5月にミネソタ州ミネアポリスでジョージ・フロイドさんが白人警官によって拘束中に殺害された事件を受け、全米に限らず世界中に抗議活動が波及し、大きな社会現象となっています。しかし、黒人の人権を叫ぶBLM(ブラック・ライブズ・マター)運動が、2012年にフロリダ州サンフォードで発生したトレイボン・マーティンさん銃殺事件をきっかけに始まったことはあまり知られていないかもしれません。8年前からの運動がなぜ今になって勢いを増しているのでしょうか。ソイソース記者インターンが自身の体験を踏まえ、黒人差別の深刻さ、差別問題において私たち日本人に足りないものを考えます。
取材・文・写真:中台涼葉
制度的人種差別とは? 私が体験した出来事
黒人が奴隷として北米に連行されたのは今から400年前の話。250年にわたって奴隷制が続き、黒人の人権を守るため公民権法が施行されたのは1964年になってからだ。それから50年以上の年月が経った今でもなお差別は続き、多くの黒人が警官や一般市民に殺害されている。
米国にはそうした黒人の制度的人種差別が実際に存在する。制度的人種差別とは、昔は奴隷であったという事実により弱者とみなされ、社会的に不利となる仕組みが形成されることにより、黒人として生まれただけで不当な扱いを受ける差別を指す。貧しい地域で生まれた黒人の中には低学歴で仕事に就けずに社会から除外され、麻薬の売人として生計を立てるか犯罪に手を出すことでしか明日を生きられない者もいる。だが優位に立つ側はそれに気付かず、犯罪者呼ばわりして排除することでさらに制度的人種差別の溝が深まる。そんな負のループが繰り返されているのだ。たとえば、黒人は出世できないというレッテル。オバマ前大統領が「アメリカ初の黒人大統領」として注目されたのも、制度的人種差別の背景を象徴している。
筆者が留学のためにアメリカに渡った2018年、当時交際していた相手は黒人男性だった。いつものようにドライブをしていると、1台のパトカーとすれ違った。すると彼は急に深刻な顔付きになり、「約束して。もし警察が俺のところに来たら必ず動画を撮って」と言った。その時初めて、黒人差別の深刻さを目の当たりにした。彼は若いながらも自分が置かれている状況を理解し、いつどこで殺されるかわからない恐怖と共に生きているのだ。
その恐怖は日々の生活のさまざまな場所にあった。彼の女友だちは総じて、彼がアジア人である筆者と交際することに批判的だった。学校ですれ違うたびに頭から足先までなめるようににらまれることは日常茶飯事だ。彼いわく、黒人は黒人同士で付き合わなければいけないという暗黙の了解があるらしい。それは他人種を否定しているわけではなく、黒人同士で守り合わないと生きていけないとの切実な思いからの相互扶助の行動なのだ。差別によって仲間を失うことが死活問題となっている現実を考えれば、そこまで過保護になることも、筆者にとっては苦痛でしかないが一概に否定はできないと感じた。
差別問題について日本人の関心は低いのが現状だろう。もちろん、日本という島国で生まれ育った人間が、いきなりあまり目にしていなかった差別問題について考えろ、発信しろと言われても難しいというのが正直なところではないかと思う。外れた観点から情報を得てしまうと、当事者を不快にさせるリスクもある。だが東京五輪が来年に迫る中、「よくわかりません」はもう通用しない。人種という無意味な枠を壊すことができるのは、日本人を含む私たち全員の行動力にかかっている。声を上げることも重要だが、それ以前に正しい知識と相手の気持ちになって考える優しさが、この差別問題を解決に導く1歩になると考える。
日本人とアフリカ系留学生に聞く「黒人差別問題についてどう思う?」
20代 Aさん