかできない形で実践したいと考えた高橋さんはまず行動をと、ベルビューのシニア・センターで配膳や皿洗いのボランティアを始めた。加柴司郎シェフから、「寿司かしば開店のパートナーに」と声がかかったのは、ちょうどその頃。「これでまた、人生の新しいステージが開けました」
信頼できる仲間とビジネスを成長させる
2015年に、パイク・プレース・マーケット近くの好立地にオープンした寿司かしばは、地元客はもとより多くの観光客を引き付け、今や行列のできる名物店となっている。「日本人以外に多くのアメリカ人スタッフを採用しました。その方針は、最初にプロデュースしたカモン・オブ神戸から変わっていません。和食を知らないスタッフでも、アメリカ流の接客を身に付けた一流のサーバーであれば、それがベスト。和食については、あとから覚えればいいですから」と、高橋さん。寿司かしばが、アメリカ人富裕層を中心に人気を広げていった背景のひとつかもしれない。そんな寿司かしばに、客として訪れていたのが、シアトルのイタリア料理界の巨匠、カールスバーグ氏だった。
「新店舗オープンに協力して欲しい」。カールスバーグ氏が高橋さんに声をかけ、創立パートナーシップが動き出した。和食から離れて、初のイタリア料理へのチャレンジとなる。「一流のスタッフを集めるというサービスの根本は変わりません。シアトルでたくさんの方々にお世話になりながら、いろいろな経験をさせてもらいました。感謝を込めて、これまで重ねてきた経験を何かの形で次の世代へ残したいという思いがありました」と、高橋さんは引き受けた理由を語る。
ビサトの創立パートナーは、高橋さんのほか、勝子夫人、カールスバーグ氏、そしてゼネラル・マネジャーのマイケル・ドン・リコ氏だ。カールスバーグ氏は「彼とならできると思った。経営スタイルを尊敬している」と絶賛。高橋さんもまた「料理を口にすればすぐに『これはスコットの味』とわかる唯一無二のシェフ。彼を真似する人はいるかもしれないけれど、彼の経験までは盗めない」と、その腕を高く評価している。そして、かつて老舗ステーキ・ハウスのエル・ガウチョで働いていたリコ氏は、共に寿司かしばを大きくした盟友だ。「この年齢になると、本音で生きることができるようになるんです。無理をすることなく、信頼し合える仲間を集めて、心から良いと思うものを提供する。これまで重ねてきた経験や人脈を集めて、シアトルでイタリア料理店をオープンするのが人生の集大成。こんな人生も、なかなかいいでしょ?」。上品な京都なまりで話す高橋さん。その言葉ひとつひとつに深みが感じられる。
高橋さんは、ビサト出資のために自宅の半分を抵当に借り入れをした。喜寿を過ぎた高橋さんにとって、大きな賭けだろう。家族の反対はなかったのだろうか。「妻には、人生一度きりだからやりたいことをやったらいい、失敗してもいい夢を見させてもらったと思えばいいと言われました」。議論することもなく、すんなり了解したという勝子夫人は、高橋さんにとって、シアトルで共に人生を歩んできた同志だ。
開店に向け「信頼し合える仲間」が、ほかにも集まった。店舗デザインは、寿司かしばの内装も手掛けた松原 博氏が担当。椅子など家具の一部は、高橋さんの友人、クレイグ・ヤマモト氏による特注品だ。施工を行うメソッド・コンストラクションのジェイソン・ミナミ氏は日系4世で、これまで数々の和食店を請け負ってきた経歴の持ち主。イタリア料理店で「和のおもてなし」をしたいという高橋さんの思いが、こうした仲間たちとのチームワークで見事に形となった。
「パイオニア・スクエアというロケーションにも、大きな意義を感じています。ここは、中国人、イタリア人、スカンジナビア人、そして日本人と多様なバックグラウンドを持つ移民がシアトルを築いた創始の地ですから。ビサトは地元コミュニティーに貢献する店として続いていって欲しい」と、高橋さん。ビサトが入居するビルは、日系1世のナカムラ一家が所有するトラベラーズ・ホテルだった建物で、当時は日雇い労働に従事した移民たちが一時的な住居にしていた。現在は、シアトルのウッドランド・パーク動物園の設計で有名な建築家のイルゼ・ジョーンズ氏により、歴史的建築物として管理・維持されている。「レストランの経営方法はそれぞれですが、私の場合はビジョンを共有できる仲間たちと地道に1歩1歩、地元コミュニティーと結び付きながら成長していくスタイルがいいと思っています」
食の分野で実現されるボーダレスな世界
ビサトに足を踏み入れると最初に目に飛び込むのが、和風ともイタリア風とも言えるウォール・アート。高橋さんの京都の実家で使われていた障子窓を背景に、リノ・タグリアピエトラ氏によるベネチアン・ガラス工芸の花瓶が飾られている。アーティストのタグリアピエトラ氏は、カールスバーグ氏の親友だ。「最も大切にしているのはクオリティーです。美しいものは美しい。おいしいものはおいしい。クオリティーに国境はありません。障子もベネチアン・ガラスも職人が丹念に作り上げたもの。このウォール・アートは和とイタリアンの融合、そしてクオリティーの象徴なんです」と、高橋さんは説明する。
ビサトが目指すのは、イタリア料理や和食といった枠を超え、クオリティーという1点でつながる「国境のない食(Food without border)」、そして「壁のないサービス(Service without wall)」だ。ダイニング・エリアとの間に仕切りのないオープン・キッチンはカールスバーグ氏のこだわりで、同氏が2012年までベルタウンで開いていたビサト前店舗も同様のスタイルだった。料理人と食する人が同じ空間でつながる一般家庭のキッチン・ダイニングをイメージしている。「板前と客が向き合って、食を介してコミュニケーションを取る寿司バーにも通じるものがある」とカールスバーグ氏。料理人自ら、その日に仕入れた新鮮な食材を紹介しながら、目の前で最高の料理をし、できたてをテーブルに届ける、そんな理想の空間にできたと満足そうに語る。
シアトルの地で多くの挑戦を経験してきた高橋さん。「好奇心を原動力にここまでやって来ました。特にプランに沿って進んできたわけではありません。この角を曲がったらどんな眺めが待っているのか、見たことのない景色を求めて進んで来たら、今の場所にたどり着きました。挑戦の場を与えてくれたアメリカ、シアトルには、感謝の念に堪えません」。アメリカの寛大さ、自由、個人主義、ボランティア精神の中で、自分らしさを求めて進むことができたと話す。
ビサトのプロジェクトについては、店の運営が落ち着いたところで身を引く予定という高橋さんだが、そのあとはどんな人生プランを描いているのだろうか。「静かに老後を過ごすかもしれないし、また新しいことをするかもしれません。最後の曲がり角を曲がるまで、人生はどんな景色が待っているかわかりませんから」
この角を曲がったらどんな眺めが待っているのか、
見たことのない景色を求めて進んで来たら、
今の場所にたどり着きました
高橋 進(たかはしすすむ)■1941年に奈良で生まれる。京都外国語大学を1964年に卒業。1982年にシアトルで鉄板焼きと寿司の店、カモン・オブ神戸を開業。2015年には、パイク・プレース・マーケット近くに加柴司郎氏など数名と寿司かしばをオープンし、超人気店に。2019年、スコット・カールスバーグ氏らと創立パートナーとしてパイオニア・スクエアでイタリアン・レストラン、ビサトを開く。
ビサトBisato
ウエスト・シアトル出身のカールスバーグ氏は、14歳からレストランで働き始め、ニューヨークやワシントンDCの一流レストラン、そしてベネチア近郊メラノにあるミシュラン2つ星店で経験を積んできた。新しい食材を求めて世界を旅する同氏は、和食にも造詣が深い。「ずっと素材本来の味を引き出すシンプルな調理にこだわってきました。食材に恵まれているシアトルで育ったことも関係しているかもしれません。日本を訪れ、和食のコンセプトが私の考えそのものだとわかり、自分のスタイルは間違っていなかったと確信しました」と話す。目の前でスライスされる極上の生ハムから、イクラや松茸など和の食材を使った料理まで、カールスバーグ氏ならではのメニューがそろうビサトは、このバレンタイン・シーズンに訪れるにもぴったり。ぜひ本物のクオリティーを堪能しよう。
84 Yesler Way, Seattle, WA 98104
営業時間:5pm〜10pm
定休:月・火
☎206-624-1111 www.bisato.com