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J.ケンジ・ロペス=アルトさん〜料理家/フードライター

日本人の母、アメリカ人の父を持つフード系インフルエンサー、J.ケンジ・ロペス=アルトさん。当代随一の人気を誇り、インスタグラムのフォロワー数は50万人超え、さらにYouTubeチャンネルは約133万人と『ニューヨーク・タイムズ』のクッキング・チャンネルより多い登録者数です。著書3冊はいずれもベストセラーになり、昨年10月にシアトルで開催された近著『The Wok』のサイン会も大好評でした。自身の生い立ちや仕事の原動力、著作に込めた思いを聞きます。

取材・原文: エレイン・イコマ・コウ 翻訳:大井美紗子 写真:本人提供
※本記事は『北米報知』2022月9月23日号に掲載された英語記事を一部抜粋、意訳したものです。

Photo Aubrie Pick

J.ケンジ・ロペス=アルト(James Kenji López-Alt)■ 料理家/フードライター。ボストン生まれ、ニューヨーク育ち。ベイエリア移住を経て2020年から妻、娘、息子と共にシアトル在住。『ニューヨーク・タイムズ』のコラムニストや、料理サイト「シリアス・イーツ」の料理責任者(現在は料理コンサルタント)を歴任する。2020年から YouTubeチャンネル「ケンジズ・クッキング・ショー」を開始。著書に『The Food Lab』『Every Night is Pizza Night』『The Wok』がある。

国際色豊かな食事で育つ

料理家、フードライターとしてこれ以上ないほどの経歴を持つケンジさんだが、幼い頃から料理に特別な関心があったわけではない。確かに、アメリカで最も有名な料理家のジュリア・チャイルド氏や、日本でも「世界の料理ショー」で知られるグラハム・カー氏の料理番組を観て育った。しかし、画家のボブ・ロス氏が30分で油絵の風景画を仕上げる「ボブの絵画教室」も同じくらい好きだった。

母方の祖父母中西香爾さん泰子さんの結婚写真1947年

料理に興味を持つようになったのは、父親の影響が大きい。父のフレデリックさんはペンシルバニア州西部の外れで育ったアメリカ人だが、中華料理に目がなかった。ケンジさんが生まれたボストンでも、その後転居したニューヨークでも、活気あるチャイナタウンに足しげく通った。ケンジさんは父親と中華料理を食べ歩き、週末には本格中華のレシピに挑戦して、料理への関心を高めていった。

日々の食事作りを担うのは主に母親だった。母の慶子さんは名古屋出身の日本人で、10代で単身カリフォルニアへ渡り、ジュニア・カレッジでデザインを学んだ。免疫学分野の遺伝学者となるべくスタンフォード大学大学院に通うフレデリックさんと出会い、1974年に結婚。一家の食卓に上るのは、伝統的な和食よりもハンバーグやカレーライスなどの洋食が多かった。慶子さんは『ニューヨーク・タイムズ』を見てはアメリカの料理を覚え、ベティ・クロッカーのお菓子レシピもよく取り入れていた。

「子どもの頃は父と特別な料理を作るほうがずっと楽しかった。でも、今の僕は当時の母に近い立場です。子どもふたりの世話、それに食事作りは全て僕が担当しています。だから普段の料理は、楽しんだり工夫したりというよりも、さっさと終わらせるぜ!って感じですね」。ケンジさんが手がける料理は、調理工程を細かく分析してある一方、一般家庭でも気軽に挑戦できるものばかり。実験的な料理を楽しむ父親と現実的な料理をこなす母親、ふたりの姿を見て育ったからこそ、今日のバランス感覚に優れた姿があるのかもしれない。

ケンジさんいわくちょっとヒッピーだった父のフレデリックさんと母の慶子さん1976年

研究者一家から料理の道へ

両親は結婚後、母方の祖父母をアメリカに呼び寄せた。祖父は有機化学の世界的権威で、2019年の他界後に従じゅさんみ三位が授与されたコロンビア大学名誉教授の中西香こうじ爾さんだ。アメリカで職を得た初めての日本人有機化学者である。「祖父は亡くなる直前まで毎日職場に通う、根っからの化学者でした」。祖母の泰子さんはあまり英語を話さず、主に日本語で会話を交わし、孫たちを心から大事にする愛情深い女性だった。ふたりとも最期までアメリカの地を離れなかった。

父のフレデリックさんは現在もハーバード大学で遺伝学者として教壇に立ち、小児科病院で遺伝学研究所を取り仕切る。そんな遺伝学者の父と化学者の祖父に囲まれて育ったケンジさんにとって、生物学の道へ進むのは自然の成り行きだった。高校生の頃から毎年、夏休みになると生物学の研究所へ足を運んでいたが、3年目の夏、はたと気付く。「自分はそこまで研究を楽しんでいないな、と。僕は心が動くことならいくらでも努力できるけれど、そうじゃないものはまるでダメなんです。それで大学2回生の年を終えた夏、研究はいったん休もうと思いました」

釣りも得意大物を捕らえてご満悦

夏休み中にできるバイトを探し、最初はウエーターをしようと考えていたところ、たまたま見つけたのが料理人の募集だった。レストランの厨房に足を踏み入れた瞬間、ケンジさんはもう夢中になっていた。レストランでの調理は、効率がカギ。20ものオーダーを、一度に一定の質を保って素早く提供する。19歳のケンジさんにとって、アドレナリンが放出される実に面白い作業だった。

こうして生物学から料理の道へと方向転換したものの、研究者魂は消えなかった。レストラン勤務時代も、料理に対する探求心を抑えることができない。「たとえば、なぜパスタはこんなふうに調理するんだろう、肉をこのように焼き付けるのはどうしてだろう、といった疑問が次々浮かぶんです。でも、効率重視のレストランでは答えを探し求める時間はありませんでした」

効率と探求のはざまで葛藤していた時、友人がいい仕事があると教えてくれた。「当時住んでいたボストンで、料理雑誌『クックズ・イラストレイテッド』の実習料理人(Test cook)の求人情報が新聞に載っていたんです。調理だけじゃなく、レシピの試作や研究もできるなんて!と飛び付きました」。選考は1カ月に及ぶ厳しいものだったが、ケンジさんは見事に通過。編集部に「長年温め続けてきた料理に対する疑問を解決したい」と伝えると、二つ返事で許可された。

「化学のような話題はともすると無味乾燥になりますが、たとえば普段食べているマカロニ&チーズにも化学が応用できると聞けば、読者はがぜん興味を示してくれることがわかりました」。自分が誰かに何かを伝える職業に携わるとは思ってもみなかったケンジさんだが、調理か試作をする以外の時間は全て執筆活動に注ぎ、文章力を磨いていった。そうして生まれたのが、フードライターとして初めての著作『The Food Lab』(2015年、邦題『ザ・フード・ラボ』)である。刊行までに5年の歳月を要した意欲作は、ニューヨーク・タイムズ・ベストセラー、ジェームズ・ビアード財団賞、IACPクックブック賞など多数の賞を獲得した。

料理書The Food Labと児童書Every Night is Pizza Nightはどちらもベストセラーに

2020年には、文章を担当した児童書『Every Night is Pizza Night』が出版された。絵本の主人公は、世界でいちばんおいしい食べ物はピザだと信じて疑わない女の子。自分と違う文化で育った子どもたちに出会い、各々に「世界でいちばんおいしい食べ物」があることを知っていく。「自分にとっての“いちばん”が相手にも“いちばん”かと言ったらそうではないし、今日“いちばん”と感じるものを、明日の自分も“いちばん”と感じるわけではない。でも、それでいいんだよ、と伝えたい。そして、何かを肯定するために誰かが好きなものをおとしめたり、自分の気持ちにふたをしたりする必要はまったくないことを、子どもたちに知ってもらいたかったんです」

ケンジさん自身にとって、「おふくろの味」や「ふるさとの食」のように強い感情を抱く食べ物は特にないと言う。「都市部で育った私と同年代の40代であれば同じかと思うのですが、父や母の家に代々伝わるレシピを受け継いでいく、というような文化があまりないんですよね。食事はテイクアウトも多いですし、私の母がそうだったように、いろいろなレシピ本を参考に料理をしている」。特別な調理法や秘伝のレシピ、ここぞというときのお助けテクニックなどを持たない人が増えている現状に、ケンジさんはむしろ「どんなレシピも自分好みにアレンジできる」と肯定的だ。「技術的な知識と情報を手に入れていれば、ですがね」

昨年発表したばかりの新作『The Wok』は、まさに知識と情報を手に入れたい人のための本だ。「中華鍋(Wok)は、日本人にとってはなじみがある調理器具だと思います。だから中華鍋を長年使い、料理に満足している人に言うことはありません。ただ、中華鍋は近年、さまざまなアジア料理に用いられているので、レパートリーを増やしたい人にはぜひ読んでもらいたい」

最新作The Wokはアマゾンのおすすめ本に選ばれニューヨークに巨大看板も出現ⓒMichael Byers

動画作成は「台本なし」がケンジ流

ouTubeチャンネルJKenjiLopezAltではカレーなど日本風の洋食も作る

ケンジさんは、YouTuberとしての顔も持つ。基本的に動画で取り上げるのは家族に作る食事だ。ケンジさんには6歳になる娘と1歳の息子がおり、妻のアドリアナさんはコンピューター業界の会社員のため、フレキシブルに働くケンジさんが家事や育児を主に担う。とりわけ日々の料理は全てひとりで作っている。

50万人超えのフォロワーを擁するインスタグラム<a href=httpswwwinstagramcomkenjilopezalthl=en target= blank rel=noopener>kenjilopezalt<a>より娘のアリシアちゃんへの手作り弁当

「現実の生活の中、家にある材料で家族に作る料理。そのリアルさが僕の動画の魅力なんだろうと思います。こんなの作れない!と視聴者に思わせてしまう“出来過ぎ”な料理コンテンツもたくさんありますから」。撮影の際に台本を用意することもしない。「ノープランで調理するのが僕のルール。そうすることで、なぜこんなふうに作るのか、どうしてここではレシピ通りにしないのか、といった説明がしやすいんですよね。よく動画内でジョークにするのですが、なにしろ僕は自分の書いたレシピ通りに調理したことが今まで一度もないんです!」

執筆、動画撮影、育児で多忙を極める傍ら、地元のレストランにも足を運ぶ。「シアトルの飲食業界は居心地がいいですよね。育ったのはニューヨークですが、あそこは僕には大き過ぎました。終わりなき競争に巻き込まれ、常に何かを見落としているような焦燥感があります。でも、ここは違う。シアトルの街を端的に表すと『カジュアル&リラックス』ですかね。普段着でふらっと寄れる店がたくさんあるし、シーフードも新鮮で質が良いのに手頃な価格なのがうれしい」

昔から「なぜ」を問い続けてきたケンジさんの探求心は、今もこれからも衰えることがない。今度はどんな料理を掘り下げて、私たちの好奇心と胃袋を満たしてくれるだろうか。

本インタビューの様子は姉妹紙『北米報知』のYouTubeチャンネルにて動画を公開中(https://youtu.be/Ug-uKULOcJo
Elaine Ikoma Ko is the former Executive Director of the Hokubei Hochi Foundation, a nonprofit that helps The North American Post with projects and events. She is a member of the U.S.-Japan Council, an alumnus of the Japanese American Leadership Delegation (JALD) to Japan, and leads spring and autumn group tours to Japan.