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いずみたくの時代〜晴歌雨聴 ~ニッポンの歌をさがして第43回

晴歌雨聴 ~ニッポンの歌をさがして

日本のポピュラーカルチャー、特に1960-70年代の音楽について研究する坂元小夜さんが、日本歌謡曲の世界を案内します。

いずみたくの時代

アメリカ在住の皆さんは、日本のTV番組をどのように試聴されているのでしょう。最近は便利な方法がいろいろありますが、それでもやはり観られない番組も多いですよね。個人的には、知らない俳優ばかりが出演する話題のドラマよりも、私の子ども時代から続いているような長寿番組が観たくなります。

当時は何気なく観ていたのに今は恋しい。その代表が、黒柳徹子の「徹子の部屋」です。1976 年から放送を開始し、2023 年には同一司会者によるトーク番組としてギネス新記録を更新したそう。黒柳の単刀直入な質問が時に笑いを誘い、出演するスターの素顔が垣間見られるのが面白いですよね。同年、アニメーション映画が公開されて大好評を得ている黒柳の著書『窓ぎわのトットちゃん』もまた、単一著者による最多発行の自叙伝としてギネス記録認定を受けたとか。

さて、私のように「徹子の部屋」を恋しがるほどではなくても、そのテーマ曲と聞けば、誰もが口ずさめるのではないでしょうか。「るーるる るるる るーるる」のメロディーがすぐに浮かびます。これは、黒柳がオペラ歌手の島田祐子とふたりで上演していた即興音楽劇「二重唱」のテーマ曲を元に、いずみたくが再構成したもの。1976年にいずみが創設したミュージカル用の小劇場、アトリエフォンティーヌのこけら落としの演目だったとのことです。

いずみは自身のモットー「歌はドラマである」を体現すべく、ミュージカルの創作や俳優の育成に励みました。また、幅広いジャンルで多くの曲を生み出しています。太陽をテーマにした作品が多く、アンパンマンの生みの親である、やなせたかし作詞による童謡「手のひらを太陽に」(1963年)や、フォーク・グループ、青い三角定規の「太陽のくれた季節」(1972年)は、小中学校の合唱コンクールで引っ張りだこに。ほかにも「伊東に行くならハトヤ」と歌うハトヤのCMソングから、音楽を手がけていたアニメ番組「それいけ!アンパンマン」関連曲まで、いずみの作品は日本中で親しまれています。

私が好きなのは、佐良直美が歌った「世界は二人のために」です。1967年に発売され、大ヒットとなりました。「愛 あなたと二人」で始まるシンプルな歌詞と軽やかなメロディーによる名曲中の名曲です。いずみの作品群は、日本の音楽界で一時代を築き上げたと言っても過言ではないでしょう。

横浜生まれ東京育ち。大学院進学のために2015年に渡米。2020年よりロサンゼルス在住。南カリフォルニア大学大学院の博士課程にて日本の戦後ポピュラー文化を研究。歌謡曲と任侠映画をこよなく愛する。