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日本文学研究家 ジェイ・ルービンさん

村上春樹作品の翻訳家としてその名を知られる、ジェイ・ルービンさん。教職を退いた後も精力的な執筆を続け、 現在は近現代日本文学作品の英語訳アンソロジー(選集)作品に取り組んでいます。アンソロジー作品には村上春樹氏による前書きも入り、ペンギン・グループから出版される予定です。ルービンさんの執筆活動の拠点はベルビュー市内にある自宅書斎。そこで、アンソロジー作品、小説デビュー作『The Sun Gods』について話を聞きました。

取材:ブルース・ラトリッジ 翻訳:大井美紗子

こんなに編集が楽しかったのは初めて

「現在制作中のアンソロジー作品は、少し変わっているんです」と、ルービンさん。普通は作品を年代別に章立てするところを、同作品はテーマ別の編成にしている。たとえば「日本と西洋」という章があり、その章には日本と西洋のつながりをあえて書き続けた永井荷風や夏目漱石を収載。異性関係にまつわる物語を収めた「男と女」という章もあれば、ユーモア小説を収めた「現代生活とその他ナンセンス」という章もある。「作品のトーンや雰囲気で分けています。唯一、年代別にしたのが『天災と人災』という章です。作品の発刊年度ではなく、その災害が起こった年度順に並べています」。初めは1923年の関東大震災、それから戦争の時代に入り、広島にまつわる話もあれば、コロンビア大学出版会から発行された『Ground Zero, Nagasaki』という傑作も。戦中、戦後と続き、最後は福島の被災だ。

「戦後の作品としては、川端康成の名作もありますし、別のアンソロジーのために昔翻訳した『アメリカひじき』もあります」。アニメや実写など映画化もされた『火垂るの墓』の原作者として知られる野坂昭如著『アメリカひじき』は、両作品で直木賞も受賞。10代の頃に戦争を経験し、売春あっせんをする“ポン引き”などをして生活をつないだ男が主人公だ。「ポン引き生活から20年ほどが経って社会的な地位もやっと築いたある日、彼の妻があるアメリカ人夫婦を日本に招いたことがきっかけで心が千々に乱れるんですね。一方では敗戦前後に経験したあれこれを思い出し、もう一方ではアメリカ人が家にやって来たって平気だぞ、と強がる。すっかり記憶が逆戻りして、またポン引きになってしまうというわけです。笑いあり涙ありの、素晴らしい物語。今回収載できて本当にうれしいです」

今回のアンソロジーに入る全ての日本文学作品について、ルービンさんが翻訳・編集をしている。これはずいぶんと骨が折れる作業だったようだ。「1行1行じっくり見ていくと、他者が翻訳した文にも自分自身が過去に翻訳した文にも、修正したい部分がたっぷり見つかるんです」。アンソロジーは、1年以内には刊行される予定。本当は3年前に出ているはずだったが、制作は長期にわたり、昨年末にようやく編集に入ったという段階だ。「編集作業はとんでもなく楽しい経験。こんなことは初めてかもしれません」

翻訳するのが辛かった原爆文学

今はアンソロジー作品制作の最終段階に入っていて、村上春樹氏による前書きを訳しているという。前書きの翻訳 とは言え、ここ数年間にわたって村上氏と幾度となくやりとりをしながら仕上げている。過去のルービンさんによる翻訳・再訳作品『Rashomon and 17 Other Stories』(芥川龍之介『羅生門』、ペンギン刊、2006年)、『Sanshiro』(夏目漱石 『三四郎』、ペンギン刊、2010年)、『The Miner』(夏目漱石『抗夫』、アードバーク・ビューロー刊、2016年)にも村上氏が前書きを寄稿した。「村上さんはいつも素晴らしい前書きを寄せてくれる。今回も寄稿してくれると聞いて驚きました。(現代文学はあまり読まない)村上さんに現代文学を読ませることになりますからね。芥川や漱石など近代文学はわかるが、まさか現代の作品まで引き受けてくれるとは」

今回のアンソロジーの「天災と人災」の章について、ルービンさんの本音も漏れた。広島と長崎の原爆については、半ば意図的に目を背けていた時期があったという。再び向き直るには、自分を奮い立たせる必要があった。2つの原爆について、かなり多くの日本語資料を読み込んだ。「日本には『原爆文学』というジャンルがあるんです。その中でも、大田洋子という作家に引かれました。(この分野では)最も成功した職業作家のひとりです。アンソロジー作品には、彼女の『屍の街』からかなり長めの章を抜粋しています。鳥肌が立つような物語です。翻訳するのが辛かった。文章にするには、全てを想像しなければいけませんから。なんていうか、おぞましい作業ですよね。そんなふうに原爆文学をたっぷり読んだ期間があったのです。しかしその経験がなければ、『The Sun Gods』の長崎の章(最終章)を書くことはできなかったでしょう」

『The Sun Gods』 (邦題:『日々の光』)
ルービンさんの小説デビュー作。2015年、チン・ ミュージック・プレス刊。シアトル、ミニドカ収容所、日本が舞台。日本語版は柴田元幸氏、平塚隼介氏による訳。

カナダの日系人収容について

2017年夏にカナダのバンクーバーで開催された日系コミュニティーの夏祭り「パウエル祭」で、ジョイ・コガワ氏とパネル・ディスカッションをしたルービンさん。両者共に、日系人の強制収容について書いた作家というのが、パネリストとして呼ばれた理由だったようだ。ルービンさんは事前に代表作『Obasan』(邦題:失われた祖国)を含むコガワ氏の作品を読んだという。「とても引き込まれました。『Gently to Nagasaki』も良かった。この本は今、2回目を読み終わったところです。というわけで、カナダの強制収容については、パネル・ディスカッションの前にわずかながら知識を仕入れていました」

カナダの強制収容がアメリカのそれと大きく異なる点は、カナダ政府が人々の財産を没収したこと。「アメリカ人は、そこまでしなかった。日系人たちを有刺鉄線の奥に閉じ込め、マシンガンを突きつけた。ひどい話ですが財産没収まではしなかった。シアトルの日系人がミニドカ収容所へ連行される際には、やむを得ず全財産をスズメの涙のような金額で売り払いました。『The Sun Gods』の中でも、登場人物の女性が『そんなはした金をもらうくらいなら』と自分の陶器を投げ割ってしまう場面があります。結局、アメリカ政府は彼女の陶器を没収しなかったというストーリーです。カナダ政府は財産没収までしてアメリカ以上にひどかったわけです。家も車も仕事も奪った。その没収財産で強制収容にかかる費用を支払ったそうです。あきれますね」

カナダでは、日系人の収容が終戦後の1949年まで続いた。カナダ政府は本国送還、疎開、そんな呼び名でごまかしていたが、実情は投獄のようなものだったとルービンさんは語る。「日本へ帰ることもできる」と言ったところで、ほとんどの人は日本へ行ったことすらない。日本とのつながりは何もなかった。アメリカで収容された人数は12万人で、カナダでは2万1,000人から2万2,000人と言われている。アメリカのほうがずいぶん多いのは、カナダでは約4,000人が日本への帰国に同意したから。「いや、帰国ではなく渡航というべきかな。『The Sun Gods』の中にも、日本への送還を選び、スウェーデンの大型船であるグリプスホルム号に乗る人たちが出てきます。日本へ送還された人たちがその後どうなったのかはわかりません。うまくいったのか、そのうち何人が自死を選んだのか。4,000人が送還された後、残った人々はカナダ中に散り散りになりました。日系人コミュニ ティーが作れないよう、あえてバラバラにされたんです。実に卑劣なやり方です」

『Sanshiro』
(ペンギン・クラシック)
ルービンさんが最近手掛けた、夏目漱石『三四郎』 再訳。村上春樹氏による前書きも入る。

日本語を勉強し始めたのは「なんとなく」

シカゴ大学2年生の時に日本文学に出合ったルービンさんは「もしかしたら中国文学や中国史を選んでいたかもしれない」と話す。そもそも大学では英語学か哲学を選ぶつもりだったという。「専攻教科を決める3年生になれば専攻以外のクラスを受講する時間がなくなるので、その前に何か珍しいものを学びたい。だったら西洋以外のものを学ぼうと思ったんです」。ちょうど中国史のコースがあったが、ルービンさんには、「なんとなく」日本文学のほうが魅力的に見えた。日本文学クラスが始まると担当の教授は英訳本と日本語元本の両方を使って翻訳について話し、原文を読めるほうがどんなにいいかを教えてくれたという。「日本文学クラスを終えて夏休みに入ると、日本語教科書を買って日本語の勉強を始めていました。そしてどっぷりのめり込んでしまったんです」。3年生からの専攻は東アジア言語を選択して日本文学学士を修了。それでも学び足りないと思って大学院へ進み、そのまま日本文学の博士号を修得した。

ノルウェイの森ルービンさんが翻訳した村上春樹作品の1つ

『The Sun Gods』に、主人公のビルが明治時代のような恰好をした老紳士に会うという場面がある。それはルービンさんが実際に経験したことだ。「四ツ谷駅の近くに草が茂った土手があって……あれは公園ですかね。その辺りを歩いていたら、まるで明治時代から抜け出してきたような日本人の男性がいたんです。『おじさん、アメリカから来たんだ ろう?』と、英語で聞かれました。かつてニューヨークのコニー・アイランドでポップコーンを売っていたそうです!」

1Q84ルービンさん翻訳の村上春樹作品

 

プライベートでは最近、強制収容をテーマにしたジョージ・タケイ主演ブロードウェイミュージカル「Allegiance」(邦題:アリージャンス/忠誠)を鑑賞したというルービンさん。「素晴らしい出来映えで、2回も観たくらいです。これは 観る価値がありますよ」。日本にもたびたび訪れている。「日本へ行くのは仕事の話をしたりリサーチしたりもあるけれど、実はそれ以上に楽しみにしていることがあって」。翻訳家でアメリカ文学研究家の柴田元幸氏らとギター・ジャム・ セッションを楽しむのだという。

Jay Rubin(ジェイ・ルービン)■日本文学の英語翻訳家として第一線で活躍。日本を代表する現代作家、村上春樹氏の作品を数多く翻訳していることで知ら れる。ワシントン大学とハーバード大学で教鞭をとった後、2006年に退任。2015年に長編小説『The Sun Gods』を刊行。妻と共にベルビュー在住。

 

本記事は英語でのインタビュー記事を元に日本語意訳したものです。オリジナルの英語インタビュー記事は姉妹紙『北米報知』のウェブサイトでご覧になれます。