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脚本家・俳優・監督 レーン・ニシカワさん

詩人、脚本家、俳優、映画監督、そして日系コミュニティーの語り部としての顔を持つ日系3世のレーン・ニシカワさん。日系人およびアジア系アメリカ人を題材に、独自の視点から作品を発表してきました。最新作となる映画では、第二次世界大戦中に強制収容所へ送られた12万人もの日系人の苦悩を描きながら、今なお社会にくすぶる人種問題をめぐって私たちは何ができるのかを問いかけています。これまでの作品に込められたテーマや撮影秘話などについて話を聞きました。

取材・原文:ブルース・ラトリッジ 翻訳:シュレーゲル京希伊子

※本記事は『北米報知』2月14日号に掲載された英語記事を一部抜粋、意訳したものです。

レーン・ニシカワ(Lane Nishikawa)■脚本家、俳優、監督。ハワイに生まれ、サンフランシスコで育つ。現在はサンディエゴ在住。サンフランシスコ州立大学在学中からアジア系アメリカ人を題材にした作品を発表し続けている。自ら脚本を書いて演じたワンマンショー3部作に続き、第二次大戦中に実際に起きた日系部隊によるアメリカ兵の救出劇を描いた長編映画などを製作。最新作では、戦争によって翻弄された日系人コミュニティーの苦悩をドキュメンタリーで描く。

アジア系俳優への偏見を乗り越えて

レーン・ニシカワさんの活動領域は多岐にわたる。詩や脚本の執筆から、俳優として演技までこなし、自らメガホンも取る。さらに作品を通じてアジア系アメリカ人のたどってきた歴史を語り継ぐ活動家でもある。これまで映画、舞台、創作文などさまざまな表現方法を用いて日系人の軌跡を描いてきた。そんなニシカワさんを、オスカー受賞歴もあるスティーブン・オカザキ監督は「最も感動的な作品を生み出すアジア系アメリカ人のひとり」と評している。

生まれはハワイ州ワヒアワ。幼少期にサンフランシスコに移り、早くから地元の演劇界で活躍した。サンフランシスコ州立大学ではアジア系アメリカ演劇を専攻し、創作文、民族研究、演劇について学ぶ。ちょうどアジア系アメリカ演劇の機運が盛り上がりを見せる時期だった。アジア系アメリカ人を題材にした舞台を数多く観る中で、それまで「口語自由詩」の創作に没頭していたニシカワさんの関心は演技に向かう。ほどなくしてサンフランシスコのジャパンタウンで毎年恒例となっているストリートフェアでの公演を皮切りに、各地で自らワンマンショーを上演するようになった。

デビュー作となった「ライフ・イン・ザ・ファスト・レーン(駆け足の人生)」の初演は1985年。アジア系アメリカ人の作家が直面する出版までの険しい道のりをインタビュー形式で描いた、ニシカワさん創作のワンマンショーで、架空の番組ホストからの質問に対し、作家に扮したニシカワさんが答えるという設定だ。黒人地区で育ったという生い立ちや、第442連隊戦闘団の亡霊を見たというくだり、さらにはアジア人男性との結婚を控えた娘に対する父親の嘆きを偶然聞いてしまったというようなエピソードを織り交ぜ、社会に潜む人種への偏見をさりげなくあぶり出す作品は大成功を収めた。「50都市くらいで上演されたのではないでしょうか。アメリカ、カナダ、ヨーロッパと回りました」。同じ頃、ニシカワさんはアジア系アメリカ人の劇団を任され、1986年に芸術監督に就任する。任期は10期にも及んだ。「私の在任中、数多くのプロデューサーや監督を輩出し、若手劇作家も支援しました」

2017年製作の第442連隊第100歩兵大隊退役軍人とその家族を題材にした短編ドキュメンタリー映画ネバフォアゲット忘れないの撮影セットでスタッフと打ち合わせ中本人提供

1991年になると、自身にとって第2作となるワンマンショー「アイム・オン・ア・ミッション・フロム・ブッダ(アジア人として生きる)」を発表する。アメリカ人と言えば白人を指すような、まだまだ保守的だった演劇界で、アジア系の役者が主役級の役を射止めることの苦労を描いた作品だ。「舞台だろうと映画だろうとテレビだろうと、私を起用するところなんてありませんでした」。そんな自身の経験から、この作品の構想を思い付いたという。当時のニシカワさんは、地元サンフランシスコでこそそれなりの実績はあったものの、ハリウッドを擁するロサンゼルスではオーディションに出たところで端役しかもらえない。「『血圧を測ります。銃弾が動脈をかすめましたからね』。台詞は、たったそれだけですよ」。だったら自分で演じようと、日本人ラッパーから寿司を毛嫌いする肉体労働者まで、90分の作品の中で1人18役をこなした。ニシカワさんの狙いは大当たりし、同作は1993年にサンフランシスコのローカル局から全米に向けて放映された。「ベイエリアだけでも、20万近くの人が観てくれました」

続く第3作「ミフネ・アンド・ミー(三船と私)」では、アメリカのメディアが過去150年間でアジア系アメリカ人をどのように捉えてきたのかを、自身が敬愛する日本人俳優、三船敏郎を通して鋭く描いた。「祖父は日本出身で、三船の大ファンでした。私は顔立ちが日本人でも、この地では決して三船のような存在にはなれません。そのことを悟った私は、どうしてもメディアが作り上げたアジア系アメリカ人像について掘り下げたかったのです」

人種問題を扱う作品はやがて戦争、そして日系人がテーマに

1996年の作品「ザ・ゲート・オブ・ヘブン(天国の門)」は、一変して遠く離れたドイツのダッハウ強制収容所が舞台となる。そこに囚われていたユダヤ人を解放する日系人兵士の物語だ。この作品は批評家から絶賛された。

オンリーザブレイブ出演者ユニバーサルスタジオにてシェーンサトウさん提供

この頃からニシカワさんは映画にも取り組むようになり、いくつかの短編を手がけた後、2006年に初の長編映画「オンリー・ザ・ブレイブ(勇者たち)」を世に送り出す。1944年10月、フランスのヴォージュ山中でナチス軍に包囲された「失われた大隊」の救出。第141歩兵連隊第1大隊(通称テキサス大隊)を日系2世で編成された第442連隊と第100歩兵大隊が、救出が絶望視されていた中で甚大な犠牲を払って助け出したという実話に基づいている。この作品に対するニシカワさんの思いはとりわけ強い。

「私には第442連隊とMIS(アメリカ陸軍情報部)に属していた伯父が7人います。撮影当時にはひとりを残してすでに全員他界していました。父は補充要員として訓練を受けたのですが、盲腸が破裂したため半年間入院。退院したのは1945年で終局が見えていましたから、戦場に送られることはありませんでした」

JACLサンディエゴ支部役員と共に後列左端がニシカワさん本人提供

ニシカワさんは、できるだけ多くの人にこの作品を観て欲しいと考え、10年もの間、上映の機会を求めて奔走した。「配給会社を確保し続けなければと手を尽くしました。新作の資金集めも兼ねていましたが、本当に苦労しました」。そこで次作ではドキュメンタリーの手法を取ることに決め、やっとのことで国立公園局の日系アメリカ人強制収容所プログラムから助成金を得る。「日系アメリカ人市民同盟(JACL)のサンディエゴ支部が資金面でスポンサーになってくれたおかげで、資金調達が格段に楽になりました」

キャンプと言えばサマーキャンプの世代が描く日系人の強制収容

最新作の「アワー・ロスト・イヤーズ(失われた歳月)」は、戦時中に立ち退きを命じられ、強制収容所に送られた日系人たちの実態を描いたドキュメンタリー作品だ。製作に当たり、ニシカワさんは7都市を訪ね、実際に収容所で暮らした人たちとその子ども、孫の世代を取材し、アメリカ史の汚点とも言える収監政策が日系社会に残した心の傷に光を当てた。さらに、戦後補償をめぐる連邦政府との闘いにも触れながら、現在の政治を取り巻く状況に対して、少なからず不安を感じる日系社会の心の内を代弁し、負の歴史を繰り返さないことの重要性を訴える。

「オンリー・ザ・ブレイブ」の撮影セットにて。左からマーク・ダカスコスさん、ジェイソン・スコット・リーさん、ニシカワさん、
ユージ・オクモトさん(シェーン・サトウさん提供)

「2世だった私の両親や1世の祖父母は、強制収容について多くを語りませんでした。辛く、苦しい時間だったのでしょう。日系人が失ったものの大きさは計りしれません。沈黙が彼らの苦悩を物語っています。収容所はキャンプと呼ばれましたが、私たち3世はキャンプと聞くとサマーキャンプを連想する程度でした。戦後補償の動きが出てきて初めて、祖父母や両親たちの世代の声に真剣に耳を傾けるようになりました」

作品には、ノーマン・ミネタ元運輸長官やマイク・ホンダ元下院議員、作家のジョン・タテイシ氏といった日系社会を代表する、そうそうたる人物たちのインタビューも収められている。さらには、日系社会以外の声も拾おうと、アメリカ・イスラム関係評議会(CAIR)の元サンディエゴ支部長のハニフ・モヘビ氏や、ユダヤ系団体の名誉毀損防止同盟(ADL)地域ディレクター、アマンダ・サスキンド氏なども登場する。

「政治家や市民リーダーだけでなく、イスラム系団体にもユダヤ系団体にも取材しました。予算は限られていましたが、単に強制収容の事実だけを追うのではなく、戦前の暮らしや収容所での生活、そして解放されて3世へと生命が受け継がれる中、戦後補償を勝ち取るまでの流れで捉えたかったのです」

ニシカワさんは、どんなに深刻な題材でもユーモアを交えることを忘れない。そのほうが聴衆の心に響くからだ。「扱う題材が特殊であればあるほど、場面ごとに緩急を付けるためにもユーモアは欠かせません。たとえば、作品には収容所の調理係の話が出てきます。彼は養鶏場で育ったので鶏は調理できますが、七面鳥の調理の仕方がわからない。感謝祭で七面鳥を生焼けのまま出してしまい、食べた人たちがトイレに駆け込むという一幕がありました。当然、調理係はクビ。ほかにも、父親がたった15ドルで車を売らなければならなかったと嘆く女性が出てきて、どんなにいい車かと思えば実は中古のポンコツ車だったというシーンもあります」

ただし、現実をユーモアで覆い隠すようなことは決してしない。「作品の中で、ユダヤ系のサスキンドさんが『憎悪のピラミッド』について話す場面があります。これは、最初は何気ない人種差別的な発言でも、それが暴力へと発展し、ゆくゆくは国家レベルの犯罪行為へとエスカレートしていく、という考え方を図で示したものです」。ニシカワさんは、今日の状況も同じような構図をたどっているのでは、と危惧している。それは「アワー・ロスト・イヤーズ」のテーマとも結び付く。

「この作品で描いているものは、異なる世代間や家族の結び付き、母国への忠誠心、愛する者のためには自己犠牲をいとわない、燃えるような気持ち、それに喪失と悲しみです。日系人はかつてこうしたことを体験させられました。日系人の強制収容につながった大統領令9066号は、混乱の時代のアメリカで発せられた暗黒の決定です。私たちは未来の世代に対して、この事実を忘れることなく語り継ぎ、そして同じことがどんな人種にも、どんな地域社会にも、何よりもアメリカ人ひとりひとりに対し、繰り返されないようにする責任があります」

最後に、ニシカワさんは作品に込めた思いを伝えてくれた。「私の作品をきっかけに、人々の日系人への見方が変わり、ありのままの姿を知ってもらえればと願っています。日系人だけでなく、全てのアメリカ人に観て欲しい作品。これは紛れもなくアメリカの物語だからです」

DVD情報
写真提供ビルマンボコレクション

ニシカワさんによる映画最新作「アワー・ロスト・イヤーズ」は「オンリー・ザ・ブレイブ」と共にDVD化され、以下のウェブサイトなどでオンライン購入もできる。
https://njahs.myshopify.com