アメリカへ渡った日本人 「戦争花嫁」
文:室橋美佐
1945年から1952年のサンフランシスコ講和条約発効まで、進駐軍として多くの米軍関係者が日本にやって来た。そうした米国軍人と結婚し、アメリカに渡った日本人女性、いわゆる「戦争花嫁」の平均年齢は23歳から24歳。現在の年齢で言えば、80~90代だ。戦争の記憶が色濃く残る時代、家族の反対や周囲からの偏見を乗り越えての国際結婚だった。
1945年から1952年のサンフランシスコ講和条約発効まで、進駐軍として多くの米軍関係者が日本にやって来た。そうした米国軍人と結婚し、アメリカに渡った日本人女性、いわゆる「戦争花嫁」の平均年齢は23歳から24歳。現在の年齢で言えば、80~90代だ。戦争の記憶が色濃く残る時代、家族の反対や周囲からの偏見を乗り越えての国際結婚だった。
渡米後も人種差別や、元敵国である日本に対する周囲からの目と逆境にさらされた。そんな中でたくましく生き、子どもたちを育て、草の根レベルで戦後の日米友好を引っ張っていった女性たち。日本での偏った報道から、「アメリカ兵相手の娼婦」という誤ったステレオタイプで見られることもあったが、近年では本当の姿を追う取り組みが増えている。
シアトル地域に最初の「戦争花嫁」の入米許可が下りたのは1947年。その後、フォート・ルイス陸軍基地やピュージェット湾岸海軍基地群に徐々に居住するようになった。すでに強固な日系コミュニティーが形成されていた同地域では、戦前に移住した日系1世やその子どもたちである2世から冷ややかな視線を浴びたこともあったとされる。日本で広まっていた偏見は、シアトルの日系社会にも浸透していた。また、明治期に農村部からアメリカへ渡った日系1世と、大正から昭和の都市部で育った女性とでは、同じ日本人ながら文化的隔たりがあったようだ。
1954年、シアトル日系人会ホールで初の「軍人花嫁の会」が開かれ、そこに幼い子どもを連れた「戦争花嫁」20人ほどが集まったとの記述が残る。60年代後半には、日系コミュニティーの活動に積極的に参加するようになり、1976年に は如月会が発足。次第に、戦前から住む日系人コミュニティーからも「日本語を話せる若い世代」として頼りにされる存在になっていった。
参考文献:
•伊藤一男著『アメリカ春秋八十年』(シアトル日系人会)
•安冨成良著『アメリカ本土の戦争花嫁と日系コミュニティー(海外移民資料館研究紀要第5号)』(国際協力機構横浜国際センター海外移住資料館)
•キャサリン・トルバート著『Untold Stories of Japanese War Brides』(ワシントン・ポスト)
シアトルの関連団体
(文:加藤瞳)
◾️如月会:戦後、結婚によってアメリカ移住した関東圏出身者の会として1976年にシアトルで発足。2月に初の会合を開いたことから如月会の名に。ツチノ・フォレスターさんの会長就任以降、社会奉仕団体へと転換。関根楢千代さんが現会長を務める。
◾️日系国際結婚友の会:全米各地やオーストラリアなどに居住する戦争花嫁を組織する会として、日系国際結婚親睦会の名で1988年設立。1994年にハワイで開催された国際結婚交流世界大会には、アメリカ、オーストラリアのほか、イギリスやカナダからも戦争花嫁が集まった。2006年に改称。現在サマミッシュに本拠地を置き、ツチノさんが会長を務めている。
◾️たんぽぽの会:1986年、タコマで発足した全米最大の戦争花嫁の会。一時は会員数が400名に達するほどだった。現在高齢化により規模は縮小したものの、歌や折り紙を通した日本文化の振興、慈善・福祉を中心に活動している。
◾️しゃくなげ日本婦人会:海軍基地のあるオーク・ハーバーにて「幸せの懸け橋」となる相互扶助団体として1996年に発足。現在も施設慰問や文化活動、独立記念日のパレード参加など、活動を続けている。若い会員も継続的に加入している。オーク・ハーバー市内公園には日本庭園を設置した。
◾️ペニンスラ日本婦人会:海軍基地のあるブレマートンで1977年に発足。第二次大戦後の戦争花嫁よりも若い世代の、ベトナム戦争期駐日兵士などと国際結婚をした女性たちが会員の中心。
◾️シアトル日系人会:戦前のシアトル日本人会の流れを継承し、日本人および日系人の互助組織として1949年に発足。1902年に創立された全米最古の日本語学校の運営に携わるほか、歴史保存や日本文化紹介などの活動も行う。今年7月には外務大臣表彰を受賞。
◾️ワシントン州日本文化会館:日本と日系人の文化や伝統を伝える場として2003年に設立。こどもの日や文化の日などのイベントや日本語教室、日本文化のワークショップなどを開催している。 日本語の本の貸し出しを行う日系文庫を会館内に併設している。
詳細:www.jcccw.org
◾️敬老ノースウェスト:日系2世によって、非営利団体1世コンサーンズとして設立。高齢化した日系1世コミュニティーをサポートするケア施設として、1976年、シアトル敬老ナーシング・ホームをサウス・シアトルに開所。1985年にリハビリテーション・ケア・センターのシアトル敬老を旧日本町にスタートさせた。シアトル敬老は、惜しまれながらも、2019年内に閉鎖されることが5月に発表された。
詳細:www.keironorthwest.org
War Bride 〜「戦争花嫁」と呼ばれて〜
・タコマ日本人コミュニティー教会の皆さん
・ツチノ・フォレスターさん
・関根楢千代さん
・コラム「アメリカへ渡った日本人『戦争花嫁』」