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仕事を辞めないといけない?

60代半ばの男性は、大学で統計学を教えている教授だ。本職とは別に、ある大学のスポーツチームにスタッフとして参加していて、試合前、試合中、試合後、あらゆる角度から統計データを取り、コーチに提供し、勝利に貢献していた。気さくで、話しやすく、人柄も良く、生徒にも好かれているだろうなと思えるような人だ。

彼の悩みはふたつ。ひとつ目は、授業中、生徒の質問がたびたび聞き取れず、何度も聞き返したり、変な回答をしたりしてしまうこと。クラスによっては、200人ほどが入れる教室で授業をすることもあり、後ろに座る生徒の質問が聞き取れないそうだ。熱心な生徒に対して失礼だと思うようになっていた。ふたつ目は、試合中たくさんの歓声が上がるため、コーチの言うことが聞き取れないこと。仕事上、目は試合を追っていないといけないので、コーチに向いて話をすることができず、変な回答をすることが多々あるそうだ。どちらの仕事も、まだ続けたいと考えていた。さらに、この5年間、周囲の人がもごもご話をしていて、テレビもよく聞き取れなくなっていると感じていた。

聴力検査をしたところ、中音から高音にかけて、中度の難聴だった。5年前は、補聴器をするほどではない程度だと言われたため、放っておいたそう。この5年間、何もしなかったために、難聴の進度がかなり加速したようだった。早速、補聴器を購入・装着することにした。難聴が仕事に影響を及ぼす場合、即決する人が多いようだ。

補聴器を使い始めて数週間が経ち、彼がやって来た。前と同じように穏やかな表情で、授業のことなどを語ってくれた。彼は、聴力が悪くて補聴器をつけ始めたことを各クラスの生徒に説明した。耳が悪いのを悟られないようにしたいと願う人はまだ多いが、難聴は目に見えないハンディキャップなので、周囲に伝えておくと誤解を生まずに協力してもらいやすい。彼は、補聴器のおかげで、授業中に聞き返したりしなくても回答できると話していた。試合中のことを聞くと、「聞いたことを信じれば良いんだ」ということを改めて感じたそうだ。ある試合中、自分のチームの選手のことで、コーチが彼に何かを聞いてきた、と思った。でも、試合中にそのような質問を彼がされることは今までなかったため、相手チームのことかと思い、答えたところ、「違う、私のチームの xx 選手のことを聞いているんだ」と怒って言われた。その時に、これからは推測せずに、聞いたことをそのまま受け取って回答すれば良いのだ、と実感したと話す。

変な納得と取られそうだが、難聴の人は、雑音があるところでは、人の話を聞きながら、前後の文脈や今までの経験から、内容を推測して回答する癖がついている。それでも分からない場合は、話し手の口の動きをじっと見て、視覚で理解しようとする。その癖を忘れて、補聴器から聞こえることのみを信頼すれば良いのだと実感するタイミングは人それぞれだ。

彼の場合は、たまたま試合中だったわけだ。聞こえないために、もうそろそろ仕事をやめないといけないかなと悩んでいた彼だったが、帰り際、「当分はどちらの仕事も辞めないよ」と、にこっと笑って帰っていった。

[耳にいい話]

ワシントン州と米国認定のオーディオロジスト。ワシントン大学で Speech and Hearing Sciences: Communication Disorders で学士号、Doctor of Audiology プログラムで聴覚博士号を取得。2012年にPAC Audiology クリニック オーディオロジスト(耳の専門医) を開業。 PAC Audiology クリニック オーディオロジスト(耳の専門医) 1605 S. Washington St. Suite 6, Seattle, WA 1370 116th Ave. NE, Suite 201, Bellevue, WA ☎ 425-455-0526