子どもたちの個性豊かなアイデンティティを育んで
自身は中国の出身ながら、日本語の学習塾、インターナショナル・ラーニング・アカデミーをベルビューで運営する余春子 さん。「遊びと学びは同じこと」という発想のもと、国際感覚に優れた独自の教育理念で、根強い人気を誇る同スクールの屋台骨を支えています。今年でスタートから8年となる、スクールの創立に至る道のりを聞きました。
取材・文:加藤 瞳 写真:本人提供
ILAピアノ発表会。ILAから独立したインストラクターを通じ、ピアノのレッスンも紹介している
余春子■ 中国、東北地方にて在中韓国人の両親の元に生まれ育つ。1998年、夫の東京大学留学に帯同し来日。自身も横浜国立大学国際社会研究院を修了し、日本に帰化。2013年渡米の後、多文化のバックグラウンドを生かし、温かい雰囲気の中で言語学習に取り組める幼児教室としてベルビューにILAを創立。
アイデンティティを模索した子ども時代
「勉強ばかりの教育環境で育ちました。当時の中国は大学進学率が10パーセント以下という時代。勉強をして大学に行く=良い生活、という感覚で、遊びの無い子ども時代は今思えばすごく残念でした」。自身の幼少期をそう振り返る。今の子どもたちにはそんな経験をさせたくないという思いがILA設立へとつながった。
余さんの両親は、若くして中国へ移住したが、『韓国人』として中国社会にうまく馴染めない部分があったと言う。だからこそ余さんには、もっと勉強をし、上を目指してほしいという気持ちがあったようだ。家では韓国語と中国語を織り交ぜた生活だったが、就学すると周りの子どもたちからは出自をからかわれるようになった。おかっぱ頭を『日本人』と揶揄された。「韓国だろうがどこだろうが関係なく、ただ『中国』でないことがいけなかったんです。そんなことから、私自身も、中国にいるのになぜ韓国語を学ばなければならないのか、と混乱し、長く反発している時期がありました。親に韓国語で話しかけられても中国語で応えたり……それ以来、自分は韓国語を捨てたとずっと思っていたんです」。
その感覚に意外な変化があったのは、実はだいぶ経ってからのことだ。「大人になってから、仕事や趣味で韓国語を聞く機会が出てきた時に、すぐにキャッチアップすることができたんです。眠っていたものが一気によみがえってくる感覚がありました。自分では気づかなかったけれど、体は韓国語を忘れていなかったんですね」。
このことは、今アメリカで生活する日本人にも当てはまることだと余さんは考える。「小さい頃に親と日本語でやりとりしていても、中学生、高校生になったら日本語を完全に忘れてしまうんじゃないかと心配する親御さんがいると思います。でも言語って簡単には戻らなくても、すぐに忘れるものではない。幼いうちに染み込んだものは、それだけ強く根が張っているんです」。
伝統を守るという価値観との出会い
卒業後、大学講師として働いていた余さんは20代で夫の留学に伴い来日。いちばん驚いたことは日本の「祭り」文化と、お盆休みの習慣だったと言う。「祭りって、何百年も前のものじゃないですか。それなのにみんな昔ながらの格好をして、伝統やその心を守っている!」1960年代に始まった文化大革命後、古い風習は捨てよう、新しいものが良いものだという「ニュー・チャイナ」の感覚の中育った余さんにとって衝撃的だった。「日本の文化のほとんどはもともと中国から伝わったものだったのに、古いものを守っているのは日本人だと知った時に本当にびっくりしました」。
夫の大学院修了時、東京大学赤門前での記念写真
◀︎長女は日本で初等教育を開始。小学校入学式に、家族での一枚
実は余さんの家族には、文化大革命による苦々しい歴史がある。余さんの祖父母は、伝統的価値観を守りながら漢方の処方を家業としていたが、スパイとの嫌疑をかけられた上、羊皮に代々記された調合書を全て焼かれてしまったのだ。なぜこんなに良いものを、古いからと捨てなければならないのか、余さんはその話を母から聞いて育った。「日本人にとってはごく普通のことかもしれませんが、お祭りも、自分の先祖のために休みになるお盆も、私には驚きと、心地良さがありました。新しいものは受け入れるけれど、無くしてはいけないものもある、というのが日本で教えられたことです」。
アイデンティティとは、国籍や民族よりも、人生でいろいろな道を通る中で、どれだけ伝統や文化、「捨ててはいけないもの」を蓄え、自分の中で活かし、役立てていくことができるかの方が重要だと、余さんは多くの人に知ってもらいたいと感じている。「だから自分をよく知ることは大切なんです。私は、中国で育った韓国人。現在は日本とシアトルを行き来しています。私の子どもも、自分は「なに人?」という感覚があると思います。けれど、私には自分が「なに人」かという問いかけは重要では無いんです。言葉に限らず、習慣や文化、良いところを自分の中に取り入れることは心を豊かにすると、私自身の経験から知っています。そして周りとの違いや自分と異なる意見を広く受け入れることが自然とできるようになると。最初は不安もありましたが……。だからILAの子どもたちにも、混乱する必要は無いんだよって、そんなことも発信できたらと思っているんです」。
遊びから学びを得られる場所を作りたい
もともと経済学を学んでいた余さん。日本でも経済研究の修士号を取得したが、教育者を目指していたわけではない。にもかかわらず、なぜ子どものための学習塾であるILAを設立するに至ったのだろうか。
「シアトルに来て、私の娘たちも徐々に英語が強くなってきました。それで土曜は補習校に通い始めたのですが、そこで私が子どもの頃に持っていたような、『なんで日本語を勉強しなければいけないの?』という反発を彼女たちからも感じるようになったんです。同時に、親が子どもに日本語を学んでほしい、という思いと、子ども側の、仕方なくやらされているという気持ちのギャップにも気がつきました。私自身、子ども時代に勉強ばかりだったのもとても辛かったんですよね。でも実は、勉強と遊びの楽しさって同じだと思うんです。遊びの中で学びを発見する場所を作ることが、自分ならできるんじゃないかなって」。それがILAのスタート地点だった。
家族そろってシアトルでのハロウィン。長女は9歳、次女は5歳でシアトルに移住した
日本にいた頃、ボランティアでママ友とともに幼稚園の子どもたちを相手に英語教室を開いていたことから、幼児教育の面白さに目覚めた余さんは、シアトル移住後ベルビュー・カレッジで早期教育のコースを受講した。そこで子どもの発達の方向性はさまざまであることを知った。「たとえば音楽などの音声から入っていく子。ある子は文字は書けなくても、ことわざを音で覚えていって最後には書けるようにまでなる。または、歌詞を文字では覚えられなくても、歌なら全て完璧に覚えている。それらは個性です。文字が遅れていると発達の心配をしていた子が、ある時爆発的にできるようになることがあります。だから、得意不得意をすぐに決めつけるのではなく、小さい頃はそれぞれであることを認めてほしい。個性は宝なんです。2歳や3歳、そんな早くからお勉強する必要あるの? なんて思う人も多いですが、ことわざや熟語などで遊びながら学んでいけるんですよね」。ところが、余自分がなに人なのかは重要ではなくなりますさん自身がアメリカの日本語教育機関を覗くと、机につき、紙での「お勉強」に偏っているようなことが気になった。「自分の小さい頃の勉強ばかりの記憶がよみがえってきました。同じ4歳児、5歳児、6歳児だからって、一緒のパケットで勉強しなくても良いんじゃないかなと思って。それぞれの勉強のスタートの方向性は違うのだから、もっと柔軟なクラスのやり方があっても良いんじゃないかと考えました」。
ILA版「ピタゴラスイッチ」プロジェクトでは、立体をイメージする力を養う
子どもたちはみんな天才
夏の音楽キャンプでは、体を使ってリズムの練習
「私自身は、教育者ではなく、現場に立つ先生のお手伝いをしたいという思いから経営の立場で2015年に会社を設立しました」。余さんの情熱に感化され、ともにILAの立ち上げに携わったのが、シアトルでできたママ友だった。IT業に携わっていた友人はホームページ作成をサポート。そしてボランティアに多く関わっていた友人は、教育経験こそなかったが、その豊かな人間性でILAの中心的存在となり、今でも教壇に立っている。経営の余さんと先生4人、生徒2人からのスタートだったが、徐々に資格を持つ先生も集まり始め、ピーク時には70家族を抱える大所帯に。今も約40家族がILAに集う。「最初の頃は、本当に『明日倒産するかも』という不安で必死でしたね」と笑う。ところが、軌道に乗り始めたにもかかわらず、しばらくして今度は新型コロナウィルスによるパンデミックに見舞われる。それでも人と交流できるコミュニティーの場を提供したいと、職員はボランティアで全て無料のオンライン・クラスを開講した。「それが半年続いて、収入が200ドルと保護者からのドネーションだけという月もありました。生徒数が減ってしまい、校舎を移転しなくてはならなくなった際には、親御さんがボランティアで助けに駆けつけてくれ、ILAがまさにコミュニティーとして機能していました。ILAをやっていて良かったなと心から思います」。
季節ごとの文化を体験できる幼児クラス。お祭りのお神輿は子どもたちの手作りで
クリスマスにはサンタに変身!コロナ禍によって、さまざまなイベントができなくなってしまったが、これから徐々に再開していきたいとのこと。「餅つき大会なんかもやってみたいですね」▶︎
設立以来、余さんは、日々自分自身が子どもから学ぶことの方が多いと感じていると言う。「子どもたちって天才なんです。ILAでは3枚のカードに描かれた絵からストーリーを作るというゲームをよくします。たとえば、赤ちゃん、子ども、大人の絵が描かれていた場合、大人だったら大体同じ時系列で成長していく話をしますよね。けれど、子どもは本当にいろいろなバージョンを思いつく。私たち大人のほうがなるほどなと感嘆することばかりです。子どもの頭の柔らかさや想像力には限界がない。何事も決めつけちゃいけないと思わされますし、ILAのおかげで自分の子どもに対する教育方針も変わってきました。3歳、4歳、5歳の頃の子どもの変化って本当に大きいですよね。その大きな変化を毎年見られることは、幸せですし、ILAは大人が子どもから教えられる場所だと思います」。それこそがまさに余さんにとってやりがいだ。
ILAの学びは、知恵遊びや積み木での脳トレ、左脳だけでなく音楽やダンスなどで右脳も使い、想像力を働かせるような全能教育を特色に持つ。また、1クラス最大5名という完全少人数制にも驚かされる。小さいグループの中で、得意なことも不得意なことも、それぞれの個性をしっかりと受け入れられている、そんな感覚をひとりずつに持ってほしいからだ。さらに、両親のどちらも日本と関わりのない完全非日本語家庭の子どもたちも通っているという。日本人にとってごく普通の文化やマナー、たとえば食事の前には手を洗う、授業の後には片付けをし、「ありがとうございました」とお礼を言う、そういったことを子どもに学ばせてあげたいという家庭だ。そこから日本の文化にひかれ、日本の大学に行きたいとまで言うようになる生徒もいるそうだ。その意味で、ILAはいわゆる「日本語教育機関」だけではなく、日本語をツールとして心、体、頭の「まるごと学習」ができる場所と呼べるかもしれない。
ESLのクラスでも、工作や音楽などのアクティビティーを通じ、生きた英語を学びながら現地校に馴染めるようサポート。言葉だけでなくアメリカ生活のマナーも学ぶ
余さんは、ILAのモットーを、「子の個性を受け入れ、その潜在能力を信じる」ことだと考える。「良く聞くフレーズですが、『スタートで負けない』ということには私は賛同しません。人生は長いので、焦らずに自分に自信を持てるようになってほしい。子どもの成長する環境を作るのにいちばん大切なことは、親や先生が子どもと遊ぶこと。親も一緒に成長しながら、焦らずに穏やかな気持ちでいてほしいです。たとえ習い事が続かず、大人から中途半端に見えたとしても、たくさんの物事に触れるのに無駄なことはありません。この子は勉強ができる、できないとすぐに決めつけるのではなく、忍耐を持って、いかにその子の個性を小さいうちから認めてあげるかが将来につながるのではないでしょうか」。
インターナショナル・ラーニング・アカデミー
子どもたちの発達段階に合わせ、少人数制で運営し、学習の土台を築く。自分の原点である言語や文化を知り、自分を認めることで、子どもたちは自信を持って他を受け入れるようになる。平日の幼児日本語・英語クラスと土曜日の日本語クラスに加え、そろばんや算数、スペイン語、ESLなどのアフタークラスも充実。学習のほか、花壇や菜園作りといった多彩な活動を取り入れている。
⚫対象年齢 2歳半〜中学生
⚫預かり時間/授業時間預かり時間/授業時間
年少・年中・年長クラス:月〜金9:15am〜1:45pmのうち4時間
英語幼児クラス:火木10:30am〜1:30pm(日本語クラスを1時間追加可能)
土曜日クラス(3歳〜中学生):9:30am〜12:30pm
ESL、日本語、スペイン語、そろばん等のクラス、宿題やテスト準備のサポートも受けられるアフタースクール(プライベート/セミプライベート)の利用可。詳細は問い合わせを。
⚫問い合わせ
InternationalLearningAcademy
16404 NE. 4th St., Bellevue, WA 98008
☎425-223-5565、info@ilausa.net
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