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War Bride 〜「戦争花嫁と呼ばれて」〜 タコマ日本人コミュニティー教会のみなさん

「航空券は退職金で買いました」
ラービー貴久子さん

5歳で父を亡くし、戦後の混乱期に女手ひとつで育てられた。5年制の高等女学校を卒業し、青森県弘前市の職業安定所で紹介されたのが、三沢米軍基地でのカメラ販売の仕事だった。当時、同じ販売所にはピューリッツアー賞を受賞した沢田教一氏がいた。「お客さんはみんな、沢田さんのところに行ってしまうんですよ。日本製のカメラが良いと聞いて、たまたま買いに来た夫に、私がわからないなりに一生懸命説明して。それが良かったんでしょうかね」。夫のポールさんが初めてデートに誘った際の貴久子さんの返答はなんと、「アイム・ソーリー、アイ・ オルレディー・ハブ・デート!」。貴久子さんは「結婚してから、それを聞いたの。でも全然覚えてないのよねぇ」と笑う。

ポールさんの三沢駐在中に2年間、交際を重ねた。アメリカに戻ったポールさんは、手紙で貴久子さんにプロポーズ。約1年の手続き期間を経て、貴久子さんは1960年に渡米した。母は反対することもなく、とても喜んでくれた。

ポールさんがキャプテンに昇進した際の記事日本に3年駐在したこと当時テキサスの基地にいたことが記されている

初めて降り立ったアメリカの地は、テキサス州だった。「日航機で羽田からまずサンフランシスコへ行くと、夫が迎えに来てくれていました。航空券は退職金で買いました。だから、その金額は絶対に忘れないの。4万3,000円!」。日本人の海外旅行が自由化された1964年より以前の海外渡航。庶民にとって、簡単なことではなかった。1ドル=360円、国家公務員上級職の大卒初任給でも、ようやく1万円超えという時代だ。

夫の退職後、夫婦で初めてワシントン州に移り住んだ。「通るたびに、海はあるし、山はあるし、いいところだなぁ、ここに住みたいと思っていたんです。それが叶いました」。ポールさんが亡くなり、5年が経つ。「いい人生だと思います。ここまで、あっと言う間でした。1日、1日を大切に。人生はあっと言う間です」