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カレン・マエダ・オールマンさん〜ブック・プロモーター

出版業界では近年、アジア系やLGBTQなど多様性を持つ作家の存在感が増しています。その陰の立役者が、カレン・マエダ・オールマンさん。キャピトルヒルにある独立系書店、エリオット・ベイ・ブック・カンパニーに勤務し、無名の著者から後のノーベル文学賞受賞者まで、幅広い書き手の作品を世に知らしめてきました。日本人の血を引き、同性愛者である自身も多様性を持つひとりです。

取材・原文: エレイン・イコマ・コウ
翻訳:大井美紗子
写真:『北米報知』より転載
※本記事は『北米報知』2022年1月28日号に掲載された英語記事を一部抜粋、意訳したものです。

カレン・マエダ・オールマン(Karen Maeda Allman)■元看護師で日本人の母親と、元パンク・ロッカーで白人の父親の間に生まれる。エリオット・ベイ・ブック・カンパニーに著者イベント・ブックセラーとして22年勤務。その間携わったイベントの数はおよそ1万回に及ぶ。書評や賞の選考なども行い、自身も名誉ある賞を複数受賞している。

アジア系移民への偏見にさらされて

カレンさんの母の前田俊子さんと父のジョセフ・オールマンさんは、東京で出会って神戸で結婚し、1957年にアメリカへ渡った。アジア系移民のアメリカ市民権獲得を認めるマッカラン・ウォルター法が制定されてからわずか5年後のことである。当時、異人種間での結婚はアメリカの約半数の州で違法とされていたため、俊子さんとジョセフさんは合法化されていた州のひとつ、カンザス州へと向かった。やがてカレンさんが生まれ、一家はカンザス州から沖縄を経て、アリゾナ州フェニックスに落ち着いた。

左から母の俊子さん父のジョセフさんカレンさん1960年代に撮影

フェニックスでの新生活は決して順調なものではなかった。異人種間の結婚が合法化されて間もないアリゾナ州では、アジア系移民に対する偏見がまだ根強く残っていた。俊子さんは英語に訛りがあるために無教養だと思い込まれ、カレンさんも学校で「おまえの母さんはゲイシャなのか?」、「母親に纏足(てんそく)させられているのか?」といった質問を受けた。じろじろ見られ、何かささやかれることはしょっちゅうだった。また当時、新1世(戦後、アメリカに移住した日本人)や、日本人、日系人以外と結婚した人々は必ずしも日系コミュニティーで好感を持たれていたわけではなかった。カレンさんたち一家はどこにも属さず、宙ぶらりんの状態だった。

カレンさんと母の俊子さん

それでもアリゾナの地に根を張って暮らすうち、一家は徐々に地域の人々に受け入れられ、親しい友人もできた。カレンさんの両親は生涯その地を離れることなく、2012年に俊子さんが、2016年にジョセフさんが永眠した。

夢だった同性パートナーとの結婚

カレンさんは大学院進学を機にフェニックスからシアトルに移り住む。しかし、シアトルの日系コミュニティーに溶け込むのもまた容易ではなかった。カレンさんは同性愛者であることを公言している。異人種間での結婚すら物議をかもすような保守的なコミュニティーで、同性愛者かつ白人とのハーフ、さらにシアトル出身でもない、よそ者のカレンさんは異端の存在だったのだ。カミングアウトをしたのは1978年のことだが、ある友人には「これできっと必要な助けを得られるようになるよ!」と、善意の「励まし」を受けた。

1980年代に作成した反ホモフォビアのポスター

一方で、支えてくれる多くの仲間に恵まれた。アジア・太平洋地域エイズ国際会議のメンバーのマユミ・ツタカワ氏やボブ・シマブクロ氏は、カレンさんと一緒にゲイ・パレードに参加したこともある。ジュディ・チェン氏、アルド・チャン氏とは共に反ホモフォビアのポスター・プロジェクト「Unite Against Homophobia」を立ち上げた。ポスター撮影に際してはさまざまなバックグラウンドを持つ人々が一堂に会し、被写体の多くは同性愛者の家族や友人であるストレート(異性愛者)の人々だった。ポスターはシアトルのインターナショナル・ディストリクトのそこかしこに張られた。「あまりにも多くの同志、特に若い人たちをエイズで亡くしました。だからこそ、私たちは勇気を奮い立たせることができたのです」とカレンさんは回想する。

1997年、カレンさんは同性パートナーのエリザベス・ウェールズさんと、かつてキャピトルヒルにあった気鋭の独立系書店、レッド・アンド・ブラック・ブックスで出会う。著作権エージェントのエリザベスさんとカレンさんには共通点が多かった。しかし、結婚は考えていなかったと話す。「私に結婚という選択肢が与えられているとは思ってもいませんでした。そこまで想像力が及ばなかったのです」。母の俊子さんは同性婚に懐疑的ではあったが、カレンさんとエリザベスさんとの関係は常に応援していた。

︎2012年12月6日妻のエリザベスさんと共に結婚許可証発行所にて

ワシントン州で同性婚を合法化する州法が施行されたのは、2012年12月6日。その当日、カレンさんとエリザベスさんは結婚許可証を取得した。お互い旅好きのふたりは、2019年に日本を訪れ、白川郷や京都、木曾谷、そして三重県にあるカレンさんの母方の実家を回った。エリザベスさんには子どもがふたり、孫もふたりいる。「新しい家族ができたことは、私にとって思いがけないギフトでした。孫たちは私のことを日本語で『バーチャン』って呼んでくれるんですよ」

マイノリティー作家の躍進を支える

両親はかなりの読書家だった。母の俊子さんは、『紀ノ川』(有吉佐和子)や『細雪』(谷崎潤一郎)といった日本の名作の英訳版をカレンさんに買い与えた。父のジョセフさんも、毎週土曜日になるとカレンさんを図書館へ連れて行った。そんな環境で育ったカレンさんが、やがて出版業界に関わる分野に進むのは必然だった。

エリオットベイブックカンパニーの木の温もりあふれる広々とした店内奥には近所の人気カフェにより営まれるブックカフェリトルオッドフェローズもコロナ禍で一時閉鎖中だが近日再オープン予定

しかし、最初から書店の仕事に携わっていたわけではない。以前は精神科看護師、また看護師を養成する看護教員として20年間働いていた。ただ、看護の業界は保守的なところがあり、新しいことに挑戦したいタイプのカレンさんはもどかしく思うことが多かった。

シアトルに移住して間もない頃、前述の書店、レッド・アンド・ブラック・ブックスの組織にボランティアとして参加。日系コミュニティーになじめず、自分の居場所を探し求めていたカレンさんにとって、そこは理想とする共同体だった。女性、ゲイやレズビアン、黒人、アジア系、ラテンアメリカ系、ネイティブ・アメリカンなどいわゆるマイノリティー作家による素晴らしい作品群を知り、見聞を広めた。

当時はマルチレイシャル(さまざまな人種の出自を持つ)作家、トランスジェンダー(生まれ持った性別と自認する性別が異なる)作家の作品は数えるほどしかなかった。転じて現在は、多様性ある作家の作品の黄金時代だ。黒人(Black)、先住民族(Indigenous)、有色人種(People of Color)の頭文字を取った「バイポック(BIPOC)」の書き手はもちろん、アジア・太平洋諸島系アメリカ人、アラブ系アメリカ人、移民と実に多様な作家の作品がそろう。さまざまな言語で書かれた作品が英訳され、町の書店の本棚に当然のように並んでいるのを見ると、カレンさんの心は弾む。

日系アメリカ人に関する書籍が並ぶ棚書店員の手書きポップはエリオットベイブックカンパニーの名物となっているもちろんカレンさんによるポップも多数

カレンさんにとってキャリアにおけるハイライトのひとつとなったブックイベントがある。シアトル公立図書館が作家を招いて行う「シアトル・リーズ(Seattle Reads)」の2005年の回だ。『あの頃、天皇は神だった』(原題:When the Emperor Was Divine)で長編デビューした日系アメリカ人作家のジュリー・オオツカ氏を取り上げた。ビーコンヒルの会場は満席で、第ニ次世界大戦中に強制収容所に送られた経験を持つ日系人も多く見られた。会場前列には、フミコ・ハヤシダさんの姿もあった。1942年3月、ベインブリッジ島で退去命令を受け、幼い娘を抱きかかえながらフェリーを待つ姿が写真に収められて一躍有名になった女性だ。当時、まだ子どもだった非日系人の参加者も、ある日を境に日系人のクラスメートが教室から姿を消した衝撃と恐怖、何より自分たちの親が沈黙を貫いていた不気味さを今でも覚えていると、往時の記憶を分かち合った。

全米図書賞翻訳文学部門の選考委員を務めて欲しいとオファーを受けたのは、2018年。ちょうど翻訳文学部門が創設された年だった。その年の最終候補には後のノーベル文学賞受賞者であるポーランド人作家のオルガ・トカルチュク氏の作品もノミネートされていたが、受賞作に選ばれたのはドイツ在住の日本人作家、多和田葉子氏の『献灯使』。多和田氏は過去に、エリオット・ベイ・ブック・カンパニーで朗読イベントを開催したこともある。

数年前まで、カレンさんはアジア系アメリカ人作家の本と見れば全て、個人的に購入するようにしていた。今は数え切れないほどあり、とても買える量ではないし、もし買えたとしても読み終えることは不可能なくらいだとカレンさんはうれしい悲鳴を上げる。「特に注目すべきは、韓国系アメリカ人作家の躍進です」。中でも『Tastes Like War』のグレース・М・チョー氏や、『The Magical Language of Others』のE・J・コー氏は目立つ存在だと言う。

出版不況でも「本は友だち」

好きな本はと尋ねると、カレンさんはまず、ジュリー・オオツカ氏の『屋根裏の仏さま』(原題:Buddha in the Attic)を挙げた。20世紀初頭、日本からアメリカに嫁いだ「写真花嫁」たちの生涯を美しい筆致で描いた1冊である。オオツカ氏は、2022年2月に新作『The Swimmers』を刊行したばかりだ。また、詩人で活動家だった日系3世のジャニス・ミリキタニ氏の復刊本も挙がった。性的虐待サバイバーとしての経験を公の出版物で語った数少ないアジア系アメリカ人作家のひとりだ。

翻訳物では、小川洋子氏の『密やかな結晶』、オルガ・トカルチュク氏の『ヤクプの書物』を愛読する。いちばん好きなジャンルは回想録だ。推しは、ニコール・チャン氏による『All You Can Ever Know』。韓国系移民の両親の元に生まれ、オレゴン州南部の白人夫婦の養子として育てられた作家の複雑な生い立ちをつづった自伝である。「最近、彼女のように国や人種を超えて養子になった人々の物語が書籍や映画になることが増えています」

エリオットベイブックカンパニー主催で行われたZoomイベントに際し作家のダニエルジェームズブラウン氏とサイン本を作成300冊あったサイン本はすぐに売れた2021年

オンライン化が進んで一般書店は苦境に立たされているが、カレンさんは「実際に書店を訪れることは何物にも代え難い体験です」と力強い。ふらっと書店に入り、書店員に話を聞いたり、本のカバーを目にしたり、本に添えられた推薦文を読んだりするうちに、「これこそ自分が探し求めていた本だ!」と1冊を手に取る経験は誰にでもあるはず。「そうした奇跡の出合いこそ醍醐味。オンラインでは味わえません」

エリオット・ベイ・ブック・カンパニーに足を運んでみよう。なかなか探すのが難しい本も、書店員の手を借りれば見つかる可能性が高い。黒人系日本人作家による小説や、強制収容時の日系家族を撮影した写真家の本も、カレンさんたちの手にかかればすぐにそれだとわかる。「スタッフおすすめ」の手書きポップを眺めるだけでも面白い。

カレンさんの父、ジョセフさんは「本は友だちだ」と口癖のように繰り返していた。「真心、興味、そして敬意の念をもって本を扱いなさい。書き手や将来の読み手にも思いをはせて、中身を味わいなさい。父はそう言いたかったのだと思います」。本と恋に落ちて欲しい。人生を豊かにする本を発見して欲しい。それがブック・プロモーターとしてのカレンさんの願いだ。


LGBTQ:性的マイノリティーとされるレズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クィア(またはクエスチョニング)の各単語の頭文字を組み合わせたもの。多様なジェンダー・アイデンティティー(性自認)を包括するため、LGBTQの最後に「+」を加えることもある。

※反ホモフォビア/トランスフォビア/バイフォビア:同性愛者やトランスジェンダー、バイセクシャルなどの性的マイノリティーに対する権利侵害や差別に反対し、意識を高める取り組み。偏見や嫌悪をなくすための支援を行う。5月17日は「多様な性にYESの日」(国際反ホモフォビア/トランスフォビア/バイフォビア・デー)。

※写真花嫁(Picture Brides):排日感情の高まりを背景に、1907年から1908年にかけて日米間で交換された書簡、覚書により「日米紳士協定」が成立し、明治政府は出稼ぎ移民の自主規制に乗り出した。家族の呼び寄せは認められていたため、日本から花嫁となる女性が、写真によるお見合いと文通のみで結婚を決意し、海を渡った。

エリオット・ベイ・ブック・カンパニー

1973年にシアトル初のカフェを併設する書店としてパイオニアスクエアで創業。多彩なブックイベントが評判を呼んでおり、オバマ元大統領や作家の村上春樹氏など各界の著名人も訪れている。2010年にキャピトルヒルへ移転。

Elliott Bay Book Company
1521 10th Ave., Seattle, WA 98122
営業時間:日〜木10am〜8pm、金土10am〜9pm
☎206-624-6600
www.elliottbaybook.com