「プリプリ」と聞くと懐かしさを覚える方も多いのではないでしょうか。1986年にデビューした女性5人組のバンド、プリンセス プリンセス(以下プリプリ)は、1989年に女性グループとして初の日本武道館コンサートを行うなど、解散する1996年まで絶大な人気を誇りました。代表曲の「世界で一番暑い夏」(1987年)や「Diamonds」(1989年)などのメロディーを聞くと、ついつい歌詞を口ずさんでしまいます。
ボーカルの岸谷香(旧姓:奥居)の歌唱力やバンドメンバーの楽器演奏スキルには定評がありますが、それもそのはず、メンバーはオーディションで選び抜かれた逸材ぞろいなのです。彼女たちがオーディションで出会ったのが1983年。その出会いから40周年となる昨年(2023年)には、当時のコンサートのフィルム上映やメンバーによるトークイベントが行われ、今年6月には記念アルバムがリリースされました。
そんなガールズ・バンドの先駆者と言われるプリプリですが、実は彼女たちに先駆け1977年にメジャーデビューを果たした女性バンドグループがありました。その名もガールズ。前回紹介したタンゴ・ヨーロッパなどが後に続き、プリプリは、ガールズ・バンドというジャンルが確立されつつあるところに登場しました。前述した通り、プリプリは自らがバンドを結成しプロを目指すというルートとは異なり、オーディションで選ばれてレコード会社によるプロデュースの後押しを受けスター街道を歩み始めました。そう聞くと、ガールズバンドブームに乗ったアイドル的なイメージを抱きますが、本人たちはプロデューサーが求めるプリプリ像と自分たちのスタイルや音楽性との狭間で葛藤があったようです。
人気が上昇していた1988年、プリプリは横浜の米軍基地敷地内でコンサートを行いました。横浜市設立100周年を記念したイベントの一環で、普段は一般人が入ることのできない米軍敷地が解放されたのは異例でした。ある研究者によると、当時はまだ米軍基地問題がさほど加熱していなかったとはいえ、日本人に人気のあるグループのコンサート会場として場所を提供することは、米軍側が日本の一般市民に対して友好政策を図ったものと指摘されています。そのコンサートで披露された曲「She」は、米軍兵と恋に落ち、アメリカへと旅立ってしまった親友への思いが込められた切ないバラードです。「Dear My Best Friend, 元気でいて 見知らぬ空の下」とアメリカは、大切な友人が連れて行かれた見知らぬ場所として歌われています。横浜で「異人さん(外国人)」に連れて行かれた女の子を歌った童謡「赤い靴」の内容に重なるものがあります。
このコンサートで「She」を歌った意図についてはほとんど議論されてきませんでしたが、元はパンクムーブメントと縁の深いプリプリがささやかな反骨精神を垣間見せたと考えられるかもしれません。