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心の旅〜晴歌雨聴 ~ニッポンの歌をさがしてVol.34

晴歌雨聴 ~ニッポンの歌をさがして

日本のポピュラーカルチャー、特に1960-70年代の音楽について研究する坂元小夜さんが、日本歌謡曲の世界を案内します。

第34回 心の旅

この春、日本から悲しいニュースが届きました。作家の大江健三郎と音楽家の坂本龍一の訃報です。作品のファンというレベルとは違う次元で心から尊敬していたので、大変ショックを受けました。戦後の日本とこれからの行く末について真剣に疑問を投げかけ続けた大江、政治的発言をためらわず権力に対して「ノー」と言える坂本。偉大な芸術家で知識人のふたりが旅立ったと知ってからの数週間、心にぽっかり穴が開いています。

1935 年生まれの大江は学生作家としてデビューし、1958 年に短編小説『飼育』で芥川賞受賞。1967 年には、後に代表作と称される『万延元年のフットボール』を発表しました。

一方、1952 年生まれの坂本は1970 年代に入ってから音楽活動を開始。1978 年に細野晴臣、高橋幸宏と共にYMO(イエローマジックオーケストラ)を結成しています。作家の芸術性は、持って生まれた才能だけでなく、彼らが生きた時代が培うものだとしたら、『万延元年のフットボール』からYMOのデビューまでのおよそ10 年間はどんな時代だったのでしょうか。音楽は時代の空気を伝えてくれます。当時の日本の音楽をいくつか聴いてみたところ、その中で心に響く1曲がありました。チューリップの「心の旅」です。

1973 年に発売された同バンドの3 枚目のシングルで、出だしの「あー だから今夜だけは 君を抱いていたい」のフレーズが有名です。恋人同士の切ない別れを描いた歌詞は、バンド・メンバーの財津和夫が担当。自身が福岡から上京する際の心情を思い起こして書いたそうです。歌詞には汽車が登場しますが、汽車の旅というのは70 年代を物語るテーマのひとつ。1970 年に始まった国鉄の「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンは、国内の個人旅行や女性客の増進を促す一大プロモーションで、日本の地方の良さを再発見し、ふるさとのイメージ作り、東北地方の風景と演歌の結び付きなど、あらゆる方面に影響を与えました。チューリップは、ポップでありながらもロック・バンドの楽器編成で聴きごたえのある演奏により、ビートルズを彷彿させるとしばしば評されます。「心の旅」は、そのチューリップの優れた音楽性と、70 年代の汽車の旅ブームが相まっての大ヒットでした。

ラブソングとして聴いていたところで、「旅だつ僕の心を 知っていたのか 遠く離れてしまえば 愛は終わるといった」の歌詞にハッとしました。ふたりの偉大な芸術家がこの世を旅立っても、愛が終わることはないのです。これからも折に触れ、大江の文章を読み、坂本の音楽に耳を傾けていこうと思います。彼らが残した芸術は生き続け、その作品をめぐる私たちの心の旅は続くのです。

横浜生まれ東京育ち。大学院進学のために2015年に渡米。2020年よりロサンゼルス在住。南カリフォルニア大学大学院の博士課程にて日本の戦後ポピュラー文化を研究。歌謡曲と任侠映画をこよなく愛する。