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戦前のシアトル日系社会を支えた『北米時事』の歴史

姉妹紙『北米報知』の前身、『北米時事』の創刊から間もなく120年を迎えようとしています。北米報知財団がワシントン大学との共同プロジェクトで進めているデジタル・アーカイブ(https://content.lib.washington.edu/otherprojects/nikkei)から当時の様子がわかる記事を調査し、戦前のシアトル日系移民コミュニティーの歴史をたどります。

取材・文:新舛育雄

※記事からの抜粋は、原文からの要約、旧字体から新字体への変更を含みます。


新舛育雄山口県上関町出身。1974年に神戸所在の帝国酸素株式会社(現・日本エア・リキード合同会社)に入社し、2015年定年退職。その後、日本大学通信教育部の史学専攻で祖父のシアトル移民について研究。卒業論文の一部を北米報知で「新舛與右衛門 — 祖父が生きたシアトル」として連載した。神奈川県逗子市に妻、長男と暮らす。


戦前のシアトル日系社会を支えた『北米時事』の歴史①

まず、北米時事の誕生と創業時の主筆たち、各地から数多く寄せられた寄稿について見ていきましょう。

北米時事スタッフ1919年撮影パナマホテル内有馬ファミリー所蔵写真より

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戦前のシアトル日系社会を支えた『北米時事』の歴史②

バラエティーに富んだ記事の内容と、北米時事社社員一覧、発行から5,000号目の記念に関してを振り返ります。

1918年3月29日で発行5000号に達した

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戦前のシアトル日系社会を支えた『北米時事』の歴史③

北米時事の120周年を祝う特集の最後は、1910年台の終わりからの大きな変化と、時代に翻弄され、休刊となった経緯を紐解きます。

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