私たち、シアトルから日本への帰国を決めました
アメリカ生活が日本での大学院進学を後押し
小川祐理子さん
熊本県出身。上智大学外国語学部フランス語学科卒業後、財団法人で事業企画や人事、フランス語通訳などに従事。夫の留学を機に、2019年4月から翌年4月までの約1年間をシアトルで過ごす。2020年9月から東京大学大学院で国際協力について学ぶ傍ら、インターン生として国連の専門機関で実習中。
夫のシアトルでの大学院修了に伴い、2020年4月に一緒に帰国しました。ちょうど世界でコロナウイルスが流行り出した頃で、東京行きの飛行機が日に日に減る中、まずは航空券の確保が最優先事項でした。帰国日が確定したら、今度は日本での住居探し。隔離期間中と隔離後の住まいを同時に大急ぎで帰国直前に決めました。
隔離期間中の滞在場所として、都内の実家やホテルなども選択できたのですが、家族との接触を避けたかったことや、パンデミックによる帰国ラッシュの中でホテルを確保できない可能性があったことから、賃貸マンションを選びました。しかし入居後にWi-Fi環境がないことがわかり、大慌て。管理人も自宅勤務になっていて対応してもらえず、一歩も外に出られないまま、たまたま持ち合わせていたSIMカードで夫婦交互にネット接続しながら、出前とAmazonの宅配で14日間をしのぎました。その後は、1度住んでみたかった神奈川県鎌倉市に5カ月間滞在しました。その間に都内で新居を見つけ、現在も暮らしています。
帰国前後はまさに怒涛の日々でしたが、シアトルでも家具家電付きの家に住んでいたため、日本から持参した物が少なく、引っ越し作業はすぐに終わりました。衣類のほかに唯一日本から持っていったのは菓子折りです。シアトルで誰かにお世話になった際など必要な場面で渡せるようにしていました。アメリカで処分したのは、夫が大学院で使用していた文献のみ。取っておきたいものだけPDF化してデジタル保存しています。
振り返ると、約1年間のアメリカ生活は、楽しさよりも大変さのほうが勝っていたように感じます。そのような中でもやっておいて良かったと思うのは、日本人の友人を作ることです。渡米の理由は人それぞれですが、母国を離れて新しい土地で奮闘しているのは皆同じ。シアトルで安心して生活ができたのは、同じ境遇にある日本人のコミュニティーのおかげです。ただ、誰かと一緒にできる趣味を作れなかったことは残念でした。シアトルではたくさんの友人ができましたが、特別なきっかけがない限り、日常的に会う機会はそう多くありません。スポーツや音楽など、定期的に集まってみんなで楽しめる趣味を持てば、より交流が深まったのではないかと感じています。
現在、帰国してやっと1年が過ぎたところ。シアトルが恋しくなる瞬間もありますが、日本にいる両親を安心させることができてホッとしています。アメリカの様子をよく知らない両親は、コロナ禍でのアメリカ滞在をとても心配していました。いまだ家族と会うことは自粛していますが、家族が近くにいること、そして母国語で医療が受けられることへの安心感は、日本にいるからこそだと思います。一方、ロックダウンやワクチン接種など、蔓延防止対策が素早く進められている点は、アメリカの良いところだと感じます。
短い間でしたが、アメリカ滞在の経験を機に、日本での暮らし方も変わりました。いちばんの変化は、再び大学に通うようになったことです。シアトルでは、仕事を辞めて、あるいは働きながら大学院に通っている人たちとたくさん出会いました。そんな皆さんは共通して、大学での学び直しを次のキャリアへのステップとして積極的に捉えています。社会人になってから新しい分野を学び、得意分野を増やすことで、仕事の幅を広げている人が多くいました。私自身も刺激され、帰国後は東京大学大学院に進学。研究の傍ら、国際連合工業開発機関(UNIDO)や国際協力機構(JICA)でインターンシップにも挑戦しています。現在の経験を生かしながら、今後もキャリアを積みたいと考えています。