重層的な豊かさを持った物語
ROMA (邦題「ROMA/ローマ」)
観るたびに、多くのことが見えてくる映画だ。
初回は主人公をたどるドラマに気を取られがちだが、2回3回と観ていくうちに、丁寧に描き込まれた主人公を囲む背景を通して、時代のうねり、白人と先住民との階級差を内包するメキシコの社会構造が浮かび上がる。秀麗な映像と重層的な豊かさを持った作品で、本年度のアカデミー賞外国映画賞、監督賞など受賞した。
舞台は1970年から71年にかけてのメキシコシティ、コロニア・ローマ地区。若いメイド、クレオ(ヤリッツァ・アパリシオ)と、雇い主である裕福な白人家族の物語である。メキシコ先住民で働き者、口数の少ないクレオは、子どもたちに優しく、女主人のソフィア (マリーナ・デ・タビラ)との関係も良好。
だが、ソフィアの夫が家を出て以来、彼女はしばしばクレオに当たるようになる。一方、クレオは恋人のフェルミン(ホルヘ・アントニオ・ゲレーロ)の子を妊娠、それを伝えた途端、フェルミンは消えてしまう。困り果てたクレオはクビを覚悟でソフィアに相談をするが、彼女はクレオの苦境を理解し、健診に付き添ってくれるのだった。
ドキュメンタリー・タッチで描かれるクレオとソフィア一家の生活。白黒画面で映し出される世界は、甘く懐かしい記憶をたどるようなイメージの連続で、その美しさにまず魅了される。子どもたちは、毎朝優しく起こしてくれるクレオを素直に愛し、テレビを囲んだ一家の団らんは実に和やかである。
さりげない演出を通して見えてくるのは、そんな一家の日常を支えるクレオら使用人の働きである。黙々と犬のフンを掃除し、食卓を片付け、洗濯をするクレオ。子どもたちがどんなに彼女を愛しても、クレオは使用人。彼女が破水して救急診療の受付に行った際、ソフィアの母はクレオの姓も生年月日も知らないのである。
脚本・監督は「天国の口、終りの楽園。」「ゼロ・グラビティ」などで知られるメキシコの名匠、アルフォンソ・キュアロンで、クレオは実在の女性。彼が生後9カ月の頃から家で働き、彼を育ててくれたメイドをモデルにした半自伝的映画である。
父の出奔後の母の苦悩や、71年にメキシコシティで起こった学生運動弾圧・虐殺「血の木曜日事件」を目撃するクレオの姿なども映し出され、家族も社会も激動の時期を経ていく様子が描かれる。
監督にとって、このクレオとの思い出は愛に満ちたものだったろうと想像がつくが、反面、先住民の献身の上の成り立っていた自己の特権的生活を振り返るという意図も感じられた。思い出べったりに回顧するのではなく、自分を育んだ女性を当時の社会構造、歴史の渦の中に置くことで自分と彼女を俯瞰する、そんな視点を持った作品である。
格差や不平等をこれ見よがしに描くことを避けて、それがあたかも自然の一部であるかのように物語に溶け込んでいた点も優れていた。それはクレオが否応もなく受容せざるを得なかった人生だったからだろう。彼女の体験を彼女が生きたように描くことで、返って彼女のしなやかな強さが際立つ。それこそがキュアロン監督が彼女に伝えたかった感謝のメッセージに思えてならなかった。
本作を映画館で観る機会を逃したのは残念だった。Netflixのストリーミングで鑑賞する場合、日本語字幕のオプションもあるので、英語が苦手の方にはおすすめしたい。
ROMA
(邦題「ROMA/ローマ」)
上映時間:2時間15分
写真クレジット:Netflix
シアトルではLandmark’s Crest Cinema Centerなどで上映中。Netflixでのストリーミングでも視聴可能。