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イムジン河〜晴歌雨聴 ~ニッポンの歌をさがして Vol.31

晴歌雨聴 ~ニッポンの歌をさがして

日本のポピュラーカルチャー、特に1960-70年代の音楽について研究する坂元小夜さんが、日本歌謡曲の世界を案内します。

第31回 イムジン河

川は、日本人特有の切なさや望郷の念などの心情を歌うのにぴったりのテーマ。特に、ふたつに分断されたり、互いに行き来できなかったりする状況を歌で表現するにはうってつけです。「つれて逃げてよ」の歌い出しが有名な、ちあきなおみの「矢切りの渡し」(1976年)は江戸川の渡し船を舞台にした歌で、後に細川たかしなどが歌って大ヒットしました。ほかにも、対岸への思いをテーマにした名曲には「イムジン河」があります。元は朝鮮半島で生まれたこの曲は、日本で数奇な運命をたどりました。

イムジン河(臨津江)は朝鮮半島を南北に分断する軍事境界線近くにあり、その悲劇の象徴として語られてきました。日本のフォークグループ、ザ・フォーク・クルセダーズによる「イムジン河」は、メンバーの松山 猛が中学生の時に、サッカーの親善試合を申し込むために朝鮮学校を訪れてたまたま原曲を耳にしており、ザ・フォーク・クルセダーズを結成後に楽曲に仕上げたそう。1番は朝鮮学校生から伝えられた歌詞を訳し、2番は創作しました。その様子は、井筒和幸監督の青春映画「パッチギ!」(2005年)にも描かれています。

ザ・フォーク・クルセダーズの「イムジン河」は、1967年の自主制作アルバム「ハレンチ」への収録前からコンサートなどで披露されており、ラジオで曲がかかるなど人気を得ていました。しかし、1968年に東芝によるレコード発売が決まり、3番を加えてスタジオ録音したものの、発売直前に中止となってしまいます。その理由ですが、著作権の認識不足から朝鮮総連から抗議があったと言われているものの、明確にはわかっていません。その後も「イムジン河」は、ほかのアーティストにより原曲に忠実なバージョンが発売され、松山作詞のバージョンを残すためだけに密かに結成されたグループが会員限定のレコードとして配布することもありました。90年代になると、より多くのアーティストがカバーしています。

封印されたザ・フォーク・クルセダーズの「イムジン河」も、1992年のコンピレーション・アルバム収録を経て、2001年に晴れて日本版の楽曲として著作権が認められます。シングル版CDが発売された2002年は、奇しくもサッカーの日韓合同W杯が行われた年。偶然か必然か、松山が原曲「イムジン河」を聴いて心を打たれたのも、サッカーの親善試合申し込みがきっかけでした。「イムジン河」という名曲が対岸に届くには、サッカーという架け橋が必要だったのかもしれませんね。ちなみに昨年には、2002年発表の「イムジン河・春」を改変した4番が加わり、新録版もリリースされています。