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キャバレー・シンガー/ライター トシ・カプチーノさん

キャバレー・シンガー/ライター
トシ・カプチーノ

取材・文:加藤 瞳 写真:加藤 瞳、本人提供

ニューヨークを拠点に、ひとり舞台のキャバレーショー公演を世界各地で行うトシ・カプチーノさん。ゲイであることを公表し、2014年には日本人として初めてニューヨーク州で同性婚を果たしました。「今がいちばん充実している」というトシさんに、その波乱万丈の半生と、人生を豊かにする秘訣を聞きました。

トシ・カプチーノ■福岡県出身。舞台芸術評論家、キャバレー・シンガー、タレント、プロデューサー。演劇評論家やジャーナリスト130名で構成されるドラマ・デスク賞の日本人審査員。10月8日に行われたシアトル公演「夜のチョットスタジオ ザ・昭和歌謡」はソールドアウト。12月に大阪での凱旋公演を控える。

いつも隠してビクビクしていた

小さな頃からずっと歌手になりたかった。僕は「スター誕生」出身なんです。福岡県大会で優勝しましたが、残念ながら決勝大会でプラカードは上がらなくて。諦められずに上京して、新宿、横浜、それから横須賀や厚木の米軍基地なんかでも歌っていました。1980年代のことです。

当時、自分がゲイであることが自分の中でネックだった。カミングアウトは御法度で、バレちゃうと生きていけないような社会でしたから。舞台では、自分を丸裸にして全てを見せないとお客さんは納得してくれない。それなのに僕はいつも自分を隠してビクビクしていた。「こんなんじゃダメだ」と思って歌を辞めたんです。

実は僕、そのあとは男の人に囲われていました。日欧を行き来するようなファッションデザイナーで、衣食住を大切にし、美しく生きる人。田舎で育った僕は、彼からそういった感性を含め、いろんなことを学びました。

天から落ちてきたニューヨーク行きの切符

その彼に捨てられ、貧乏生活に戻ってしまったのが、27、8歳の頃。「彼がヨーロッパなら、僕は英語をしゃべって、インターナショナルな人になりたい!」と奮起。知人に相談し、オーストラリアの旅行会社での仕事を紹介してもらいました。とにかく英語を学びたかったから即決しましたが、行ってみたら想像していたのと全然違う。僕がイメージしていたオーストラリアというのは、ゲイに対しても寛容で、オープンな生きやすい国。ところが、すごく保守的で、会社では嫌がらせを受けたことも。僕は、日本で必死に隠して生きてきて、オーストラリアでも同じことになって、「何やってんだろう」って思いました。そんな時、たまたま机の上に置いてあったのがニューヨーク行きの格安航空券のチラシ。「天から落ちてきた!」。本当にそんな気がしたんです。すぐに2週間の休暇を取り、ニューヨークへ初めて遊びに行きました。

1992年のニューヨーク。来たらもうびっくりしちゃった! こんな天国があるんだ、 男を愛する男がこんなに幸せに生きられる場所があるんだ、と 。道端で男同士のキスやハグを見ても、人は何も言わない。「ここしかないな」と直感しました。着いて4、5日でニューヨークに住むことを決めたんです。

日本に帰って2年間働き、お金を貯めてから、1995年5月に観光ビザでニューヨークへ渡りました。33歳だった僕は、もう1年遅れたら海外に出ることは絶対ないだろうと。もし諦めていたらきっと、 本当に惨めな生活をしていたと思います。福岡の田舎に帰って、ゲイであることを隠して、親のためと偽装結婚をして子どもまで作っていたかもしれない。とんでもない人生になるところでした。自分に嘘をついて生きるということが、どれだけ惨めで悲しいことか。人にどう言われようと正直に生きること。それがいちばんだと思います。

われこそは西城秀樹ファンという観客を壇上に招きYOUNG MANYMCAの大合唱トシさんのショーはファンへのサービス精神にあふれている

窮地を救う出会い

コネクションも何もなかった。でも、僕は窮地に陥った時に必ず誰かが現れるっていう、良い星の下に生まれているみたいで(笑)。渡米前の1995年3月に、オフブロードウェイの「ストンプ」の日本初公演があったんです。制作会社に勤めていた友人が、「大阪と東京のストンプ公演で通訳探してるんやけど、お前やらへんか?」って声をかけてくれて。英語なんて全然しゃべれないのに 通訳なんて無理!と断ったら、「いいから(選考を)受けてみぃ」と。帰国子女のすごい人とか、いっぱい来ている中で、何をどう間違ったか、僕が選ばれてしまった。しかも運良く、英語のテストもなかったんです。ストンプのエクスクルーシブ・トランスレーターになっちゃった。

もう大変でしたよ。毎日が綱渡り。どうやってごまかしていこうかなって、それしか考えてなかった(笑)。社長との会食に駆り出されてもひどい通訳で、僕が訳すと3分くらいの話が10秒になっちゃう。みんなから「英語ができない通訳」って言われていました。それでもパフォーマーたちからは好かれて、一生懸命にやったことが評価され、感謝してもらえました。パフォーマーたちとは今でも仲良くさせてもらっています。

その時、ニューヨークから来ていたストンプのオフィシャル・カメラマンが日本人で、たまたま電話番号を持っていたんです。ニューヨークに着いて泊まる場所の当てが外れ、途方に暮れた僕は、その番号に連絡してみました。「すみません、行くところがないんですけど、泊めていただけませんか?」って。突然だったにもかかわらず、彼は泊めてくれたばかりか、当時の東宝ニューヨーク支社長と仲が良くて、紹介してくれた。それで働き先がすぐ決まったんですよ。出会いですね。

日本に今、ミュージカル産業があるのは、その社長のおかげなんですよ。「マイフェア・レディー」や「ラ・マンチャの男」、「レ・ミゼラブル」、「ミス・サイゴン」といった有名舞台の上演権を取得して日本に持ち込んだ。もともと僕はミュージカルに興味はなかったけれど、社長のアシスタントをするようになって、一緒に観劇したり、社長の評論原稿を確認したりしていくうちに、自然な流れで僕も評論家になっちゃいました。

ニューヨークが僕の全てを変えた

ショーをやり始めたのは2005年。「これからニューヨークで生きて行くぞ」という自分の中での決断からでした。最初から「一生ここで」なんていう気はさらさらなく、やっぱり帰ろうかとブレる時も当然ありました。2004年、夫となるトッドと出会う前の10年間は特にそう。日本人がひとり海外で暮らすっていうのは大変なことですから。

夫のトッドニートリングさんふたりの愛犬であるチワワの金太郎くんと共に僕が世界を飛び回ってる間彼はニューヨークで愛犬の世話をしています笑

子どもの頃の僕は、おとなしくて手がかからなかったみたい。ニューヨークが僕を変えたんだと思います。自分を隠す必要がないから、怖いものがなくなった。トッドは今の僕と正反対で、赤信号では絶対に渡らないようなタイプ。まるで僕がアメリカ人で彼が日本人みたいですよ。そういう違いが彼にとっては良いのかな。旅行やご飯も全部、僕が決めなきゃいけないんだから(笑)。アメリカに来て、結婚して、自分の好きな仕事で世界を回れて、次から次へと楽しい出会いがある。昭和歌謡をやっていても、じゃあ来年はオペラに挑戦しようかって、ひとつ終われば次の課題が見える。今がめちゃくちゃ楽しいんです。こんなに幸せで良いのかなと思うくらい。自分の居場所と、自分がやっていかなきゃいけないことが、ようやく見つけられたなって。長くない人生で、覚悟を持って「これを一生やっていくんだ」っていうものが見つかったことがすごくうれしい。

人から何を言われても、なかなか認められなくても、「絶対続ける」という強い意志が自分の中で完全に100パーセント出てきたのが、ここ2、3年。もちろん、常にショーのクオリティーを高めなきゃいけない、斬新な衣装を着たいとか、考えることは山ほどあるし、ツアーに行けば資金繰りが大変。ショーの出来に一喜一憂もするけれど、今の状況にとても感謝しています。

トシさんが運命的な出合いと話すシアトル公演の会場はベルタウンにあるジュエルボックスシアターショーの最後はアンコールがなかなか鳴り止まなかった

トシ・カプチーノのフィルターを通して作り上げるショー

今回のショーのテーマは昭和歌謡。ニューヨークに住んでる人たちって、口には出さないけれど「え、そこなの?」と思うわけですよ。ジャズもブロードウェイもあるのにって。でも僕たち日本人は、ある程度歳を重ねると、戻るところは日本。僕は昭和の中で育って、昭和歌謡が得意だし、40〜60代女性が中心となる僕のファン層を考えると、昭和歌謡はバッチリだった。ただ、僕が日本に住んでいて、日本の売れない歌手として昭和歌謡をやっても全然面白くないと思う。ニューヨークで25年もブロードウェイを見続けてきた僕の感性のフィルターを通して作り上げているから、日本にいる日本人にはできないショーになっているはず。僕のショーは演劇的な要素が入っていて、ブロードウェイの影響をすごく受けていると思います。

今年は昭和歌謡で日本語を使ってきたので、来年は英語MCで英語の歌もいっぱい入れながら、英語話者の人たちに見てもらえるショーにして、アメリカのファン層を広げていきたい。来年か再来年くらいに紅白に出ることが目標なので、どうやったらできるか考えています。何でも言わなきゃダメ。実現できないですよ。

子どもの頃に自分が好きな何かが見つかったら、それを一生やり続けることが、人のいちばんの幸せ。周りに合わせてとか、親が言うからとか、やりたくないのに無理にやることほど不幸なことはない。僕は歌が好きだ、絶対に歌手になりたいって思っていたのに、1度ギブアップして普通の仕事に戻った。けれど、ニューヨークに来てまた歌い始めることができた。だから、子どもが「こうやりたい」と言ってきたら、親は後押ししてあげることが、子どもが幸せになる近道だと思います。

加藤 瞳
東京都出身。早稲田大学第一文学部卒。ニューヨーク市立大学シネマ&メディア・スタディーズ修士。2011年、元バリスタの経歴が縁でシアトルへ。北米報知社編集部員を経て、現在はフリーランスライターとして活動中。シアトルからフェリー圏内に在住。特技は編み物と社交ダンス。服と写真、コーヒー、本が好き。