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窪田ガーデン財団理事長 ジョイ・オカザキさん

窪田ガーデン財団理事長 ジョイ・オカザキさん

サウス・シアトルに20エーカーもの土地を擁する窪田ガーデン。高知県・奈路出身の造園家、窪田藤太郎氏によって開かれた緑豊かな庭園は知る人ぞ知る穴場でしたが、シアトルの発展と共に今や人気観光スポットへと変貌しています。32年にわたり見守り続けてきた窪田ガーデン財団理事長、ジョイ・オカザキさんに話を聞きました。

取材・原文:ブルース・ラトリッジ 翻訳:大井美紗子 写真:窪田ガーデン財団、デンショウ、本人提供

※本記事は『北米報知』2020年3月13日号に掲載された英語記事を一部抜粋、意訳したものです。

ジョイ・オカザキ(Joy Okazaki)■窪田ガーデン財団発足の1989年以来、財団理事として従事。2012年より財団理事長。レニアビーチ近郊に育ち、レニアビーチ高校、ワシントン大学を卒業。建築会社のポルティコ・グループでのプロジェクト・マネジャー、シアトル市の公園・レクリエーション局勤務、ターナー・コンストラクションでのシニア・プロジェクト・マネジャーを経て、現在はプロジェクト・マネジメント・コンサルティングを行うヒカリ・コンサルティングを経営。夫と11歳の秋田犬であるコナと共に、エドモンズ在住。

窪田ガーデンがシアトルの人気観光地となるまで

窪田ガーデンにて窪田藤太郎氏1965年撮影

まだ私有地で一般公開されていなかった頃、小学生だったジョイ・オカザキさんは、しょっちゅう窪田ガーデンに忍び込んでは中を探検して遊んでいた。自宅はそこから1マイルもない近所にあった。ジョイさんは回想する。「おたまじゃくしやカエルを見つけたり、橋や池を眺めたりして過ごしていました。そこが庭園だなんて全然知らなかった」

幼いジョイ嬢は将来、自分が実に20エーカーもの敷地を持つこの窪田ガーデンと深いつながりを持つことをまだ知る由もなかった。

窪田ガーデンは、日系移民の窪田藤太郎氏によって1927年から造園が開始された。訪れた人の多くは、庭園の持つ不思議な魅力に引き付けられる。それは藤太郎氏の魂が注ぎ込まれているためではないか、とジョイさんは考えている。「造園計画をどのように実行へ移すつもりですかと尋ねられると、藤太郎はこのように答えていました。『神様がなんとかしてくださる』と」

1988年にワシントン大学建築学科を卒業したジョイさんは、その翌年、発足したばかりの窪田ガーデン財団に理事として参加する。理事会に加わったのは、ほとんど好奇心からだった。「非営利団体が一から始動する過程を見るのは楽しいだろうと思いました」。以来、ジョイさんは32年もの長きにわたって理事を務める。2012年には理事長に就任した。

窪田ガーデンにて窪田藤太郎氏1965年撮影

この間も、窪田ガーデンは目まぐるしい変化を遂げた。庭園は、かつての隠れた名所から、サウス・シアトルの必訪スポットに。観光客、庭園マニア、そして、シアトルからも癒しを求める人々が詰めかける。来場者は2014年に5万6,000人を超え、2019年には10万8,000人を突破した。「90年代は、ノースウエスト・フラワー&ガーデン・ショーに行って広報活動に励んでいたくらいなのに」と、ジョイさんは笑う。「その時にはよく質問をされたものです。窪田ガーデンってどこにあるのってね」

映画化と書籍化が実現

1973年に94歳で亡くなった藤太郎氏の追悼に、息子のトム
さん、タクさんが造ったムーン・ブリッジ(1991年撮影)

窪田ガーデン財団は、この人気が今後もさらに高まることを期待している。昨年にはドキュメンタリー映画と書籍を発表した。1989年の財団発足当時は、映画も書籍も夢物語に過ぎなかった。理事会でも、庭園保存に尽力するシアトル市をいかにサポートするかが焦点となっていた。「官民提携(パブリック‐プライベート・パートナーシップ)」という言葉が生まれる前から、財団とシアトル市はそれを行ってきたのである。「他組織から支援を募るほか、ボランティア募集、特別プログラムやツアーの実施、広報活動といったことが財団の仕事でした」と、ジョイさん。シアトル市には予算の制約があるので、その分、財団ができる範囲でサポートをした。

90年代に入ると、庭園の歴史を調査・記録することに重点的に取り組んだ。藤太郎氏の息子であるトム・クボタさんらに話を聞くほか、ニュースレターの発行、ウィキペディアのページ作成、ウェブサイトの立ち上げを通して、ガーデンの歴史と年代記を構築。同時に、20世紀に撮影された、窪田家の歴史を物語る家族写真の多くを保存するようにした。写真は財団が保管し、日系人の歴史資料をデジタル保存している非営利団体のデンショウ(伝承)によるデジタル・リポジトリでは閲覧もできる。

ジョイさん1990年の年次ミーティングにて初代財団理事長のハーベイワタナベ氏と

「ジョイにはしっかりとビジョンがあるように思います。責任感を持って窪田ガーデン財団の理事長を務めていますが、それは日系アメリカ人コミュニティーへの深い造詣とつながりが基盤にあるからでしょう」と、ジョイさんについての印象を語るのは、デンショウ創設者でジョイさんの長年の友人でもある日系3世のトム・イケダさん。「ジョイのおかげで、庭園にまつわる数百もの貴重な写真・資料がデジタル保存され、研究者や歴史家、そして家族らが、将来何代にもわたって閲覧できるようになりました」

2019年にはシアトル市によりエントランスと塀が新しく造られた

ジョイさんの活動を支える原動力は何か。それは、庭園を長く存続させたいという強い願いである。「子どもたちとのつながりを構築する必要があると感じています。次世代を担う子どもたちに愛されてこそ、庭園の管理も引き継がれていきますから。スカベンジャーハント・ツアーやソープ・カービングのワークショップといった子ども向けのプログラムを始めたのも、それが理由です」

今こそ庭園の歴史を語る時

20世紀が終わりを迎える頃、庭園の歴史を調査し、認知を広げる活動を続けて10年の時が経とうとしていた。理事会の一部では、「この歴史を1冊の本にまとめてはどうか」という声が上がり始める。「実際に検討を始めたのはおそらく今から16年前のことです」と、ジョイさんは振り返る。「しかし、本にしようにも手段がありません。古い写真や新聞・雑誌の切り抜きは手つかずのままで、資金もない状態でした。当時は庭園で行われるプロジェクトに多少の資金を援助してもらうのが関の山だったのです」

窪田ガーデンは市民のイベント会場としても利用されるこの日はキンセアニェーララテンアメリカ発祥でアメリカの一部でも行われている15歳の少女の誕生日を祝う会と舞踏パフォーマンスがコラボレーション2017年撮影

それでも映画化と書籍化は進められ、先にドキュメンタリー映画が2019年12月に公開。「Fujitaro Kubota and His Garden」は驚くほどの要望を受け、サウス・シアトルにあるアーク・ロッジ・シネマズにて封切りと相成った。サウス・シアトルの報道機関、サウス・シアトル・エメラルドによれば、「映画は先行上映から大盛況。その人気ぶりを受け、上映シアターをひとつ追加したが、常連客が映画館に入れず引き返すほどだった」という。

一方の書籍は、愛書家で知られる理事会メンバー、エリザベス・バトラーさんの先導で、映画に先行して話が進んでいた。「エリザベスは庭園もさることながら、大の文学好き。編集委員会を取りまとめ、本作りを引っ張っていってくれました。出版はチン・ミュージック・プレス(原文筆者のブルース・ラトリッジが経営する地元の出版社)を通じて行いました」

ジョイさんには、刊行に当たり、窪田藤太郎のストーリーを語るのに今以上にふさわしい時期はないという確信があった。「藤太郎は日本からの移民で、反移民感情をよそにビジネスを立ち上げて大成功を収めるも、第二次世界大戦中の日系人強制収容で何もかもを奪われた人物です。戦後に再びビジネスを立て直し、元の場所に返り咲きました。移民やアジア系への差別感情がなくならないアメリカでは、このようなストーリーを今でもよく耳にしますよね」。書籍『Spirited Stone: Lessons from Kubota’s Garden』は2020年3月17日に発刊されている。

庭園の未来を見据えて

季節折々の風景に癒される空間はシアトル市民の憩いの場

理事会がドキュメンタリー映画と書籍により窪田ガーデンの認知を広める中で、ジョイさんは数々の課題にも目を配る。急務のひとつは、トイレ施設の設置だ。「年間10万人を超える来場者があっても、庭園内にはトイレ施設がないんです」。財団はトイレ施設の設置に向けて動き、100万ドル近い州の助成金を得ることができた。2022年までにはピクニック・エリアを含め、トイレ施設とその周辺環境が整備される予定だ。

財団は、その先を見据えた活動も始めている。「窪田ガーデン近くを流れるメープス・クリークとその景観を保つため、そしてガーデンの緩衝地帯として、周辺地域の土地を買い取るべく、シアトル市に働きかけるようになりました。雨水流出の影響や、山腹地域が南側の地域に雨水氾濫をもたらす可能性なども考慮してのことです」

窪田ガーデンがあるレニアビーチ地区も、この数十年での変化が著しい。窪田ガーデンは、今や急成長するシアトルに欠かせない、市民の安らぎの場となっている。そうした意味でも、コミュニティーにおいて、かつて以上に重要な役割を担う。「都市部の密度を上げるより、このような安らぎの場を持つほうが大切だと人々に知らせたいですね」とジョイさん。「この庭園と財団が将来にわたって存続できることを願っています。窪田ガーデンは私にとって、今までもこれからも、ずっと特別な場所です。なぜ、私はこんなにも窪田ガーデンのことを気にかけるのだろうと改めて考えてみると、それはきっと、子ども時代に築いたつながりのおかげだと思い当たりました」

池におたまじゃくしを見つけ、園内を駆け回る子どもたちが、次世代としてジョイさんら財団に加わる日も近いことだろう。そして、ジョイさんが望む、窪田ガーデンが永遠に続く未来を作っていってくれるはずだ。

窪田ガーデン Kubota Garden
9817 55th Ave. S., Seattle, WA 98118
www.kubotagarden.org

1987年からシアトル市が所有し、一般に公開されている窪田ガーデンは年中無休、入場無料。エントランス近くにある金属製の箱に詳細地図あり。各種ツアーやボランティア活動は現在休止中。入場の際はワシントン州の新型コロナウイルス対策ガイドラインの行動指針に沿うことが必要。その他詳細、最新情報は上記の公式ウェブサイトまたは公式Facebookページにて(www.facebook.com/Kubota-Garden-144013716362)にて。

〇映画「Fujitaro Kubota and His Garden」
https://ddr.densho.org/ddr-densho-354-2125/(デンショウ)

〇書籍『Spirited Stone: Lessons from Kubota’s Garden』
https://spiritedstone.wordpress.com(チン・ミュージック・プレス)