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竜 盛博さん

外資系メーカーで携帯電話用測定器の研究開発職に就き、社会人2年目の終わりには、アメリカへ駐在の機会を得るなど順風満帆の日々を送る。後年、不景気の煽りでレイオフや転職を繰り返す苦難を味合うも、一本の電話がきっかけでアマゾン、そしてマイクロソフトに移り、公私ともに充実した日々を送る竜盛博さんのストーリー。
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取材・文:田中雄一郎

半径3キロ以内から渡米まで

幼稚園から大学院まで、私が受けた教育は全て半径3キロの円内で完結している。仙台一高から東北大学工学部、同大学院へそのまま進学し、『多値論理』という分野でコンピューターの高速化に関する研究に打ち込んだ。コンピューター以外にも電気系統について学んだため、両方の知識が使える計測器メーカーでありその分野で有名だったヒューレット・パッカードに入社した。周りはソニーを始めとする国内メーカーを志望する学生が多い中、外資系メーカーを志望していた私は珍しい存在だっただろう。IMG_2486

1996年に入社し、無線計測の部署に配属され、PDC、PHS、W-CDMAなど様々な方式の携帯電話用測定器の研究開発職に就く。わからないことだらけで苦労したが、仕事の充実感も感じられて楽しかった。2年目の終わりに希望していたアメリカ駐在員になった。機会ある毎に上司に「海外へ行きたい!」という想いを伝え、出張で本社から誰か来る時には「ご飯に一緒に行かせてください!」と積極的に交流したお陰かもしれない。入社2年の若者に海外駐在のチャンスをくれるのは、外資系ならではだろう。11カ月の予定だったが、途中3回ほど駐在期間の延長があり、最終的には約3年半近くアメリカで働いた。

日本の職場と違って面白かったのは、制約が少ない点だ。朝6時に出社して午後3時には帰ってしまう人や、週3回出勤して残りは家から仕事をする人など、日本だと許されないようなことをやる人が存在し、それが認められる環境だった。

もちろん大変だと感じる時もあった。英語が下手だったこともあり、誰も話を聞いてくれない。外国人に慣れていない人が多く、やりにくかった。幸いソフトウェアエンジニアは良いプログラムを書けば評価してくれる。私が書いたプログラムを他の社員が感心してくれて、そこから仕事がスムーズに行くようになっていった。

会社にしがみつかない生き方を

2001年に日本へ帰国。渡米前は4人くらいだった部署が、20人くらいまで増えていた。しかし、ITバブルが弾けて景気が一気に下り坂になると、測定器の部門は影響をモロに受けることとなる。レイオフが始まり、同僚が徐々に会社を去って行く。レイオフが3回目、4回目になるにつれて、「なんであの人が?」と驚くような人まで会社を去るケースが増えてくる。自分が本当に尊敬している優秀な人が去った時から、「どんなに優秀であってもいつまでも会社にいられるとは限らない」と確信するようになった。

仕事自体も保守的な戦略になって面白みがなくなってくる。ひとつの会社でずっとやって行こうという考えは良くないのだな、と思うようになっていった。運にも左右されることが多い。大事なことは、会社に残ろうと必死に頑張ることより、会社をクビになった時にも同じようなポジション、またはもっと良いポジションに就けるような状態を作っておくことだろう。私は転職を決意した。

転職、そしてレイオフが我が身に

レイオフの嵐が吹き荒れる中、アメリカのアジレントテクノロジー(ヒューレット・パッカード測定器部門が社名変更)本社で募集していたポジションに応募して採用され、2004年に再び渡米することになった。不景気とはいえ本社の方が仕事の自由度は幾分かましだったが、3年経つと本社でもレイオフが始まる。そこにリーマンショックが起こって大不況が米国を襲い、失業率が10%を超えるような状態になった。

グリーンカードを取得し、景気が少し落ち着いたら転職しようかと考えていた矢先、ついに自分がレイオフにあった。そこで、まず収入を確保しなくてはと思い、日米問わず最初の1週間でレジメを100通くらい送ったが、返事が返ってきたのは3通くらい。2カ月後、3社のうちシリコンバレーにある中小企業2社から内定をもらうことができた。

測定器関係の仕事に就くが、技術的な水準の問題でなかなか思うような仕事ができない。10カ月後、別の会社に転職すると、そちらでも技術的な水準の問題に悩み、再び1年後に転職を決意する。どの会社でもレイオフを頻繁に実施する様子を間近で見て来たせいか、この頃になると、転職に対する抵抗感はなくなり、人間的に少しドライになってしまったようだ。

一本の電話からアマゾン、そしてマイクロソフトへ

ある転職サイトでレジメを更新した翌日、ネット小売業大手のアマゾンから電話が掛かってきて、「アマゾンの選考を受けてみませんか?」という誘いを受ける。これまでと全く異なるフィールドであり予想もしていなかったが、大企業はソフトウェアの経験さえあれば、あまりこだわらないのだろう。

アマゾンは昔から今までずっと上り調子の会社だ。どんどん利益を生み出し、皆が熱心に働いていて周りの雰囲気はとても良い。型破りな会社として有名だが、優秀な人が多く、皆上司の言うことをしっかり理解し、全てこなしていた。この時の経験は私に仕事の楽しさを思い出させてくれた。

2013年2月、マイクロソフトのウェブ検索を担うビングに転職した。アマゾンは素晴らしい会社だったし、多くのことを学ばせてくれたが、自分のやっていたプロジェクト(資金融資のためのウェブアプリ製作)が、あまり好きになれなかったのが難点だった。その仕事が好きかどうかで情熱も違ってくる。ビングはグーグルの後塵を拝しているため、追い越そうと必死になっている部署であり、目標を定めて登っていく楽しさを味わえるのではないかと思った。贅沢なアマゾンの環境を捨てることになるので悩んだが、仕事がもっと面白くなりそうな予感が転職を決断させた。

将来をどうとらえるかだが、今から10年後に自分がどうしたいとか、考えてはいけないのではないかと思う。逆に、その場その場で一番面白そうなことをしっかりとやって、つまらなくなったらいつでも違うことができるようにしたいというのが、私の考えだ。「今の自分の状況を10年前には予想もしなかったなあ」と言えるのは非常に幸運なことだと思う。転職ありきではないが、常に自分の好きな環境に自分を置けるように刃を研いでおくのは生き延びるための必須条件だろう。