- シアトルのマイノリティー文化を象徴する場として
- 日本町を歩く!
- 北米報知の歴史 -戦後編-
現在でも、ジャクソン・ストリートとメイン・ストリートに挟まれた一角に、日本町の面影を残す商店街がある。前号に引き続き、日本町のおすすめスポットを紹介!
モモ
Momo | 600 S Jackson St, Seattle | ☎ 206-329-4736
ジャクソン・ビルの角にある「Momo(モモ)」。オーナー夫婦のレイアンさんとトムさんのお気に入りを集めたセレクトショップだ。「気に入ったものであれば、世界中から取り寄せます」と話すレイアンさんはハワイ出身。綺麗に並べられたアクセサリーや雑貨には、どことなく南国テイストが漂う。同店のコンセプトは、「Hapa」。
日系アメリカ人のレイアンさんと欧州系アメリカ人のトムさんとの間に生まれた「Hapa」、ハーフの子どもというアイディアから。アジアやヨーロッパから取り寄せた服、ローカルデザイナーのアクセサリー、ハワイからの小物など、多様なテイストの商品が店内で調和を見せている。
フジ・ベーカリー
Fuji Bakery| 526 S King St, Seattle | ☎206-623-4050
ジャクソン・ビルとパナマホテルを中心にする日本町エリアに加えて、6thアベニュー沿いにも日系ビジネスのビルが立ち並んでいる。「宇和島屋」「紀伊圀屋書店」「ダイソー」「日系コンサーンズ」「前川バー」「フォート・セントジョージ」そして「フジ・ベーカリー」だ。
フジ・ベーカリーは「日本のおいしいパンが食べられる」と本紙編集部でも大好評。上品な味わいのペイストリーが並ぶ店内には、甘い香りとコーヒーの香りが漂う。ショーケースには、美しく繊細なケーキ類も並ぶ。パリや東京で経験を積んだパティシエたちのこだわりの品だ。
パイオニア・バーバー・カンパニー
Pioneer Barber Company | 314 6th Ave S, Seattle | ☎206-623-3056
2016年にオープンした床屋さん。なんと缶ビールを1ドルからオーダーできる。販売されるビールは、レーニア・ビールやフリーモント・ビールなどの地元産。散髪中に飲む冷えたビールは一味違うはず。こちらの店舗では、5年まで日系人経営の老舗床屋「OSAMI」が営業していた。ジャクソン・ビルのオーナーが「OSAMI」の歴史を受け継ぐ店舗を探していたところ、パイオニア・バーバーのオーナーであるブライアンさんが名乗りを上げたのだ。かつての日本町には、腕の良い日本人床屋がいくつもあったという。今でも、ヴィンテージの椅子や凹凸の残る壁など趣のある店内で、客がビールを飲みながら順番を待つ光景が見られる。ただいま、日本人の床屋師を募集中とのこと。
ウィングルーク美術館とチャイナタウン・ツアー
Touch of Chinatown Tour by Wing Luck Museum | ☎206-623-5124
キング・ストリートにあるウィングルーク美術館は、1960年代の公民権運動で活躍をしたウィング・ルーク(Wing Luck)氏を記念して、1967年に創立された。ウィング・ルーク氏は、アジア系初のシアトル市議会議員になったものの、40歳の若さで亡くなっている。彼の願いを実現する形で、アジア系移民の歴史を伝えるための展示会場や、歴史資料館が設置されている。
日本町の歴史を伝える教育活動、地元小学生たちを迎えての日本町教育ツアーも行う。ツアーでは、普段は公開されない「ジャクソン・ガーデン(別名チヨズガーデン)」にも足を踏み入れることができる。一般向けにも事前予約をすれば少人数ツアーの施行が可能。
ジャクソン・ガーデンは、1937年に22歳の若さで亡くなったチヨさんをしのんで造られたもの。チヨさんは戦前にヒゴ・バラエティーストアを営んだムラカミ・サンゾウ氏とマツヨさんの娘。日本町のビルの一部屋で病気と闘っていたチヨさんと、彼女の兄弟姉妹とのストーリーは、かつて存在した日本町での日常を鮮やかに描く物語としてツアー中に語られる。
取材インターン生紹介
大住磨緒(おおすみ まお)
上智大学外国語学部英語学科4年。シアトル・ユニバーシティで1年間の留学中に、ソイソースと北米報知で6カ月間のインターンを行う。上智大学では、新聞部の局長を務める。
取材を通して
2015年の会合で、「間違いを繰り返さないと決意を新たにする必要がある」と訴えたオバマ前大統領。しかし2年後の2017年に、トランプ大統領は中東やアフリカの7カ国から米国への入国を一時的に禁じる大統領令に署名した。現在、特にイスラム教徒系の移民に対する差別的制裁の是非が議論される中、日系人強制収容の歴史は、あらためて掘り返されている。私自身、シアトルに来るまでは、日系人収容の歴史についての知識は皆無に等しかった。少し学んだ覚えはあるが、教科書に記載されていることを「事実」としてのみ捉え、暗記することしかしていなかった。しかし、今回の取材を通して、シアトルの日本町の歴史を自分の目で見て、耳で聞き、肌で感じることができた。「日系人強制収容」という暗く、悲しく、時に痛みを伴う過去から75年を迎えた今、その汚点ともされる歴史にもう一度焦点を当て、学び、継承していく人々の姿に感銘を受けた。