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終戦記念特別レポート1 二度とないように-Nidoto Nai Yoni-

取材・文 長岡里沙

知らなかった日系アメリカ人の歴史

二度とないように メモリアル
二度とないように メモリアル

日本にとって終戦記念日でもある8月15日は「戦没者を追悼し平和を記念する日。しかしこの日、遠いアメリカにいる日本人、日系アメリカ人の終戦に思いを馳せる人がどれくらいいるだろうか。大学生である私も、アメリカに来るまではほとんど何も知らなかった。インターナショナルディストリクトの北側には、かつて活気を見せた日本町の面影を見ることができる。恥ずかしい話だが、日本人の文化がシアトルに受け入れられるようになったのは、イチロー選手の存在があったからだと思っていた。ある日、日系アメリカ人の歴史についての講演会に参加し、日本人と日系人の過酷な歴史を初めて知った。
1941年、日本軍によるハワイの真珠湾攻撃をきっかけに大統領令が発令され、アメリカ西海岸とハワイに住む日本人と日系人約12万人が強制収容所へ送られることになった。
最初に強制立ち退きを命令されたのはベインブリッジ・アイランドに住む276人。出発までわずか6日の猶予しか与えられず、持っていけるのは、自分が両手で持てる荷物のみ。これまで築き上げた財産を全て失うことになったのだ。

ベインブリッジ・アイランドへ

私は、日系人の歴史をもっと知りたいという思いからベインブリッジ・アイランドに行くことにした。シアトルダウンタウンからフェリーに乗って30分で島に着く。
幸いにも、収容所に送られた日系人の1人で現在も島に暮らす、日系三世のリリー・キタモト・コダマさんに会うことができた。「当時、私は7歳で幼かったから、親が近くにいれば、どこで暮らしても楽しかったし怖いものはなかった。しかし、両親や私より年齢が上の人たちの心境は深刻だったと思う。収容所は今までの場所とは明らかに違うひどいものだということは、子どもながらに覚えています」と語る。「偏見は終戦後もなくなることはなかった。我々の多くは日系人であることを恥じ、なるべくアメリカ人に見えるように行動したのです。こんなことが二度と繰り返されてはならない」。リリーさんは、ベインブリッジ・アイランド歴史博物館(Bainbridge Island Historical Museum)で日系人の歴史を語りつづけている。

記念館でリリーさんと筆者
記念館でリリーさんと筆者

二度とないように

メモリアルの壁に刻まれたジュンコウさんの名前
メモリアルの壁に刻まれたジュンコウさんの名前

歴史博物館から車で15分、フェリー乗り場の近くに、平和への願いを込めて作られた「二度とないように(Nidoto Nai Yoni)」と書かれた石碑がある。私はメモリアルの石碑の前に立った。穏やかな島の様子からは、かつての日系人の歴史は想像できない。
メモリアル建立は、強制収容所体験者の寄付で実現したもので、彼らの名前が当時の年齢と共に刻まれている。当時8歳だった二世のジュンコウ・ハルイさん(Junkoh Harui)の名前もあった。ジュンコウさんは、第二次大戦後、島で父親の苗木業を立て直し、事業を成功させた数少ない日系人のひとりで、2008年に亡くなった。
この日偶然、ジュンコウさんの孫たちに遭遇し、話を聞くことができた。ノーラン・ハルイ君(Nolan Harui)は、ジュンコウさんが強制収容所に拘留された時と同じ8歳。メモリアルの近くにある海へ遊びに行く前には必ず、ジュンコウさんにあいさつをしに寄るのだとノーラン君の母親は言う。「ノーランがどこまで祖父のことを理解しているかは分からない。しかし、祖父が経験したような歴史が再び起こらないように祈るばかりです」と語った。
当時のことを実体験として語る人が数年後にはいなくなってしまう。歴史が忘れ去られないように、ノーラン君や私たちが、次世代への架け橋になるべきだと痛感した。

Bainbridge Island Historical Museum

215 Erickson Avenue NE Bainbridge Island, WA 98110
☎206-842-2773
bainbridgehistory.org

Bainbridge Island Japanese American Exclusion Memorial

4195 Eagle Harbor Dr. NE, Bainbridge Island, WA 98110
☎206-855-9038
www.bijac.org