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外資系証券会社員:サミュエル・ヤジマ・テイラーさん ~日本で活躍するワシントン州出身のアメリカ人~

soysource01_10pg10_15 完璧な日英バイリンガルのサミュエル・ヤジマ・テイラーさん(以下、サムさん)は、アメリカ人の父と日本人の母を持ち、シアトルで生まれ育った。両親の「アメリカで育っても、日本語はきちんと修得して欲しい」との考えのもと、幼児期に家庭で使われていた言語は日本語のみ。ベビーシッターも日本人という環境の中で育ち、4、5歳まではきちんと英語がしゃべれなかったという。

幼稚園からシアトル日本語補習学校に通うようになり、「補習校に通うのがいやな時もありましたよ」と当時を振り返る。母親に「行かないと漫画を読ませない」と言われ、漫画好きだったサムさんはしぶしぶ補習校に通ったそうだ。また、アメリカの長い夏休みを利用して、6月には日本の祖父の家に滞在して地元の学校に1カ月体験入学するなど、日本語教育が徹底していた。

補習校は毎週土曜日1日で、日本の学校なら1週間で学ぶ内容を凝縮した授業が行われる。1日で済ませられる量は限られており、残ったものは宿題。現地校の宿題との両立もしなくてはならず、週末なのに現地の友だちと遊べないなど、不満なことは多かったはず。しかし、親の励ましもあって中学生まで補習校に通い続け、高校生になると「ここまで頑張ってきたんだから、最後まで頑張ろうと決めました」と、自らの意志で継続した。挫折する生徒も多い中、サムさんは見事修了。「僕も大変だったけど、両親も、土曜日にお弁当作りや学校までの送り迎えなど大変だっただろうなと思います。感謝しています」と、今では頑張って本当に良かったと思っている。

ワシントン大学では経済学を勉強し、大学4年間は日本や日本語とは離れた生活をしていたが、バイリンガルであるという強みを生かした仕事に就きたいとは常々考えていたそうだ。金融に興味を持ち始めたのは大学3年生の頃。大学卒業後、シアトルで思うような仕事に就くことができず行き詰っていた時、物心ついた時から憧れていた日本で就職しようと、2009年1月に渡日した。

現在、サムさんは東京在住。大手外資系証券会社でトレーダーのサポートをしており、他にも、仕事の効率性を高めるプログラムの開発などに携わっている。外国人がたくさん働いており、日本人であっても海外チームとのコミュニケーションは全て英語。「僕と同じように日本語と英語が両方できる人たちに囲まれて、職場でのびのびやっています」と語る。

職場では外資系ということもあって、上下関係を問わずアイディアや意見の発言が奨励されている。その反面、成果を上げなければすぐに解雇されることもあるが、「外資系の会社間で人材が流動していて、まるで椅子取り合戦のようです」。シビアな世界だが、アメリカで育ったサムさんにとっては当たり前の環境だという。「自ら志望しないと昇進や転勤もありませんから、自分の実力や頑張り次第で可能性はどんどん広がりますね」

幼いころから日本に慣れ親しんできたから日本での生活にカルチャーショックはないが、やはり日本の食の安全性や公共soysource01_10pg10_17 交通機関の発達、接客に対する姿勢には感心させられるそうだ。

サムさんは、スーパーボウルの日は仕事を休んで朝7時からスポーツバーに行く程の本格的なスポーツファン。だから、困ることと言えばシアトルのスポーツチームの試合を観戦する際の時差だとか。

「自分の強みはバイリンガルであること。アメリカで日本語ができるより日本で英語ができる方が需要があるので、日本で仕事を見つけたのは正解でしたね」。日本に来たことで、今後の選択も広がり、海外転勤なども視野に入れているそうだ。