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第1回 私の後悔ー市民権について

団塊の世代の日本人が今直面する、親の介護。高齢の父母の暮らしを手助けするために、日米を往復する夫婦の暮らしとは?

福岡の実家に住む私の母は、10年前の心筋梗塞で現在の心臓機能は70%ほどという95歳。夫には、数年前に脳梗塞で倒れ回復中の91歳の母と、物忘れのひどくなってきた94歳の父がおり、ふたりとも高知の実家に住んでいます。幸い、私たちには1人ずつ妹がいて手伝ってくれていますが、私たちが帰郷して短期間でも交代すれば、妹たちは休暇を取ることができるのです。というわけで、私たちは介護人のアシスタント役です。

「行きはよいよい、帰りはこわい~」とは、わらべ歌「通りゃんせ」の一節です。日本に何カ月も滞在してアメリカに戻る時の入国手続きは、毎回少々緊張します。係官に「なんでそんなに長くいたの?」と尋ねられて「親の介護で」と答えると、「なんで、親のために帰らなきゃならないんだ?」と言われ、親の介護を子が担うのは当然という考えはない文化もあることに初めて気付かされました。高齢になればそれなりの施設に入ることの多いアメリカでは、そちらが多勢なのでしょう。永住権のままの私は毎回、無事にシアトルの空港での入国手続きが済むとほっとします。

実は、市民権を取得するかどうかについては、長い間迷っていました。もともと夫の留学で始まったアメリカ生活であり、「僕は長男ですから、いずれ郷里の高知に帰ります」と言い続けた夫です。けれど、東京生まれの長男、ロサンゼルス生まれの長女、シアトル生まれの次男という3人の子どもたちが成長し、アメリカに根付くと、私には違う思いが生まれました。日本から戻る飛行機から見下ろして、水と緑のシアトルが目に映ると心からほっとするようになりました。

ところが、です。今の私には、市民権の申請は難しいことがわかったのです。障害となるのが、国外滞在日数です。市民権取得の要件のひとつに、「過去5年間の半分以上アメリカ国内に住んでいたこと」というのがあります。この数年、先年亡くなった父の看護時も含めて日本での滞在日数が多かった私には、かなり厳しい要件なのです。

9・11以降、永住権のままでの長期出国は徐々に難しくなっており、私たちの帰省も1回につき3カ月をめどにしています。それでも、高齢の親が3人もいると長くなることもありそうです。

これほど多く日米を行き来するようになる前に市民権を取得し、心置きなく看護できるようにしておけば良かったというのが、今の私の最も反省するところです。