Home アメリカ生活 最終回 今日も金メダル

最終回 今日も金メダル

団塊の世代の日本人が今直面する、親の介護。高齢の父母の暮らしを手助けするために、日米を往復する夫婦の暮らしとは?

田舎の祖父母は、後継ぎである叔父夫婦と一緒に住み、晩年の介護も全て頼っていました。昔はそれが普通でしたが、私たちの世代は進学のために都会に出て、そのまま就職・結婚。親との同居は少なくなったため、手助けが要るようになると、子どもが郷里に戻る決断をしない限り、親の選択肢は支援施設に入るか、子どもの家に移り住むか、通いで支援してもらうかです。

近頃は、日本でも高齢者向け施設が増えました。友人のお母さんも施設での生活を楽しんでいるそうです。それでも、「どうしても自宅で」という人は少なくありません。先日、『シアトル・タイムズ』を始め多くの新聞で人気の身の上相談欄で、コラムニストのエイミー・デッキンソンが珍しく自身のことを書いていました。「数年前、私は勤務先(シカゴ・トリビューン)の許可を得て、シカゴから母の住むニューヨークへ移り住んだ。2人の姉妹と協力して介護をし、母は自宅で最期を迎えることができた……」。ああ、同じ状況だ。大変な思いもしただろうと、エイミーが身近に思えたものです。

福岡でひとり暮らしをする母の世話は、日帰りや泊まり込みで妹がしてくれています。彼女はまた、神戸でひとり暮らし中の姑のために、毎月1週間ほど夫婦で神戸へも出かけます。妹が福岡を留守にする間、私が帰省できない場合は、横浜在住の弟が福岡に帰り2泊ほど滞在します。夫の郷里、高知では、義母が脳梗塞で倒れて以来、義妹が両親の生活を毎日手伝っています。私たち夫婦が高知に到着すると、待ちかねた彼女は翌日から自分の子や孫に会いに東京へ出ていきます。

遠距離介護の私たち夫婦は今日もまた、日本で両親の暮らしの手助けをしています。シアトルでの再充電を楽しみにしながら。高齢の親に合わせたスケジュールで慌ただしく1日が過ぎる日本と比べ、シアトルでの夫婦ふたりの暮らしは、好きな時に起き好きな物を食べる自由な暮らしです。日本での忙しさがあるからこそ、シアトルでの自由の素晴らしさがしみじみと実感されます。

「生きている今日も幸せ金メダル」、「人生マラソン今日金メダル」。リハビリ中の義母が記した言葉です。死の縁から戻ってきた義母が、日々かみしめる思いに違いありません。私たち夫婦もまた、悔いのない1日1日を過ごしていきたいと思います。私たちの経験が少しでも皆さまの役に立つことがあれば幸いです。

楠瀬明子
福岡県生まれ、九州大学法学部卒。1988年より11年余り北米報知編集長を務め、1993年に海外日系新聞協会・優秀記事賞を受賞。冊子「ワシントン州における日系人の歴史」(在シアトル総領事館、2000年)執筆。