乳がんにかかるということ、そしてがんと共に生きるということ
テレビ番組プロデューサー
阿久津友紀さん
大泉 洋さんの出世作「水曜どうでしょう」で知られる北海道テレビで、乳がんに関する取材と啓発に15年以上携わってきた阿久津友紀(あくつゆき)さん。46歳で自身も乳がんと診断され、闘病の様子をドキュメンタリー番組「おっぱい2つとってみた〜46歳両側乳がん〜」として昨年5月に放送しました。番組は大きな反響を呼び、日米で受賞。阿久津さんに、番組制作への思いを聞くことができました。
取材・文:磯野 愛 写真:北海道テレビ、本人提供
阿久津友紀■千葉県出身。中・高で放送部に所属し、憧れのテレビマンを目指してマスコミに強い早稲田大学へ進学。小学生の頃、北海道に住んだ縁もあって1995年HTB北海道テレビ放送株式会社入社。深夜番組制作や情報番組の立ち上げに携わり、報道部や営業推進部を経て、現在はネットデジタル部に籍を置く。オレゴン州ポートランドへの留学に加え、2018年には米国務省が主催するインターナショナル・ビジターズ・リーダーシップ・プログラムにも参加し、国際経験も豊富。
ー乳がんという診断から、それを番組にしようと決意するに至った経緯を教えてください。
母親も乳がんを罹患し、父親は胃がんで他界しているので、がん家系であることはわかっていました。毎年の健康診断は欠かさず受けていましたが、私の場合、ゆっくり膨らむタイプのがんだったため、おそらく何年も前から存在していて見つからなかったのだと思います。乳がん、しかも両側と診断されたその瞬間、「これを番組にしよう」と心が決まりました。同じくテレビマンとして働く夫も、私の決意を受け入れ、応援してくれました。これまで番組制作者として、たくさんの乳がん患者さんを取材し、時には辛い中でカメラを向けさせてもらってきました。それなのに、自分だけ隠れるわけにはいかないという気持ちが強くありました。また、取材を通して乳がんに対する正しい知識がまだまだ行き渡っていないことを感じていました。
がん患者に対する社会の冷たさやサポートのなさ、差別を目の当たりにしてきた私には、番組を通して伝えたいことがたっぷりと蓄積されていました。また、会社という組織の中で同じくがんと向き合いながら仕事を続ける仲間を見てきて、私も自分を奮い立たせ、働く意欲を保っていきたい、そしてその成果を認めてもらって、これからも変わらず会社の一員として生き残っていきたい、という反骨精神も正直ありました。がんの知識があればあるほど、余計に恐怖を感じてしまうのは否定できません。でも、生かされているからこそやらねば、少しでも世の中を良くしなければ、そんな使命感でいます。
ー番組を通して、乳がんは治療法含め多種多様だとわかります。患者が正しい情報を得るにはどうすれば良いでしょうか。
ネットに氾濫する情報は鵜吞みにせず、医師によるものなのか、学会の裏付けがあるか、きちんと確認してください。乳がんは抗がん剤が効くタイプ、ホルモン治療が有効なタイプなど、種類によって特徴が異なります。当然、個人差もあるので、ハンドブックなどで目にする「標準治療」も、そのがんのタイプで分かれています。自分に合った正しい治療法を医師と相談することが大切です。
がんのタイプ、副作用、日進月歩で進む最新の治療法、そしてもちろん費用など、考慮すべき内容はさまざま。担当の医師とよく相談しながら、患者は多くの「選択」を迫られることになります。医師のせいなどにして後悔することのないように、不明瞭な部分があるなど必要だと思った場合はセカンドオピニオンを求めることもできます。
病院ごとや地域ごとに患者会もあります。乳がんの先輩たちはちょっとしたことでも相談に乗ってくれますし、わかり合える仲間がいると思うと安心できます。「こんな症状、私だけ?」と不安になったときに「そうそう、私も経験したよ」と言ってもらえるだけでホッとするものです。身の回りのリソースをフルに使ってください。正しい情報を手に入れることで解消される不安もあります。
ー同僚や友人など、身近な人ががんと診断されたら、周囲はどんなサポートができますか。
職場に関しては、本人が望んでいない過剰な心配や配慮は不要です。私も番組制作中、「働き過ぎじゃないのか」「現在の部署での仕事は厳しいのでは」と、気持ちはありがたいのですが、本人が全く思ってもいないことを先回りして心配されました(笑)。これは配慮という名の排除につながる可能性がありますので、ぜひご本人とよく話をして、本当に必要なサポートをしてあげて欲しいと思います。
がんと診断され、仕事を辞めざるを得ない状況に追い込まれる人は大勢います。どんなに優秀でも人格者でも、これまでずっと健康だった人でも、いつがんと診断されるかは誰にもわかりませんし、介護や子育てで一時的にサポートが必要になるケースもあります。できることは変わらずやってもらう、できないことはフォローする、「お互いさま」の精神。これが残念ながら昨今の日本社会には欠けてしまっている気がします。
ー今後の目標は?
日本では年間およそ9万人ががんと診断されます。医療が進歩し、患者の数だけ治療法がある現在は10年生存率も上がり、「がん=死」ではなくなりました。今、必要とされるのは「がんと共に生きることができる社会を構築していくこと」。これは番組を通して最も伝えたかったメッセージのひとつでもあります。
とは言え、がんと診断された私が5年、10年先の自分を考えるのは辛いことです。がんと診断されてから、目の前のことには短いスパンで、より一生懸命取り組むようになりました。普段の生活も、心配のないことや余計なことはしないなど、取捨選択する日々です。がんと診断されて気持ちが沈んでしまっている患者さんの力になりたいとも考えます。このコロナ禍でオンラインが当たり前になり、日本全国そして世界中で気軽につながれるようになったのは唯一の恩恵かもしれません。患者さんと患者会、または別々の患者会をつないで互いの持続可能性を引き出すことに尽力したい。テレビ局で働く利点を生かし、そういったコミュニケーションのハブになれればと思っています。
今後の活動については「乙女温泉」といって、乳がんで乳房を失った女性の温泉デビューをお手伝いするイベントを企画しているほか、3月にはオンラインでのトーク・イベント、さらに5月には本も出版する予定です。がんになったことは、とてもとても悔しい。でもその診断のおかげで番組で賞ももらったし、人生悪いことばかりじゃない、と考えるようにしています。何があっても良い方向に捉えるよう心がけていると、前を向いて頑張ろうという気持ちがついてくるのかなあと今は思います。
ちなみに私は、番組の英語版タイトルに「Boobies behind, Journey ahead」を選んだことでもわかるように、旅が大好き。退院してから友人に会いにポーランドへ行ったり、ドイツやベトナムに旅行したりしました。残念ながら現在は新型コロナのせいで国内で足止め状態。状況が落ち着いたら、夫と青い海を見に海外へ行きたいものです。
阿久津さんがディレクターを務め、自身の闘病を扱ったドキュメンタリー番組「おっぱい2つとってみた~46歳両側乳がん~(英題:Boobies behind, Journey ahead~Bilateral Breast Cancer at 46~)」は、2020年日本民間放送連盟賞番組部門テレビ報道番組優秀/第58回(2020年度)ギャラクシー賞奨励賞/JAPAN PRIZE 2020 International Contest For Educational Media FINALISTに輝いた
シアトルからも英字幕付きで番組視聴可能 www.youtube.com/watch?v=_NM4LD9SEt4&t=1959s
【取材を終えて】
阿久津さんとの出会いは筆者が北海道の広告代理店で働いていた頃。早稲田大学レスリング部の出身で、長い手足にスラリとした高身長、良く通る声で緊張感漂う生放送の現場をバリバリ仕切る阿久津さんは、まだまだ男性社会の色が濃いマスコミ業界において、会社は違えども私にとってはロールモデルのような存在でした。病に侵されたと聞いた時にはとても驚き、心配しましたが、自身の病気さえも番組作りに生かし、しっかり賞まで獲得したと知り、なんとも阿久津さんらしいというか、すっかり脱帽。自分を貫く生き方に本当に頭が下がります。またいつか一緒に仕事ができる日を楽しみにしています!