『ネットメディア覇権戦争/偽ニュースはなぜ生まれたか』(藤代裕之著、光文社新書)(写真)は、2016年アメリカ大統領選の際にも問題となった偽(フェイク)ニュースを切り口に、紙の新聞からデジタルへの移行期から現在まで、新聞社やそれを取り巻くネットニュースのビジネスモデルがどう変遷してきたかをたどるメディア史になっている。
著者は、ネットで偽ニュースが生まれた背景には、ネットニュースのビジネスモデルが大きく関係していると指摘する。当初はメディアから提供を受けてニュースを流通させる役割だけであったヤフー等のプラットフォームが、当初の方針を転換して自らオリジナル記事つくり始めるようになり、メディアとプラットフォームの境界はあいまいになってくる。ネットでのニュースにおけるマスメディアの存在感は低下し、偽ニュースがまぎれ込む「隙」が生まれやすくなった、と指摘する。
さらに、スマホでニュースを読んでいると、検索アルゴリズムによりいつの間にか自分にとって興味・関心がある、自分の見たいニュースだけに接触するようになっていることにも無自覚となってしまう場合が多いという。ネット時代のジャーナリズムの役割や、ニュースの接し方の「バランス」など受け手側に必要な意識改革について考えさせられる。
『なぜアマゾンは1円で本が売れるのか/ネット時代のメディア戦争』(武田徹著、新潮新書)も、タイトルからは若干わかりづらいが、ネット時代の「コンテンツ」と「メディア・プラットフォーム」の攻防戦の最先端について、取材を交えながら紹介している。スマホの登場でコンテンツは小分けにされ、断片化され、「1円」といった廉価販売の競争にさらされている。新聞・出版・テレビに復活の可能性はあるのか。ネット時代・スマホ化後の新しいジャーナリズムについても考える。
2011年、福島第一原発の事故当初、マスメディアによる報道は「大本営発表」ではないかと不安を抱き、ソーシャルメディアの情報に頼る人々がいた。 STAP細胞論文に関する問題では、マスメディアは理化学研究所という権威を過信し、論文の信憑性の疑わしさに気づくことができなかった。『科学報道の真相/ジャーナリズムとマスメディア共同体』(瀬川至朗著、ちくま新書)は、長年新聞社で科学報道に携わってきた著者が、マスメディアの科学報道が抱える問題を分析する。