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生命倫理をめぐるさまざまな難題

┃ 生命倫理をめぐるさまざまな難題

生命の自己決定はどこまで許されるのか。また、認知症になった場合、事前に意思表明した安楽死を実行できるのか。年間6,000人を超える安楽死が実施されている「先進国」のオランダでも、現在この難問に直面しているという。

『安楽死・尊厳死の現在/最終段階の医療と自己決定』(松田純著、中公新書)では、「耐え難い苦しみが取り除けない場合に限り、安楽死を容認する」と、安楽死が合法化されているオランダ、ベルギー、ルクセンブルク、カナダの各国ごとの成立の背景、最新の事例を紹介し、さまざまな文化、宗教で議論され続けてきた「死ぬ権利」とは何かという重い課題に向き合う。オランダでは近年、認知症と精神疾患を理由とする安楽死件数の急増が懸念されており、その背景について論じている。

『なぜ人と人は支え合うのか』
『障害』から考える
渡辺一史(ちくまプリマー新書)

2016年、神奈川県相模原市の知的障害者施設で、元職員が入所者を次々と殺傷する事件を起こした。犯行に及んだ後「、障害者なんていなくなればいい」という趣旨の供述をしている。『なぜ人と人は支え合うのか/「障害」から考える』(渡辺一史著、ちくまプリマー新書)は、「障害者に生きている価値はあるのか?」という「問い」をどう考えたら良いか、障害者が生きやすい社会をつくることは、誰にとって「トク」になるのか、読者に考えさせる。「障害者はいなくなったほうがいい」と、普通の人は(心の中で思っていたとしても)口にはしない。しかし、「自分なら延命治療をしてまで生きていたくない」「認知症になって人に迷惑をかけるくらいなら、自分は死を選ぶ」「もし事故で半身不随になったら、自分なら安楽死を希望する」などと口にしたり書いたりする人は「非常に多い」と著者は指摘する。

『認知症の人の心の中はどうなっているのか?』
佐藤眞一(光文社新書)

認知症は、現在はまだ予防法も治療法も確立されていない。今の私たちが取り組めることは、「コミュニケーション」というケアの質を高めることだ、と訴えるのが『認知症の人の心の中はどうなっているのか?』(佐藤眞一著、光文社新書)。認知症の人が見ている世界とは、私たちが見ている世界とは異なるのではないか、という観点に立ち、「アルツハイマー型認知症」など代表的な4つの型の認知症それぞれについて、その特徴的な行動や心理を解説している。

認知症の人とかかわっていると、私たち自身の常識から考えて「なんでそんなことをするのか/言うのか」と思うような言動が多いだろう。著者が言うように、「認知症の人の立場に立って考える」というのは非常に難しいが、認知症の人との生活や介護を少しでも楽するヒントがいくつも見つかるのではないだろうか。

『老いと記憶/加齢で得るもの、失うもの』(増本康平著、中公新書)でも、加齢による記憶の衰えのメカニズムについて着目している。著者は特に、認知症予防の取り組みについて脳トレや各種訓練の効果について触れる。認知症スクリーニング検査に類似した課題を事前に練習するなど、訓練の内容によっては、仮に検査の点数が上がったとしても、「認知症の発見を遅らせる」ことにもなりかねないという。

認知症になることを過剰に恐れるのではなく、認知症になった後も生活の質をどうすれば維持できるのか、介護の問題をどう克服していけば良いかを社会全体で考えるほうが得策ではないか。老いを前向きに受け入れるヒントを提案する。

『「オウム」は再び現れる』
島田裕巳(中公新書ラクレ

間もなく迎える3月20日。多くの犠牲者を出した、あの地下鉄サリン事件から24年が経とうとしている。

2018年7月には、数々の凶悪事件を引き起こしたオウム真理教の、「教祖」麻原彰晃を始め、13人の死刑囚に対する刑が執行された。死刑の執行で、「オウム」を終わりにして良いのか。『「オウム」は再び現れる』(島田裕巳著、中公新書ラクレ)は、特に当時のことを知らない若い世代に向け、オウムのことを伝えていくための1冊となっている。

※2018年12月刊行から

連想出版編集部が出版する ウェブマガジン「風」編集スタッフ。新書をテーマで連想検索する「新書マップ」に2004年の立ち上げ時から参加。 毎月刊行される教養系新書数十冊をチェックしている。 ウェブマガジン「風」では新書に関するコラムを執筆中。