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エカードみち子さん〜10年前の仙台での忘れられない記憶

宮城県仙台市で経営していた英会話スクール、アイユー英会話の仕事の関係で、シアトルから日本に一時帰国中に被災。10年前、本誌特集を通して現地の様子を届けた。被災地の子どもたちのために、英会話レッスンを無料で開くボランティア活動も行った。

地震発生時のことを教えてください。

被災したのは、仙台に着いて5日目。3週間でシアトルに戻る予定が、東北自動車道の通行止めや成田までの交通の断絶で、延期を余儀なくされました。3月末にはアメリカ政府によりバスと飛行機がチャーターされたのですが、経営するアイユー英会話の生徒やスタッフを置いて日本を発つこともできずに見送り、4月末まで仙台にいました。

仙台内陸部では地震の被害が大きかった仙台市青葉区春日町にあるせんだいメディアテークでは7階の天井が落下2011年3月12日撮影写真提供仙台市

地震があった時間は、アイユー英会話の外国人講師、マネジャーと共に教室にいました。揺れが大きく、このふたりは部屋の外へすぐ飛び出して行きましたが、私は1978年の宮城県沖地震での被災経験があり、ブロック塀や看板などの落下物で下敷きになって亡くなった人が多かった記憶から「地震では外に飛び出さない」という教訓に従って机の下へもぐり、揺れが収まるまで耐えました。いったん外に出ると今度は大きな余震があり、近くの消火栓にしがみつきました。激しい揺れに泣いている人もいました。マンホールから蒸気が上がり始め、「水圧で破裂するから離れろ」との叫び声も聞かれました。

地震が収まった後、どのように行動しましたか。

宮城県沖地震の経験から、非常用品の確保を考え、すぐ車でホームセンターへ向かいました。カーラジオでは、津波が来ることを伝えていました。店内は散乱していましたが、店員さんが外で対応してくれ、乾電池、カセットボンベ、ろうそくなどを買いました。その後、近くのスーパーは行列ができていて、わずかな物しか買えませんでした。そこでまたホームセンターに戻ると、そちらにも長い行列ができてしまっていました。

防災グッズは、水、キャンプ用カセットコンロとボンベ、ろうそく、携帯ラジオと乾電池、携帯電話の充電器、ウェットティッシュ、ドライシャンプー、サニタリー用品など、日頃から用意しておくと安心です。パスポートなどの貴重品は金庫ではなく、すぐに持ち出せるスーツケースやバックパックに入れておくことが大切だと思います。

近隣の被害、避難生活はどうでしたか。

アイユー英会話は仙台市の東中田と、西中田の2カ所にあり、私はほぼ教室で外国人講師と一緒に寝泊まりして過ごしました。車で20分のところにある閖上という港町は仙台東部道路が通り、それが堤防となって、海側と内陸側では津波被害に大きな差が出ました。この道路手前で渋滞に巻き込まれ、津波で亡くなった方も多くいました。仙台空港へ逃げた知人の家族は、建物の2階へ行けず、駐車場で津波に引き込まれて亡くなっています。誰も、ここまで津波が来るとは思っていなかったのです。

津波の被害を受けた仙台市若林区三本塚2011年3月14日撮影写真提供仙台市

CNNがヘリコプターからの生中継で、津波の映像をアメリカで放送していたようですが、仙台にいた私たちは電気もガスも、場所によっては水もなく、必死に毎日を過ごすしかありませんでした。道路が封鎖されトラックが入れず、スーパーにはガムやキャンディーくらいしか残っていません。石油ストーブを利用し、パスタやおじやなどを作ってしのいでいましたが、食べられる物は減っていくばかりでした。

妹は姑が入居する高齢者施設の食べ物不足を聞き、知らない農家を回って古米をもらい、おにぎりにして届けていました。福島の原発が危ないので、妹や兄たちと山形県寄りの東鳴子か長野県へ避難しようかという話もしましたが、ガソリン不足から移動することもかないません。ガソリンスタンドでは緊急車両への供給が優先され、一般人には給油制限があったのです。兄が給油情報を仕入れると、車に毛布や食べ物を積み込み、徹夜して13時間列に並び、やっとガソリンを購入できました。

避難中の子どもたちに向けた無料英会話レッスンについて教えてください。

震災から10日経った頃、ボランティアでシャンプーを無料でしてくれる美容室を見つけました。久しぶりに髪を洗ってもらい、とても気持ちが良く、感謝の思いがこみ上げました。私たちにも何か支援できることはないかと考え、学校に行けない子どもたちのために、英会話レッスンを開催しました。アイユー英会話の外国人の先生も協力してくれて、ありがたかったですね。

この災害を乗り越えるのは本当に大変でした。悲しい話もたくさんありましたが、命があることに感謝し、できる限り助け合って生きていきたいと考えています。シアトルなど遠方からでは、金銭的な支援がいちばんだと思います。10年前に一緒に被災したアイユー英会話のマネジャーがオーナーを務める日本食レストランでは、昨年からコロナ禍で経営が難しい中、シングルマザーの家庭に食べ物支援をしていると、つい最近の大きな余震後に知らされました。フードバンクも食糧寄付も発達していない日本では、コロナ禍で仕事を失い、子どもに食事を与えるにも苦労しているシングルマザーが大勢いるのです。私も力になりたいと思い、少しばかりですがすぐにお金を送りました。

私は、戦後の貧しい時代の日本を見てきています。若い世代の方は恵まれた環境に慣れていたかもしれませんが、震災から生活や価値観が変わったのではと思います。東北では、ただ生きて助かったことに皆が感謝をしています。

エカードみち子■仙台出身。オハイオ州の大学卒業後、仙台にて英会話スクールを経営する。1995年に子ども3人とアメリカに移住。シアトル近辺にて、ガイドと通訳業務を兼ねながら、2012年には英会話スクールを売却。メープルバレーに落ち着き、ワシントン州の自然ライフをエンジョイ!