子どもの頃から「他人と同じになりたくない」と思っていた。というと何か特殊な能力があるかのようだがそうではなく、何かの時に「自分は人とは違うのだ」と言い逃れができるようにと、ともすれば卑怯な企みによるものであったようだ。
例えば、小学生の頃は先生のお気に入りになってクラスメートに差をつけたいと意識して振る舞っていた。中学に入ると商店街のVANショップで、当時都会で流行っていた衣服をいち早く買って得意がっていたものだ。流行に乗って髪を短くしたり長くしたり。母のミシンを使って学生服のズボンの幅を広げたり細めたりした。
「人と違っていたい」と思う自分を分析してみれ、少しの努力で達成できそうなことならしたがる、という怠け者の性格も原因だと思う。中学では「これなら簡単に人より上手になれそう」と卓球部に入り、将来性があると言われたにもかかわらず、数カ月で辞めた。高校では格好だけでできそうと演劇部に入ったものの、上手な演技はそう簡単にはできないことを悟って断念した。
そんな私にも、人生で頑張った時期が何度かある。小学校では宿題以外に勉強をした覚えがないにもかかわらず成績が良かったが、中学に上がると授業は俄然難しくなり、成績は下降。ずっと優等生を保っていた保護者との通信欄でも初めて「自信過剰」などと担任教師から批判され、子ども心に大きなショックを得た。
そこで負けず嫌いの私は2年生になって一念発起。試験の2週間前から計画を立て、教科書やノートを覚えていった。成果はすぐに出て、初めてオール5をもらって有頂天になった。
次に頑張ったのは、シアトルに移住し、働きながらワシントン大学に通うようになった時。夜間の授業のみで1クォーター5単位ずつ取得、3年がかりで2つ目の学位を取った。その後シアトル大学の英語教師養成講座に入学し、1年で免許を得た。
今思えば、やはり何かを努力した後は確かな充実感を覚えた。今の私は趣味のピックルボールと社交ダンスを日課にしていて、人と違った暮らしをしているわけではない。しかし日本、欧州、米国、カナダと移住してきた人生は、人とは違うことをしたいという意志をどうにか具体化したものかもしれない。
そろそろまた何かちょっとした目標を持ってもいいかな、と考え始めるこの頃である。
[カナダで再出発]