私の良き友だち
3月半ば、テレビにかじりつきながら目まぐるしく変動する世界情勢におののく毎日。このコロナ禍で71歳の私は、食品の買い出しや他人と距離を置く散歩に出かけるほかはYouTubeを見ながらヨガ体操という、新たなルーティンを余儀なくされている。シニアが多いピックルボール仲間の提案で、WhatsAppを通じた助け合いサークルもできた。このコラムが世に出る4月末、私や友だちはどうなっているだろう。
ありがたいことに私はシアトルにもバンクーバーにも友だちがいる。シアトルを訪れると専用の寝室とバスルームを提供してくれるスティーブは、30年来の友人。観察眼が鋭く、私の言動パターンを実によくつかんでいて、自分では思い付かないような助言をもらえる。元来消極的な私をたしなめ、ポジティブ思考に戻してくれる。リチャードは20年来の友で、情報通。私が野菜用クリーナーを買ったら「農薬は中まで浸透するので皮を洗ってもあまり効果がないが、使わないよりはマシ」という具合に、知恵をシェアしてもらえる。シアトルには日系人や日本人移住者の友だちもいる。ヒロは某大学の名誉教授。学生からの質問に慣れているのか、ともすれば軽はずみになりがちな私の発言もバカにせず、分析したうえで答えをくれる。もうひとりの友だちで、近頃目立って他人に親切なMさんは「あなたが気付かなかっただけで、私は前からそうだったのよ」とうそぶく。慎重派で物事を十分調べてから行動するので、北米生活で役立つ情報をたくさん持っている。また、コンサルタントをしているメリルは日本舞踊の名取でもある。周りの人間を助けることを優先し、両親も最期まで看護していた。わが末期にも側にいて欲しいくらいだ(厚かましい?)。同年輩の茂さんとは話がよく合う。シアトルで朝食を共にし、屈託ない話をする時間は楽しい。カナダへの引っ越しで、レンタルした大きなトラックを運転してくれた恩人でもある。
さて、バンクーバーではミチコさんが最初の友となった。まだ不慣れな土地で、彼女が映画館でのボランティアや主治医を紹介してくれたことは大きい。どこも満員で新患お断りという当地で、主治医を持たない多くの住民は外来専門クリニックで用を足す。彼女に直筆の手紙を届けてもらったおかげで、腕利きの主治医が持てたことはありがたかった。年上にもかかわらず、私が病気になったら看病してくれると言う。そして、今ではすっかり相棒となったジェームズは、健康分野に明るいプロのマッサージ師で、そのせいか67歳でも医者知らず。私の健康維持もサポートしてくれる。もうひとりはカナダ生まれのゲリー。初めは文化的背景や価値観が合わないような気がしたが、やがて人助けに時間と労力を惜しまない正直者とわかり、尊敬の念を抱くようになった。
若い頃は生涯ひとりで生きていけると買いかぶることもあった。しかし、今はそれがとても無理だとよくわかる。年の功だろうか? 人や物事に対する自分の見方が変わってきた証拠かもしれない。