京都・伏見
月桂冠大倉記念館を訪ねて
姉妹紙『北米報知』企画による「ジャパンツアー」が2019年も催行! 日系アメリカ人を中心とする参加者22人が、東京・飛騨高山・京都を旅しました。2019年から新しく旅程に加わった、京都・伏見にある月桂冠大倉記念館についてレポートします。
取材・文:室橋美佐
月桂冠大倉記念館は1909年に建てられた古い酒蔵。酒造りの工程や歴史を学びながら試飲もできるとあって人気の観光スポットとなっている。京都市南部に位置する伏見は酒どころとして知られ、月桂冠本社も同地にオフィスを構えている。最寄りの伏見桃山駅から商店街を抜けると、かつて伏見城の外堀だった濠川があり、記念館まではその川沿いを歩く。途中、幕末に坂本龍馬など討幕派の定宿だった寺田屋や、弁天を祀る辨財天長建寺などに寄り道もできる。
記念館に近付くと、酒の甘い香りが。同じ敷地内にある酒蔵は今も現役で、杜氏が昔ながらの手法で酒を醸している。月桂冠はかつて屋号を「笠置屋」、酒銘を「玉の泉」と称し、この地で1637年から酒造りを続けてきた。初代・大倉治右衛門から代々その酒造りを受け継いできたのが大倉家で、同館名称の由来だ。現存する蔵を建てたのは、11代大倉恒吉。1886年に家督を継いだ恒吉は、新しい時代の流れに乗って、鉄道輸送を使った東京方面への進出や新聞での全国的な広告展開などで笠置屋の販売網を一気に広げた。
生産方法についても、まだ樽詰酒が主流だった時代に防腐剤を使わない瓶詰酒の製造を研究開発。1905年に「月桂冠」の酒銘を使い始め、米国など日本国外への輸出も開始した。月桂冠社史によれば、恒吉の時代に月桂冠の酒造量は9万リットルから900万リットルへ拡大している。明治期の日本で酒造メーカーも近代化に力を尽くした歴史が垣間見られ、興味深い。こうした努力がなければ、ビールやワインなど西洋から入ってきた酒類に押されて、日本酒は日本の一般家庭から退いていたかもしれない。
記念館内では、明治初期まで実際に酒蔵で使われてきた木桶、酒樽、櫂など、京都市有形民俗文化財指定の酒造用具類が工程ごとに展示され、酒造り文化を学ぶことができる。また、明治・大正期のラベルや広告など、月桂冠の近代化の歴史を物語る史料も見られる。
大正モダンを思わせる女性たちが絵描かれるポスターの中には、当時の検閲を通らずに使用されなかった大胆な図柄もあり、月桂冠が時代の先端を走っていた様子がうかがえる。恒吉のアイデアで生まれ、駅構内の売店で売り上げを伸ばしたという、ふたがお猪口になっている「大倉式猪口付瓶」も面白い。
事前予約が必要な「酒香房」と呼ばれる蔵内の見学では、精米された酒米、複雑な発酵過程を経て出来上がった麹菌、発酵段階にあるもろみなどを見ながら、酒造りの工程を学んだ。発酵過程のもろみの香りも嗅がせてもらった。
一瞬は嗅ぐのをためらったツアーメンバーも、そのさわやかな香りに驚く。「米と水だけで、こんなフルーティーな香りが出せるなんて」との声も上がった。そのあとはお待ちかねの日本酒の試飲と、充実の見学体験だった。
月桂冠大倉記念館の訪問は、初めて日本を訪れたツアー参加者にとって、日本の伝統文化を学ぶ貴重な経験となったはず。情緒ある街並みも魅力的に映ったことだろう。