シニアがなんだ!カナダで再出発
在シアトル日本国総領事館に現地職員として39年間勤務した後に、2013年定年退職した武田 彰さんが綴るハッピー・シニアライフ。国境を超えるものの、シアトルに隣接する都市であるカナダのバンクーバーB.C.で過ごす海外リタイアメント生活を、お伝えしていきます。
シニアの暇つぶし(その2)
北米の日本語ケーブル放送、テレビジャパンで見られる「新・BS日本のうた」は、数少ない歌番組のひとつだ。聴き慣れた曲を見慣れた熟練歌手たちが歌う。よくやっていると感心する反面、ずいぶん老けたなと気の毒になるほどの歌手もいて、さて自分は?と思うと、見るのがつらくなる。
田舎で育った自分は若い頃、都会人のクールさに憧れ、ジャズやクラシック音楽を聴いてみたが、やはり落ち着く先は演歌。今時のメロディー展開やたまに挟まれる和製英語の発音には違和感を覚える。若者が大勢で踊りながら歌う曲に魅力を感じないのも、シニアの身だからか。
最近は運転中に、日本の友人がデジタル保存して送ってくれた、何百曲もある昭和歌謡を聴いている。山口百恵のヒット曲「ひと夏の経験」が流れると、当時15歳の少女が平気な顔でよくテレビで歌ったものだと冷や汗が出る。ほかの昭和歌謡についても考えてみたら、ふたつの特徴があることに気付く。歌詞に比喩などの「修辞技法」が使われている点がひとつ、そして、現代では女性蔑視とも取れる、「男女の役割の決めつけ」的表現がふたつ目に挙げられる。
たとえば、私の中でのベスト演歌と言える石川さゆりの「天城越え」は、フランス映画のエンディングのように、曲の解釈を聴く人に預ける。「山が燃える」という比喩を使い、歌の奥深さ・難解さを仕組んで芸術へと昇華させ、官能の世界へと誘う。だが、人生を「川」や「道」にたとえる曲は、誰でもわかる簡単な比喩で人気を博したと思われるが、私には正直、物足りない。
一方、都はるみと岡 千秋のデュエット曲「浪花恋しぐれ」は、女性が男性に尽くすことが当然、かつ美徳とさえされた往年の社会心理が歌詞に反映されている。暴言を吐く男に「どんな苦労にも耐えてみせます」と従う女。今ならフェミニスト、良識家たちは顔をしかめるし、若者は理解に苦しむだろう。また、「何度もあなたに泣かされた/それでもすがったすがってた」と男に翻弄される女の歌詞が多くの中高年男女の心をつかんだであろう、藤 圭子の「新宿の女」もしかり。演歌のジャンルからは外れるが、男性目線の曲としては、さだまさしの「関白宣言」がある。女性の地位向上の意識が高まっていた70年代末に「俺より先に寝てはいけない」と歌うフォークソングだ。
こうした曲は典型的な「男尊女卑」の内容に思えるが、その裏には複雑な時代背景や歌われている相手側の立場を慮った深い意味もあるとする評論家や「おたく」の声も聞かれる。「何事も必ず両面がある」とは、諸先輩たちがよく言うセリフ。遅まきながら、今まで何となく雰囲気だけを楽しんできた演歌も、近頃はその歌詞に隠された意味などに少しは思いが馳せられるようになった。