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あれから10年、東日本大震災

ソイソースでは2011年3月25日号「東日本大震災被災者に救援の手を!」特集にて、被災地からの声やシアトル・コミュニティーでの支援活動を取り上げました。これまでの10年間とこれからの日々を、関係者への取材を通して改めて見つめていきます。

取材・文:加藤良子、中台涼葉、河野 光、ハントシンガー典子
写真:本人提供、ソイソース編集部

全国で震災に関連する犠牲者最多となった宮城県石巻市街を一望できる高台にある日和山公園には津波から逃れるために多くの人が避難した

2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0の地震が東北地方三陸沖で発生し、東日本沿岸地域は広範囲にわたり巨大津波の被害を受けた。津波の最大遡上高は宮城県沖の43.3メートル。地震は宮城県北部で最大震度7を観測した。

日本三景松島で知られる宮城県松島町10年で復旧復興が進み観光にも環境が整う

福島県の東京電力福島第一原子力発電所も地震と津波で損傷。大量の放射性物質が漏れ出す事故により、周辺の12市町村が避難指示区域に。現在も7市町村が帰還困難区域となっている。

岩手県陸前高田市にある高田松原津波復興祈念公園では津波に耐え約7万本から唯一残った奇跡の一本松が保存されている

3月9日時点で震災での死者は1万5,900人、行方不明者2,525人、震災関連死3,775人以上とされ、少なくとも合わせて2万2,000人もの犠牲者が出ている。建物全壊は12万9,391棟に上り、このうち約12万棟は津波によるもの。半壊、一部破損を合わせると、113万7,785棟に被害が及んだ。現在も福島県を中心に4万1,241人の被災者が避難生活を続けている。

奇跡の一本松のある広大な園内には東日本大震災津波伝承館や道の駅高田松原も

余震活動は長期化し、有感地震は10年間で1万4,711回(3月6日時点)。そのうちマグニチュード7以上は12回で、今年2月13日には福島県沖でマグニチュード7.3、最大震度6強の余震が発生した。

当時たちのい、そして

シアトルでは多くの日系企業、レストラン、学校、個人がチャリティー活動を行い、募金などの支援に携わりました。設立10周年を迎えたソングズ・オブ・ホープの皆さん、そして10年前の本誌特集への情報提供者でもあるエカードみち子さん、内倉憲一さんが当時を振り返ります。

コミュニティーを巻き込んで歌の力を届ける
ソングズ・オブ・ホープ

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10年前の仙台での忘れられない記憶
エカードみち子さん

仙台内陸部では地震の被害が大きかった。仙台市青葉区春日町にある、せんだいメディアテークでは7階の天井が落下(2011年3月12日撮影、写真提供:仙台市)

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被災地の子どもたちへホームステイ・プログラムを実施
PSP INC 内倉憲一さん

2012年と2013年には、被災地の子どもたちにシアトルでのホームステイ・プログラムを提供

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被災地からの声

10年もの月日が経った今でも、あの日に感じた恐怖は多くの人にとって心の傷となっています。震災で起こったことは、これから先も忘れてはいけないこと。被害の大きかった地域ついて、現地の話を聞くことができました。

仙台市荒浜地区各所で見られた残土の山。下方にはがれきも集められていた(2013年7月9日撮影)

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10年前のあの日を忘れない
震災を題材にした書籍・映像作品

© 2020「風の電話」製作委員会

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もしもアメリカ災害ったら、をしたらいいの?

日本とは異なり、「自分の身は自分で守ろう」スタイルが主流のアメリカで、災害に備えてどう対策をしていけば良いのでしょうか。在シアトル日本国総領事館に話を聞きました。

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