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INTERVIEW: ワシントン州日米協会理事長 カーリン・ザーグ・ブラックさん

政府機関であるシアトル港湾局で、多岐にわたる業務を担当するカーリン・ザーグ・ブラックさん。毎日が目も回る忙しさでも、カーリンさんは「天職」だと言い切ります。なぜなら「人と人をつなぎ、共通項を探すことに何よりの喜びを感じる」から。そう考えるようになったカーリンさんのルーツは、神戸での日々にありました。阪神淡路大震災から25年の節目を迎える1月17日を前に、現在までの軌跡をたどってもらいます。

取材・原文:ブルース・ラトリッジ 翻訳:大井美紗子 写真提供:本人、JASSW

※本記事は『北米報知』2019年11月8日号に掲載された英語記事を一部抜粋、意訳したものです。

地域のお祭りに参加するカーリンさんと他の留学生1988年広島にて

シアトルで生まれ、広島経由で神戸へ

カーリンさんが育ったのは、シアトルのキャピトルヒル。多様性に富んだ街だ。スティーブンス小学校、ミーニー中学校、ガーフィールド高校と公立校を進み、どの学校でも日本語、中国語、韓国語を話す友だちに囲まれていた。そんな環境に身を置いていたことが、アジアに興味を持つ、そもそものきっかけだったのかもしれない。ドイツ語話者の両親には勉学や国際性、留学の大切さを教えられて育ったが、いざ留学しようと考えた時に心引かれたのは、両親の生まれ故郷であるヨーロッパよりもアジアだった。

広島で高校のクラスメートたちと出かけた遠足

カーリンさんは国際ボランティア団体であるAFSのプログラムに参加し、ガーフィールド高校を予定より早く卒業して、広島市ののどかな農村地帯へと留学する。1988年のことだ。受け入れ先の高校にとっては、初めての交換留学生。ホームステイをしたのは3代続く山の上の農家で、自転車・バス・電車を乗り継ぎ、1時間半かけて通学した。熱心な先生たちの指導もあり、広島での1年間でカーリンさんの日本語はライティング、リーディング共に中学生レベルにまで飛躍を遂げる。その後、上達した日本語を生かすべく、カリフォルニア州ロサンゼルス・エリアにあるポモナ・カレッジへ進学して留学生寮へ入り、アジア研究を専攻。そこでは日本史と日本文学を学んだ。

その間、京都の同志社大学でも1年間学び、ホームステイを経験。その時期に集中して学んだことで、日本語スキルはさらに磨かれた。大学を出た後も、外国青年招致事業であるJETプログラムに国際交流コーディネーター枠で応募し、今度は神戸市へと渡った。神戸市は、姉妹都市であるシアトル出身で英語も日本語もできる人を探しており、カーリンさんはまさにぴったりの人材だった。

阪神淡路大震災、復旧現場の前線で

神戸には1993年から1996年までの3年間滞在した。「素晴らしい経験だった」とカーリンさんは振り返る。神戸市とシアトル市、神戸港とシアトル港は姉妹関係を結んでいる。外国領事や外国訪問団と調整を行いながら、カーリンさんは2都市・2港の橋渡し役として活躍した。その経験は、現在のシアトル港湾局での仕事につながっている。

1995年1月の阪神淡路大震災直後カーリンさんは災害救助犬を連れたスイスのレスキュー隊日本の消防庁と共に神戸で復旧作業を行った

1995年1月に阪神淡路大震災が発生した際も、神戸にいた。震災直後の1週間、現場で復旧作業に従事した。主な仕事は、災害救助犬を連れて神戸入りしたスイスのレスキュー隊と、日本の消防庁・自衛隊員たちの通訳。がれきの間から人を掘り起こすような最前線の現場で1週間、働き尽くした。その経験があるので、「今でも災害準備は常に怠らないようにしている」とカーリンさん。震災後、神戸市との雇用契約を延長した。理由は「徐々に復興していく神戸の様子を見守りたかったから」。2次災害対策のために、シアトルやその他さまざまな場所から支援者が訪れ、カーリンさんは彼らの通訳に奔走した。

シアトル市と神戸市の強いつながり

1997年にシアトルへ戻り、シアトル・神戸姉妹都市協会で働くことになった。翌年からは議長となり、18年にわたり務め上げた。シアトル市も神戸市も、複数の都市と姉妹都市提携をしているが、初めて提携を結んだのは、お互い神戸市とシアトル市。2都市は深い絆で結ばれている。

米国の姉妹都市制度は、アイゼンハワー大統領によって1956年に始められた。当時のシアトル市長であるゴードン・クリントン氏、ワシントン州知事のアルバート・ロゼリーニ氏を始め、シアトルの公立校の多くもこの制度を利用したいと要望を出し、翌年の1957年にはシアトル市と神戸市の姉妹都市提携が結ばれた。全米でもいち早くスタートした姉妹都市なのだ。

カーリンさんは、姉妹都市関係で要になるのは「草の根での人と人との交流」だと語る。「私たちは世界中の人とつながる必要があります。人とのつながりこそが、世界平和を実現する方法だからです」。より多くの人がつながり、世界がより良い場所に近付いていくことを考えるだけで、いつもワクワクするとカーリンさんは話す。

2017年には、シアトル・神戸姉妹都市提携60周年が祝われた。60周年用のフライヤーを作成したカーリンさんは、2都市のつながりの強さを再確認したそう。世界的な青少年育成団体であるYMCA間の交流は50年を超え、シアトルヨットクラブと須磨ヨットクラブ、ロータリークラブ、ソロプチミストクラブ、シーフェアでも人材の行き来がある。

カーリンさんは、2016年からシアトル港湾局で勤務し始めた。シアトル・神戸姉妹都市提携60周年および姉妹港提携55周年記念事業に着手する直前のことだ。「最高のタイミングだった」とカーリンさんは説明する。シアトル港湾局と姉妹都市協会を行き来し、訪問団の手助けに注力できた。「神戸は第二の故郷。大学を出て初めて、社会で働き始めたのが神戸でした。神戸で私の人生は変わったんです」

神戸との関係でとりわけ思い出深いのが、2002年、姉妹都市提携45周年の記念事業の際に当時のシアトル市長、グレッグ・ニッケルス氏の通訳を務めたことだと言う。神戸市にある、人と防災未来センターを見学した後、ある学校を訪問した。学校で生徒たちによる避難訓練を見学し、市長と生徒たちの対話の場も設けられた。ニッケルス市長は、阪神淡路大震災で消防署と警察署が倒壊してしまった話を聞いて、大変なショックを受けた。シアトルに帰ると、すぐに消防署の状態を聞いて回った。「災害時、消防署は市民の司令塔にならなければいけない。倒壊することなどあってはならない」と。それが契機となって莫大な火災徴収費が課され、シアトル市内の消防署がきれいに建て替えられた。新しい消防署も次々に造られた。