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シアトルの日系ビジネスと春秋会の歴史

世界恐慌や日米開戦などの危機を乗り越えながら、脈々と歴史を紡いできたシアトルの日系ビジネス・コミュニティー。日本企業のシアトル進出と共に、春秋会の歴史も動き出します。

【19世紀末〜20世紀初頭】
華々しく活躍した日系パイオニアたち

シアトルの街が形成され始めた19世紀末から、日本人はこの地で商売を営んできた。日系移民たちは炭鉱や鉄道建設など日雇い労働で貯めた資金を元手に、アメリカン・ドリームを夢見て起業した。1936年に北米時事社が発行した『北米年鑑』には、シアトルでの日本人開業の元祖が以下のように記述されている。

  • 洋食店:西井久八(1884年開業)
  • 寿司店:相模屋(1888年開業)
  • ホテル:谷口良三(1890年開業)
  • 仕立屋:古屋政次郎(1890年開業)
  • 床屋:三橋岩五郎(1892年開業)
  • 病院:橋爪医師(1891年開業)

シアトルに爪痕を残した多くの日系パイオニアの中でも、山梨から1890年にシアトルへ渡り、仕立屋から始めた古屋政次郎の成功はすさまじい。仕立屋で稼いだ元金で雑貨食料品店として、古屋商店を1892年に開業する。1907年には日本商業銀行を創設して銀行業も行い、1928年には太平洋商事会社としてシアトル発の日系商社を築き上げた。世界恐慌のあおりを受けて1931年に倒産となったが、それまではシアトルに本店を置き、タコマ、ポートランド、バンクーバーBC、横浜、神戸、横須賀に各支店を、東京に出張所を設けていた。

【20世紀戦前】
日本企業の駐在員がシアトルへ

20世紀に入ると、草分けとして1896年にシアトル航路をスタートさせていた日本郵船が1911年にシアトルで出張所を開設。また、日本の商社や銀行もシアトルに出張所や支社を出すようになった。

  • 日本郵船 1911年出張所開設(1920年支店に昇格)
  • 三井物産 1916年出張所開設
  • 三菱商事 1919年出張所開設(1924年支店に昇格)
  • 横浜正金銀行 1917年出張所開設(1919年支店に昇格)
  • 住友銀行 1918年現地法人設立

こうした日本企業の代表は、日本帝国領事館(1900年、タコマからシアトルに移設)の総領事を交えて「木曜会」を1922年に結成し、親睦を重ねるようになる。木曜会は、オリンピック・ホテル(現フェアモント・オリンピック・ホテル)にオフィスを構えた。毎週木曜日の親睦会は日本町のレストラン、日光楼やまねきで行われ、週末にはゴルフ、テニス、釣りなどで交流した。「日本人だけで楽しまずにアメリカ人と付き合うこと」、「マージャンは禁止」というのが申し合わせだったという。駐在ビジネスマンらは、クイーンアンなどに用意された社宅で生活し、暮らしぶりは裕福だったとの記述が残る。現インターナショナル・ディストリクト周辺に住んでいた永住する日系移民との交流は限られていたようだ。

後に三井物産代表取締役となり、戦後は国有鉄道総裁を務めた石田礼助も、1916年に三井物産シアトル出張員となり活躍していた。「シアトルの三井は、第二街のアメリカン・バンク・ビルの7階にオフィスを構え、スタッフは多いときで日本人が十名、米人男女を六十名もつかっていた」と、当時を回想している(『続・北米百年桜』から抜粋)。

1920年代シアトル日本町にあった料亭の丸万で会食をする日本郵船シアトル支店スタッフ続北米百年桜より

【戦後から21世紀現在】
春秋会の誕生

1930年代から日米開戦までの間に、駐在ビジネスマンや日系パイオニアの多くが日本へ帰国した。残った者も戦時下で強制収容所へ送還され、日系ビジネスは立ち退きを迫られた。しかし、戦争が終わると日系ビジネスはすぐに息を吹き返す。

レストランや食品店が先行して日本町で営業を再開。1945年9月には、メーン食堂が店を開けるようになり、まねきも1946年4月に復活した。同年、宇和島屋は戦前に店があったタコマから移り、シアトルで最初の店をS. Main St.に出した。

2003年の新年会樽酒の鏡開きは毎年恒例

1951年にサンフランシスコ講和条約が締結されると、日本企業も帰って来た。同年に横浜—シアトル間の日本郵船航路が1939年の休止以来再び開通したのに合わせて、領事館も再開。翌1952年には、戦前の木曜会を受け継ぐ形で、商社代表と総領事が毎週火曜日にまねきで昼食親睦会をする「火曜会」が始まった。徐々に親睦会のメンバーも増え、「商工会議所のようなものをつくろう」と、1960年に第一物産(後に三井物産)代表の中山 久が初代会長となり「春秋会」が発足。これが、現在のシアトル日本商工会(春秋会)の母体だ。

ワシントン州には約1万7,500人の日本人、8万6,900人の日系アメリカ人が住むとされ、日本企業の事業所も200を超える。現在、春秋会にはそのうち120社もの日本企業が参加し、シアトル地域の日本人オーナー企業と合わせて、約135社が会員となっている。

※敬称略 文献:『続・北米百年桜』(伊藤一男 、1972年)、『アメリカ春秋八十年』(伊藤一男、1982年)、シアトル日本国総領事館ワシントン州データシート

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