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石巻の和尚さん~みきこのシリメツ、ハタメーワク

みきこのシリメツ、ハタメーワク

「おわー! びっくりしました。ありがとうございます。もう、心はグチャグチャになってますが、仏の慈悲にすがって南無阿弥陀と念仏してお祈りいたします。もう、それしかないですから。10年、地道にこれしかしてません。新しいイベントもありません。ひたすら、ひたすら、南無阿弥陀仏です」

東北の大震災から10年。しばらく連絡していなかった石巻、西光寺の樋口和尚さんに「今日一日、みんなのことを考えて祈っています!」とメールしたら、返信がすぐに来た。

以前所属していたゴスペル聖歌隊で、2006年にお寺の本堂でコンサートをしたことがある。和尚さんと聖歌隊のディレクター、パット女史は宗教の違いを超えて、もっと大きな宇宙のスピリットに護られてか、不思議と意気投合してしまった。そして5年後の大震災。3週間連絡つかずの心配の中、ようやくメールが来た。お寺は丘の登りきったところにあるため被害はそれほどではなかったが、墓石180基が参道を埋め尽くしていた。

「今日の火葬は父親、妻、長女を津波に奪われた友人家族。涙と鼻水でなかなかお経になりませんでした。今日の火葬のお勤めにきれいな身仕度で臨むために、昨日の午後、1週間ぶりに自衛隊の簡易風呂に入りゴシゴシ洗いました。毎日ホコリまみれの私ですが、いま頑張らないと坊さんになった意味がありません。パットさん始め、皆さんの歌う姿を想像すると力が湧いてきます。ありがとうございます」

募金運動を続け、シアトルの街じゅうのホテルで不要になったアメニティー・グッズの寄付を集めた。大きなホテルに交渉に行くのは黒人メンバーには難しいが、津波被害国の日本人の私には問題ない。満杯のスーツケース2つを持って、翌年、石巻に向かった。復興はまだまだだったが300人ほどの方が歌を聴きに来てくれた。コンサートの後、まだライフラインも整っていないため、車の中で調理してくれたチキンとご飯のおいしかったこと!

「子供を亡くした母親の会」のメンバーの話は10年経っても色あせない。閉じ込められた車から上の2人は出られたが、末の弟を引っ張り出せずに手を放してしまった息子の話。バレリーナの6歳の娘が「どこかへ飛んで行ってしまった。私もあとを追って行きたい」と絶望的な母親。和尚さんの「今あとを追うと、違うところに行ってしまうから会えないよ。娘さんのしたかったことをやって、彼女の分も生きてみようね」という励ましの言葉など、フツフツと胸によみがえってくる。

「どんな環境にあっても心だけはつながっていたいですね。合掌」とメールをしたら、和尚さん、「ありがとうございます。あーめん!」

東京都出身。2000年から2005年まで姉妹紙『北米報知』ゼネラル・マネジャー兼編集長。「静かな戦士たち」、「太平洋(うみ)を渡って」などの連載を執筆。2020年11月に日本に帰国。同年、著書『ゼッケン67番のGちゃん』を刊行。